羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 玉砕すらさせてもらえず失恋したオレは、大学に入学してひたすら勉強に打ち込んだ。あの日、高槻と別れた後のことは殆ど記憶に無い。たぶん送別会で後輩に心配されて、『いやー、今日で終わりだと思うと寂しくなっちゃってさ』なんて返したのだと思う。
 一年間で取得できる単位数めいっぱい時間割を組んで空き時間には資格の勉強をして、面白そうなセミナーとかにも参加して色々な場所に行って、とにかく高槻のことを考えている時間を減らしたかった。オレの勉強の姿勢がよほど異様だったのか、お人好しな教授がとても優しくしてくれて人脈を広げる助けになってくれたりしたのは幸いだったと言えるだろう。ちょろちょろ株を始めてみたりもした。どうやらオレにはかなり向いているらしい、ということが分かった。元々やりこみ要素のあるゲームが好きだったのもあって資産運用が楽しくなってしまったのだ。
 毎日スケジュールがみっちり埋まって、それでもオレは時折高槻のことを思い出しては無性に苦しくなった。一年生の秋の終わりに半分ヤケになって、どうしてかオレのことを好きだと言ってくれた子と付き合うことを決めた。
 いい子だった。オレには勿体無いくらいの。この子が相手ならマトモな恋愛ができるんじゃないかと思った。
 勉強ばかりしていたのをやめて、なるべくその子に意識を向けようとした。小柄で、肩くらいまでのちょっぴり内巻きの黒髪の女の子。どうやら学部の必修で席が隣だったようだ。全然気付いてなかったけど。控えめでおとなしい、かわいい子だった。
 オレはこのとき、何をトチ狂ったのか彼女ができたことを高槻に報告した。今までごめんねもう大丈夫だよ、の気持ちだったかもしれないし、もしかするとただのあてつけだったのかもしれない。けど、まっとうなお祝いの言葉と共に、いつか機会があったら俺も会ってみたい、お前の恋人ならきっといい奴だと思う、なんて言われてしまっては虚しい気持ちになることしかできなかった。
 オレはどう考えても気持ちを切り替えるべきで、こんなオレを好きだと言ってくれる彼女を出来る限り幸せにするために努力すべきだった。彼女が行きたいと言った場所には必ず一緒に行ったし、付き合って一ヶ月の記念日だって忘れたりしなかった。クリスマスにはちょっと背伸びしてお高めのディナーをご馳走したし、プレゼントも用意した。我ながらそれなりに褒めてもらえるくらいの彼氏っぷりだったと思う。
 それが崩れたのは、二年の春。一緒に桜を見に行ったときのこと。
 彼女はお弁当を作ってきてくれた。「一緒に食べたいなって思って……」と恥ずかしそうに笑うその子はかわいくて、もしかしてこのまま上手くやっていけるんじゃないか――なんて思った。直後に、オレはそれが間違いだったと知る。
 一口食べた瞬間思ってしまったのだ。『なんだ、これなら高槻が作った方が断然おいしいじゃん』……って。最低だ。分かってる。でも思い出してしまった。オレ、あいつとお花見行ったんだよ。あいつもお弁当作ってきてくれた。さくらちゃんも一緒に三人で食べて、おいしいねって言い合った。
 別に彼女の作ってくれたお弁当が不味かったわけじゃない。おいしかったし、早起きして作ってくれたのであろうこともちゃんと分かった。でもダメだった。よく考えたら当たり前だ。あいつはオレの食事の好みを知り尽くしていて、その上で食事を作ってくれていたのだから。
 あいつ以外の誰かを好きになりたくてこんなに頑張ったのに、たかだか一瞬あいつの記憶が蘇っただけでここ数ヶ月の努力はどこかに飛んでいってしまったのだ。
 あいつのこと諦められないままでもいい、なんて一度は思ったオレだけど、いざ本当に諦めることができないという現実を突きつけられると、動揺することしかできなかった。


「そういやお前、彼女とは別れたって言ってたか」
「あー……まあね。何、珍しいじゃん奥がこういうこと聞いてくるって」
「そうか? 遼夜が心配してたからな。俺はさりげなく探るとかできねえし、気ぃ悪くさせたならごめん。お前最近元気なさそうだから、原因っつったらこれくらいしか思いつかなかった」
 力ない笑みがこぼれるのが自分で分かる。彼女と別れたことは直接的な原因ではないけれど、まあ、無関係ではない。それはそれとして恋人と仲睦まじい奥にそういう話を振られると若干きついものはある。
 奥と津軽は付き合っている。
 二人は文学部だ。オレとは学部は違うけど通年の必修の講義だと教室が一緒になる。今年は偶然自由選択のマーケティング関連の講義でも奥と被ってて、なんとなく隣の席が定位置になっていた。
 この二人、接点謎なのにめちゃくちゃ仲が良くて距離感近くて不思議だったけど、ちょうど修学旅行が終わった辺りからなんとなく雰囲気が変わったなって思ってた。で、高槻への気持ちが募りに募っていた辺りで唐突に気付いた。
 あっこいつらお互いのこと好きじゃん。恋愛的な意味で。……って。
 なんかさ、めちゃくちゃ幸せオーラ出てるんだよね。お互いがお互いしか見えてませんって感じの。一旦気付いちゃうとなんでもっと早く気付けなかったのかってくらい二人の態度はあからさまだったんだけど、あまりにも自然体だからか周囲の人たちにはばれていないらしい。強い。現在、学部内ではニコイチ扱いされているようだ。
 奥と津軽は二人とも、ちゃんと『恋人がいる』って言う。彼女がいる、とは言わない。どんな奴だよって大学の同期とかに聞かれたときも嘘はつかない。『字も言葉遣いも綺麗で、いつも優しくて、丁寧に生きてる。ちょっと恥ずかしがりなとこがかわいい』『まっすぐで目標に対して情熱があって、楽しいことをたくさん知っているんだ。とても素敵なひとだよ』そんな風に言う。何一つ偽りの無い言葉だと思う。オレにはそれが眩しくてしょうがない。
「奥たちが眩しくて余計に落ち込む……」
「はあ? 何言ってんだお前」
「いや別に……いつから続いてんだっけ? もう二年?」
 四月で丸二年だった、と奥は事も無げに言った。思い切って二人の関係について聞いてみたとき、こいつは堂々としたものだった。自慢げにすら見えた。オレにはなんとなく分かる。好きな人に好かれるって難しい。それが同性で、恋愛感情の『好き』なら尚更。それを成し遂げたのだから、その自慢げな表情も当然だろう。津軽は、とても恥ずかしそうにしていたけれど。
『実は高槻にはもう少し早く気付かれていて……ときどき話を聞いてもらったりしていたんだ』
 二人きりのときこっそりと、津軽はそんな風にも教えてくれた。高槻も他人の恋愛事情について首を突っ込んだりするのかとそのときは意外な気持ちだったのだが、津軽がすぐに『ああ、別にあいつから何か聞かれたわけではないんだよ。あいつが気付いていることにおれが気付いただけ』と誤解を解いてくれた。高槻の言葉の端々には、この二人の持つ感情に気付いているていの気遣いが表れていたらしい。
 よく考えたらさ、この話を聞いた時点で、あいつがオレの気持ちにも気付いてるっつー予測は立てられたんじゃない? なんでオレだけは隠し通せるって思ってたんだろうね。
「……彼女の件に関しては、オレにはいい子すぎて勿体無かったってだけなんだよね、要するに」
「ふうん。じゃあなんで落ち込んでんだよ。未練でもあんのか?」
「いや失礼ながらまったく無いというか……」
 声を潜めてそう返す。いい子だったので幸せになってほしいけれど、それはオレには手助けできないことだ。っつーかセックスする前でほんとによかった。何も責任とれないし相手に失礼すぎる。
「ま、確かにお前あの女子と付き合ってる間様子がおかしかったもんな。別れてよかったんじゃね」
「えっなにそれ!?」
「勝手に一人で追い詰められてってる感じだったろ」
「えええ……そんな風に見えてたの……なんかショック……」
 心配をかけてしまっていたことにもショックだ。あーやだやだ、自分が繊細すぎて困る。失恋くらい笑い飛ばして、次行こう次! って感じでいたかった。
 奥の「今度酒でも飲みに行こうぜ」という誘いを有難いと思いつつ、「オレ来年の二月まで飲めないけどそれでもよければお願い……」と返す。そういやオレ、成人式で酒飲めないじゃん。まあ別にいいけどね、どうせ高槻は成人式来ないしさ……。
 なーんか、オレの人生あいつ次第なこと多いなあ。こんな、たった一人に振り回されてどうすればいいんだろ。
 頬杖をついて黒板を眺めているとなんだか余計なことばかり思い出されて、オレは深く息を吐いた。


 それからというもの、半端な気持ちで恋人を作ってしまったことを深く反省したオレは再び学業メインに生活を回していくことにした。二年の後半くらいからツテやコネが急激に増えて、うまく噛み合うようになって、一緒に起業しないか――なんて言われることもあった。でもオレは自分のやりたいことが明確に分かっていて、既にオレなりの手法で学生アルバイトに毛が生えたくらいの利益は生み出せていたから、それなら自分で起業しちゃえばいいじゃん! と株で儲けたお金でさくっと会社を興した。
 別に家賃がかかるわけでもなし、人を雇うわけでもなし、経理は自分でできるしダメそうなら潰して軌道に乗ってきたら一緒に働いてくれる人探せばいいやーくらいの気持ちだった。実際、起業して一年くらいは株運用の利益で会社回してた。人からお金を預かってそれを元手に株を買って、利益出してマージン貰って配当を渡す――という単純なものだったけど、これが案外喜んでもらえたのだ。まあ損はさせたことなかったからね。
 そんな感じで日々忙しくなってきて、余計なことを考える暇が無いことに安心を覚えていた頃。そう、ちょうど三年の冬の終わりだ。会社もゆるやかに軌道に乗り始めているのを感じていたオレはもはや就活なんて一切する気が無くて、パソコンに映し出される株価とひたすらにらめっこしてた。
 突然、高槻から電話がかかってきたのだ。
「ん? 珍しいじゃん電話とか。どしたの?」
 自然に声が出ることに安心した。やはり時間だけが失恋の特効薬だったのかもとのんきなことを思っていたら、予想外の方向からぶん殴られる。
『俺そっち戻ることになった』
「え、は!? 早くない?」
『あー、居抜き物件買えることになって。内装めちゃくちゃ綺麗だし設備ほぼそのまま使えるし、ちょっと早いけど店出してみようかと』
 要するにコネだよコネ、と高槻は言った。どうやら知り合いの親戚か何かが、せっかく店を改装した直後に体を悪くし田舎に戻ることになったらしい。改装のためのローンを高槻が現金一括で買い取ったんだとか。住所を聞くと偶然なのかオレの実家の近くで思わずむせそうになった。マジかよ……。
「五年か十年っつーから戻ってくんのもうちょい先かと思ってた……」
『んだよ、戻ってこない方がよかったって?』
「そんなこと言ってないって! はー、マジか戻ってくんの。お前、今まで働いてたのって田舎の旅館だっつってたっけ」
 高槻が向こうに行ってすぐの頃のメールのやりとりを思い出しつつ尋ねると高槻は一瞬黙った。『……今はイタリアンのレストラン。旅館はクビになったっつーか、やめたっつーか……』お前一体何してんの!? と叫んでしまったオレは悪くないと思う。どきどきしながら電話口から聞こえる言葉を待った。
『……俺は料理のために就職したのにじわじわ接客とか人前に出る仕事振られるようになって、仕事量が本来のと逆転したから勢いで辞めた』
「おおう……ソウデスカ……」
 なるほど理解できた。こいつの顔面、ほんとこいつに不本意な結果もたらすことが多いな。こいつの顔のリピーターでもついたのか?
 お前に話したいこと沢山ある、と言われて単純なオレは嬉しくなってしまう。いけないいけない冷静になれ、と思うのに、「オレもだよ! いつ頃戻ってくんの?」とはしゃいだ声をあげてしまう。
 桜が咲く頃には、となんともロマンチックな答えを残して高槻との通話は終わった。なんだか夢みたいで、自分があいつとの関係をまったく諦めきれていないことに思わず笑う。オレ全然ダメじゃん。会いたい、直接声が聴きたい、ってそればっかり考えてる。
 あいつが帰ってきたら、一緒に酒飲みたいなあ。
 密かにそんな夢を抱きつつ、その日はとてもいい気分で眠りについた。きっと高槻は、こっちに戻ってくるというのをオレに真っ先に知らせてくれたんだろう、と、そう自惚れられることが嬉しかった。

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