羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ちゃんと「怖い」って言ってよかった。恐怖を克服するとまでは言わずとも、落ち着いて清水の表情を気にかけるくらいの余裕はできたから。
 清水はやっぱり少し緊張してるみたいではあったけど、その手つきはたどたどしくはなかった。ゆるゆるとした笑顔は、もしかすると俺が「怖い」っつったから少しでも安心させようとしてくれたっつーことだったのかも。自惚れだろうか? でも、そのくらい俺のことを好きでいてくれたら、きっと俺は嬉しいだろうと思う。俺はこいつの「好き」を信頼している。
「しーみず」
「なあに? 由良」
 風呂に入ってさっぱりした俺は、細く開けた窓から室内の空気が新鮮なものに入れ替わっていくのを感じながら清水の隣に座る。
「受け身でおとなしーくしてるのもそんなに悪くはねーな」
「由良がそう思ってくれたならうれしい」
「ふふん、俺ってば愛される才能にも溢れてるだろ?」
 そうだねかっこいいね、と清水がにこにこしているのでなんだか俺も嬉しくなる。可愛いやつめ。
 兄貴が起きた気配は無いが、もしかしてとっくに目は覚めていてリビングに出るに出られず……という状況かもしれないので一旦外に出ようということになった。この家、別に壁が薄いわけじゃねーし結構広いけど完全防音ってわけでもねーしな。
 清水も、風呂は使わないまでも体は拭いて顔も洗って……というところまでは俺が風呂に入っている間に済ませていたらしい。「おにいさんが起きてくるときにどっちかは居なきゃまずいなって思って……」と言っていた。まあ、二人揃って風呂とかあからさますぎるもんな。色々あってカミングアウトはしてるけど、兄貴とはお互いに恋人の話はあまりしない。やっぱさ、兄貴の恋人が俺のダチっていう状況が若干こう……見てはいけない一面を見てしまいそうな感じがする。同じ理由で万里にもあまり話は聞けてないけど、あいつは元々そんな大っぴらに話をするタイプじゃないからな。
 それに、万里なら兄貴のちょっと弱い部分とか、それこそ俺には見せたがらないような感情とか、受け止めてくれるんだろうな……と俺としては安心しているのだ。真面目だし気が利くし優しいし、丁寧な奴だから。そんじょそこらの女なんて足元にも及ばないくらい兄貴のことを思い遣って、大切にしてくれるだろう。俺らとタメなのにあの余裕オーラはなんなんだろうな。でもあいつも兄貴の前ならガキっぽいことも言ったりするのかもしれないし、そうだったらいいなとも思う。
 俺らと、あとは大牙たちも学校じゃ毎日顔を合わせるから恋人に対して会いたいだの寂しいだの言う暇はあんまり無いけど、万里はそうじゃない。夜の仕事をやってる兄貴とは基本的に生活スタイルが合わないだろうし、対話のできない日が続くことも多いだろう。でも万里なら大丈夫なんじゃないかと思わせてくれる何かがあった。あの二人が一緒ならきっとずっと幸せなのだろうという気持ちになれる何かが。
「……清水」
「ん、どうしたの?」
「俺はさ、会えない日々を指折り数えたり何だりっつーの絶対向いてねーんだけど」
「と、とつぜんだね……うん、それで?」
「会いたくなったらちゃんと言うし、言いたいことあったらちゃんと言う。だから、ワガママに聞こえたらお前もちゃんと文句言えよ。で、やりたいこととかしたいこととか呑み込むなよ。……なんかさー、俺らってかなり恵まれてんだなって思った。大切にしなきゃダメだな」
 毎日会えるのは当たり前ではなくて、俺の好きな奴が俺を好きでいてくれるのも当たり前のことではない。今更ながらそれを強く感じた。セックスだって二人で頑張ったからできたのだ。特別なことで、大事にすべきことだと思った。
 清水は俺のまだ濡れている髪をバスタオルでわしわし拭きながら笑う。「由良ってさ、周りには自分を『何も考えてません』って風に見せようとするけど、実際は全然そんなことないよね」はあ? やめろって、俺はそんな上等な考え持ってねーよ。
「由良って、自分で思ってるよりずっと気遣い屋さんだし繊細だと思うよ」
「うわ恥っず! 気遣い屋とか俺から一番遠い属性じゃね?」
「そんなことないと思うけど……でもまあ、由良がそう言うなら俺が分かってればいいことかも」
 なんだか清水は機嫌がよさそうだった。まあ俺も好きな奴とヤった後は上機嫌になるから気持ちは分かるぜ。要するに今だろ?
 髪を乾かして整え、服もばっちり着替えて外に繰り出すことにする。今日はいい天気だ。出掛けるにはいい日和だろう。ちょっと遠くまで行って買い物でもいいし、近場を散歩してもいい。ちょっと前までは散歩なんて年寄りのやることだと思ってたけど、案外好きな奴と一緒なら楽しむことができるというのも分かってきた。
 なんかこう、これまで恋人と出掛けるってなったら出来る限り楽しそうな場所とかイベントとか調べて、楽しんでもらおうと思ってたんだけど。恋人と出掛ける場所だから楽しい、って考え方もアリだな。
 ほんの一時間くらい前までエロいことしてたとは思えないくらいの健全な思考回路が自分でも面白い。頭はすっきりしてるし体調もいいし、楽しい休日になりそうだ。
「由良、なんだか楽しそう」
「ん? 当たり前だろ! だってお前と一緒にいるんだぞ」
 清水は驚いたみたいで目をぱちくりとさせている。こいつは普段から目元の印象が柔らかいから、こんなにはっきり目を見開いているところは割とレアだ。
「なあ、何したい? どこ行きたい? お前と一緒なら全部楽しいんじゃねーのって思うから、なんでもいいぜ」
 はにかむように笑った清水は、「んーと……どうしよっかなぁ」なんてのんびり囁く。もし五分経っても悩んでいたらこっちから提案してやろう、とうきうきした気分で歩みを進める。
 行き先は決まっていない。
 これから、二人で決めるのだ。

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