羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「お前なんか顔色悪いけど大丈夫?」
「ううう……胃が痛い……」
「ちょ、落ち着きなよ。緊張してたら受かるものも受からないよ」
 明日は津軽たちの第一志望校の入試日だ。本当はオレも受ける予定だったんだけど、なんかセンター利用の受験したら合格できたのでオレの受験はあと二次試験があるとこだけ。行く大学が確保されてるオレから励まされるのも鬱陶しいかなーと思わなくもないんだけど、マジで津軽の顔色が悪いので心配になってしまってつい声をかけた。入試の前日くらい学校休んでもいいと思うのに、津軽は「できるだけ普段通りの生活をしようと思って……」と授業も真面目に受けていた。
「っつーか、津軽って全然緊張しないタイプだと思ってた。大会とかでも落ち着いてるし」
「大会で落ち着いていられるのは自信があるからに決まっているだろう……一足す一なら間違わないなとか、そういうやつだよ」
「ひゅー、カッコイイね」
 茶化すな、といつのまにかオレの背後にいた奥に怒られた。ごめんって。奥はあんまり緊張してないみたいで、「前日になって悪あがきしても無駄だろ。受かるときは受かるし落ちるときは落ちる」と一周回って気楽そうな様子だ。
「にしても遼夜って成績悪くないのに勉強に対して苦手意識ありすぎじゃね? よっぽど偏差値高くなきゃこの学校に外部入学なんて無理なんだからもっと自信持てば」
「いや、あのときはとにかく必死で……部活を引退してから食事と睡眠の時間以外ほぼ勉強に充ててそれでも補欠合格だったから何も安心できない」
「うっわ、その生活発狂しそう。よく耐えたな」
 津軽と奥は一緒の大学に行こうと頑張っているらしい。もしこいつらが第一志望の大学に合格すれば、オレも同じ大学ということになるのでちょっと楽しみだ。学部は違うけどね。偏差値自体はオレがこれから受ける大学の方が高いっちゃ高い……とは言え、将来やりたいことを軸に大学を選びたいので偏差値はあまり気にしていない。だったらどうして受験を続けてるのかって、まあ、試験受けるのが好きだからなんだけどさ。大学在学中に難しい資格に挑戦してみたいなーとも思ってる。
 帰りにこの二人の合格を祈願でもしに神社に行ってみようかななんて考えていると、高槻がふらっとこちらに近付いてきた。「お前らいつまで教室にいるんだよ。早く帰った方がいいんじゃねえの」その表情からなんとなく遠慮がうかがえるのが、優しいなあと思う。こいつも津軽の顔色の悪さに気付いたみたいで、ちょっと心配そうに見えるのはたぶん目の錯覚じゃない。
 明日入試で緊張してるらしいよと言うと、高槻は軽く首を傾げる。
「……じゃあ、選択肢で迷ったら『ウ』にすれば?」
「う?」
「ん。どうしても選べなかったときだけ俺が代わりに選んでやるから、まあ、そんな深刻になるなよ」
 津軽はきょとんとして高槻のことを見ていたかと思えば、「あはは……なんだよそれ」と笑う。どうやら気持ちがほぐれたらしい。覚えておくよ、ありがとう、と言って椅子から立ち上がる。
「ここまできたら腹を括らなければだめだね」
「そうそう。別にコケても死ぬわけじゃないしさ、大丈夫だよ」
 話し込んでいるうちにすっかり教室からは人気が無くなりオレたちも慌てて昇降口へと足を進める。高槻に、ちょっと寄り道して帰らないかとお誘いをかけたらオッケーをもらえたので、津軽たちとは校門で別れた。
「どこ行くんだ?」
「合格祈願に神社にお参りしようかなって。あ、途中でコンビニ寄ってこ」
「もう神頼みくらいしかすることなくなったってやつか」
「げんを担ぐって案外大事だよ? お前ももうちょいで何かあるんじゃなかったっけ、試験。祈ってけば?」
「あー、そうだな」
「……今更なんだけど何の勉強してたのか聞いていいやつ?」
「寧ろなんで遠慮してんだ……? 別に隠してねえし。バイクの免許と簿記」
「予想以上に堅実な資格だった! オレも大学入ったら取ろっかな」
 周りがみんな受験生だから勉強しやすかった、と高槻は言う。こいつは案外勉強嫌いじゃないよね。茶髪にピアスだけど。……いや、それは流石に偏見かな? 黒髪眼鏡が全員真面目なわけじゃないし。
 複数のコンビニに寄り道しつつ神社に到着する。なんで道中のコンビニ制覇したんだ……と言いたげな視線に晒されたので、「五円玉が欲しかったんだよ」と説明をした。
「五円玉?」
「そ。いつもは一枚なんだけど九枚欲しくて。ほら、『ご縁がありますように』って賽銭箱に五円玉入れるじゃん? 九枚だと四十五円だから、『始終ご縁がありますように』」
 高槻はオレの話を頷きながら興味深そうに聞いてくれて、「じゃあ俺も五円玉入れる」ととても素直な感想を漏らした。こういうとこ普通に可愛いなこいつ。なんかオレの言ったことなら無条件で信じそうなんだよね……騙されやすいタイプってわけじゃないと思うのに。
 そんなことを考えつつお賽銭を財布から取り出――そうとしたのだが。
「あれっ、一枚足りない……」
「ん?」
「五円玉だと思ってたやつが五円玉じゃなかった……」
 何度数えても八枚しか無い。八枚だと意味無いのかと聞かれて、そういうわけじゃないよと返す。だけど、四十五円が一番語呂がよくて気に入っていたのでなんとなく残念な気持ちだ。もっとよく確認すればよかったなあ……と思っていると、隣から笑い声と共に手が差し出される。
「しょぼくれてんなよ。ほら、俺一枚持ってたから」
 一緒に入れよう、と言われて反応する間もなく腕を引かれ、賽銭箱の上で手を傾けるとチャリンチャリンという音がする。思わず隣を見て、もう目線が殆ど変わらなくなっていることに驚いた。初めて会ったときは、あんなに大きく見えたのに。
 高槻は満足そうに笑って、「神様にお願いしねえの?」と柔らかい声で言った。
 ――ありがとう、とどうにか口にした言葉はもしかしたら掠れていたかもしれない。突っ込みが入る前に二礼二拍一礼を済ませてしまおう。
 不意打ちで触れられた手が熱かった。受験に関することをお願いしようと思ってここまで来たのに、頭に浮かぶのは隣にいる親友のことばかり。こいつは何気ない言動で、オレをいっぱいいっぱいにしてしまう。
 そしてオレは観念する。
 神様にだけ、この不毛な恋心を白状した。『少しでも長くこいつとの縁が続きますように』――と。



 さて。結局一番長く受験生をやっていたのはオレだった。オレたちの受験の結果がどうなったかというと、まず津軽と奥は無事第一志望の大学に合格した。こうやって言っちゃうとなんか軽く聞こえるけど、結果が出るまではかなり戦々恐々としていたのだ。なんせ津軽、本命の合格発表までに受けたとこ全部落ちてたからね。津軽の実力的に落ちるわけないとこまで落ちてて思わず「なんで?」って言っちゃったんだけど奥に蹴られた。マジでごめん。
 合格発表の後で自己採点をした津軽が、「あ、あと一問落としてたら不合格だった……」と言っててオレまで肝が冷えた。どうやら本当に選択問題で迷ったら全部ウにしたらしい。一番偏差値の高いところだけ合格して他は全敗というよく分からない戦績になっていた。
 まあ、終わりよければ全てよし。無事に全員第一志望校に合格できたので、お祝いというか打ち上げにファミレスのドリンクバーで乾杯しているのが今だ。珍しいことに、言い出したのは奥だった。なんでもない顔して実は一番喜んでいるのはこいつなのかもしれない。高槻のこともちゃんと誘ってたし。
「そういや八代はどうだったんだよ、残りの入試。昨日終わったばっかだっけか」
「ん? 辛めの自己採点でボーダー超えてたので受かった気でいる……けどこれで落ちてたら笑えるわ」
「はー、結局全戦全勝? すげえな。でも大学俺らと一緒って若干勿体無い気もするけど」
「いいんだって。オレ、一応大学でやりたいことは考えてるから」
 奥の言葉にそんな返しをしつつオレは隣が気になって仕方なかった。高槻の進路、結局聞けてない。たぶん就職だっていうのは分かるけど、なんとなく聞くのを先送りしてしまっていた。だって聞いてしまったら実感する。四月になったらもうこいつと同じクラスじゃないってこと。学校に行っても、こいつには会えないってこと。
 卒業式を目前に控えて、まだ覚悟が終わっていなかった。
 ドリンクバーで迷わずココアを選んでちびちび飲んでいた高槻は、オレの視線に気づいたのかふっと笑う。それがあんまり優しい表情で、柔らかくて、心臓が痛くなる。
 なに、と唇の動きだけでそう言った高槻に、オレは急に恥ずかしくなってテーブルの下でそいつの指先をそっとつまんだ。
 自分勝手だけど、手を振り払われなかったことに文句を言いたくなってしまった。

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