羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 まあ勿論半年も引っ張るわけなかったんだけどね。
「あっ高槻サンだ! えーとえーと、スズカさんには兄貴と一緒にお世話になってます!」
 大牙くんと一緒に現れたその子はなんとなく見覚えのある子だった。たぶん何回か大牙くんと一緒にここ来てるよね? そんな、高校生くらいの子が突如発した言葉に高槻は「え、は? 兄貴? 誰? っつーかあいつが何……?」と驚きを隠せない様子。オレはちょっと席を外した方がよさそうかな、と思ったんだけど、大牙くんにやんわり引き止められたので引き続き大人しく酒でも飲んで待つことにする。
「もー、けい兄ちゃんお友達と喋ってたんだから邪魔しちゃ駄目じゃん」
「ん? あ、こんばんは。邪魔しちゃってスミマセン」
 不良っぽい見た目の割にめちゃくちゃ素直な子だったので笑顔で返した。「由良暁人です」これはこれはご丁寧に。「八代遥です。よろしくね。『高槻サン』のお友達ですよ」
 そのままノリで隣に座って夕飯をいただくことになってしまった。最近の高校生、大牙くんといい人懐っこいな。どうやら暁人くんは仕事先でスズカさんにお世話になってる? とかで、その関係で声をかけてきたらしい。高槻は最初それを聞いたとき絶句して、「…………え、あいつまだ仕事してんの?」とたっぷり黙ってからおそるおそる声をあげた。
「え? んー、なんつってたかな。でもなんかフルで働いてるとかじゃないっぽくて。ボランティアみたいなもんらしいっすよ」
「ボランティアって……いやいや、あー、うん。元気そうだったか? あいつ」
「元気そうっつーか見た目がめちゃくちゃ若いっすね。俺、最初高槻サンの歳の離れた兄貴かと思ってました」
 俺の兄貴八つ上なんで、と言う暁人くんに高槻はものっすごく微妙な顔をした。なるほど、実年齢より十歳くらいサバ読める見た目してるのか。
「そっか、暁人今ゆきちゃんの働いてるお店で修行してるんだっけ? 楽しい?」
「楽しいぜー。教えてくれる人が優しいから尚更楽しい。まあ味見は一切してくんねーからそこは別の奴任せだけど!」
 ゴトッ、と鈍い音がする。シンクの中に高槻がビール瓶を落とした音だった。いやいやなんでそうなる? けれど高槻は憐れなビール瓶には目もくれず暁人くんたちの会話に滑り込む。
「なあ、味見しないって」
「スズカさんってカクテル作っても絶対飲まないっすよ。昔からそうだったって兄貴が言ってましたけど」
「は?」
「基本的に味見しないっぽくて。っつーかそもそも味見以前に物食ってるとこ見たこと無いです。もしかして霞食って生きてるのかもって俺の中でもっぱらの評判です」
「……はあ!? なんだよそれ!?」
「なんなんでしょうねー」
 あっけらかんと話す暁人くん。高槻は暫し呆然としていたけれど、やがてげんなりした様子で「なあ……他にも知ってることあったら教えといてくんねえ……?」と疲れた表情を見せる。
「えー、何かあったかな……あ、そういやこの間この店の近く通ったっつってましたよ。『行列できてた。すごい』って」
「なんだその雑な感想!? っつーかそこまで来たなら店に寄れよ……!」
「俺も同じこと言ったんすけどねー。『俺、息子にあんまり好かれてないから顔見せたら怒られそうでやだ……』らしいです」
 ガンッ、とシンクが再び鈍い音をたてる。原因はやっぱり高槻で、なんかもう声をかけるのもためらわれるくらいの無表情だった。顔のいい奴の無表情、マジで怖い。
「………………よく分かった。ありがとな」
 どうにか表情筋のコントロールは済んだらしく、暁人くんに向けて微かに笑いかける高槻。この短時間でこいつが何を思ったのかは分からないけれど、なんかもうすさまじくすれ違ってるというか噛み合ってない感じがするのは分かる。
「っつーか高槻サンからは会いに行かないんですか」
「いや……色々考えてたらタイミング逃して……」
「会いたくないとか?」
「そういうわけじゃ、ねえけど。寧ろ会いたいとは思ってんだけど……」
「え、じゃあ会いに行けばいーのに! 俺んとこも全然親と交流無かったけど最近若干復活したんすよ。まあまだぎこちないけど、悪くないかなって感じです」
 会いたいなら会いに行けばいいのに、とシンプルな解決策を示した暁人くんは笑顔だった。高槻の雰囲気から何かしら訳アリだということは察しているんだろうけど、それでも出した結論は単純明快。これが若さのパワーかなあ。怖いもの知らずというか自分の進む先が明るいと疑っていないというか、何にせよこの年頃の特権かも。いや、オレも年寄りぶるような年齢じゃないんだけどさ……。
 高槻も、あまりに単純すぎる理論に反論する隙が見つからなかったらしく黙りこくってしまう。大牙くんが心配そうな表情で声をあげた。
「けい兄ちゃん、大丈夫?」
「ん? なんだよ、心配してくれんのか?」
「するでしょ。当たり前だよ。あ、でも、俺には何もできないだろうけど……」
 高槻は、大牙くんにどう言葉を返そうかちょっとだけ迷ったみたいだった。数秒ののち、「……家族以外にも、こうやって心配してくれる奴がいるってきっとすごいことなんだろうな」と静かに囁く。
「もう大丈夫。ありがとな」
「ほんと? よかった!」
 ケーキ食う? と高槻に聞かれてショーケースの前できゃっきゃとはしゃいでいる男子高校生二人を見守りつつ、オレは空になったグラスを物悲しい気分で見つめる。流石に放置プレイが長くて寂しくなっちゃった……高槻って年下に懐かれるよね、面倒見いいからかな。
「……八代」
「ん? なになに、放置プレイ終わり?」
「なんだよ放置プレイって……悪かった、ほったらかしで。何か酒追加するだろ?」
「んー、じゃあハイボールにしようかな……あ、でも今日は酒より何か食いたいかも」
「珍しいな。リクエスト無ければ適当に作ってくるけど」
「お任せします!」
 元気よく返事をすると高槻は優しく笑ってくれた。と、そいつの手が伸びてきてオレの手の甲を撫でる。え、なになに? 突然のことにどぎまぎしている間に、きゅ、と一瞬だけ手を握られて。それはすぐ離れていってしまった。
「いってきます」
「い、いってらっしゃーい……」
 厨房に消える高槻を見送った。大牙くんたちはまだまだケーキを選ぶのに時間がかかるみたい。どきどきと高鳴る鼓動が煩い。一体なんなんだよ、高槻。オレをこれ以上振り回してどうするつもりなんだ。
 突拍子もない行動の意味は最後まで分からなくて、でも、それでも嬉しく思ってしまう自分がいて。平静を保つのに必死なまま時間は過ぎていった。
 まさかこの後、真打ち登場とも知らずに。


 ちょうど、暁人くんたちが店を出て十五分くらいが経った頃だったと思う。
 そろそろ店仕舞いするか、と高槻がカウンターから出ようとしたとき、カランカランカラン! とけたたましくドアベルが鳴った。びっくりして首をそちらに向けると、初対面なのに見覚えのある顔が、一人。
「えっ……あれっ、けーごいるじゃん! なに!? 俺謀られたの!?」
 オーソドックスなスーツに淡い茶髪。なるほど確かに遠目だと二十代にしか見えないその人は、高槻とは違ってはっきりとピアスの見える髪型だ。その人は深呼吸をした拍子に咳き込んでその場にしゃがみこんでしまう。
「けほっ……あー、年寄りに走らせないでほしい……体力の衰えをひしひしと感じる……」
「お、お前っ……どうしたんだよ、いきなり」
「ええー? だってあきがさァ、『高槻サンが店の中で大変なことに!!!!』ってメールしてきたから何かあったのかと思ってタクシーで来たんだけど階段で体力使い果たした……え、マジで何も無えの?」
 あきはメールしてきたっきり電話にも出ないし、とぼやいたその人――スズカさん、は、しゃがんだまま高槻のことを見上げてへらりと笑う。
「――はは、久しぶりにけーごがいる。元気だった?」
 たった一言。それだけで、高槻はその瞳に涙をいっぱい溜めてぽろぽろ泣き始めた。さくらちゃんが亡くなったときだってオレの前じゃ絶対に泣かなかったのに、家族の前でならきちんと泣けるのかと思うと悔しいようなほっとしたような、複雑な気持ちだ。
 えっなんで泣くの!? どっか痛い? と慌てた様子で立ち上がるスズカさんに、高槻は首を振って「……ごめんなさい」と言う。「勝手にいなくなって、ごめん……。お、怒ってる……?」たどたどしく発せられたその言葉にスズカさんは呆れたように笑った。
「怒ってないよ。……でも、心配はしたからな」
 その声があんまり優しかったものだから、なんだかオレまでじんわりきてしまった。イメージ通り、とっても優しいお父さんみたいだ。
 オレも今日は実家に帰ろうかな、なんて、密かに思ってみたりした。

prev / back / next


- ナノ -