羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 調子に乗ってキスしようとしたら止められた。「だめだよ、こんなところで……学校だよ」恥ずかしそうにしている遼夜は可愛かったけれど、ちょっともどかしくも感じる。こんなに近いのに、両想いなのに、まだお預け?
 人目を忍ぶべきだというのは同意するが、現実問題誰にも邪魔される可能性の無い完全な二人きり、という状況を作り出すのは難しいのではないだろうか。実家暮らしだし。
 なんか遼夜とそういう性的なことって結びつかねえけど、俺はいずれと思ってるからな。
 どうにか平静を装って遼夜に今後の展望について尋ねてみると、そいつは首を傾げて、ちょっと悩んで、「高校を卒業したら、構わないのではないかな? 一応十八歳以上になるわけだし、外泊できるだろう」と言った。嘘だろキスすらあと一年待つのか? 口には出さないまでも眩暈がした。こいつ貞操観念がしっかりしすぎだろ。そういうとこも好きなんだけどさ。
「あ……正直、『誰かを恋愛感情として好きになった自分』というのがまだうまく実感できていないんだ。けれど、絶対におまえの気持ちを蔑ろにしたりはしないと約束するよ。急かしたり、しないよ。大丈夫」
 ちょっと待て、しかも真逆の方向に勘違いされている気がする。別に急かされることを危惧してこの話題を出したわけじゃねえんだよ。逆だよ逆。俺はお前に触りたいしキスもしたいしなんならセックスだってすぐにでもしたいの。お前を抱きたいと思ってんの。悪いけどここは譲る気無いぞ。怯えさせてしまっては本末転倒なので直球で言うのは控えるが、心の中でだけは宣言しておこう。……遼夜、これたぶんセックスのことなんて欠片も頭に浮かんでねえよな。どうやって話を誘導するか考えておかねえと。
「あー、遼夜的にはどこまでオッケーとかあんの? 俺は割と恋人とのふれあいを大切にしたいタイプなんだけど」
「うん? おれはおまえの望みならできる限り叶えたいよ」
「触っていい?」
「? どうぞ」
 手を差し出された。……うん、なるほど。
 とりあえずぎゅっと恋人繋ぎにしてみると、遼夜は普通に照れた。「奥はかわいいね」と言って。身を寄せるようにして座るとこれもオッケーらしい。明らかに男友達の距離感じゃねえけどこれは学校でしてもいいのか? 好都合だ。
 なんとなく教室は落ち着かなかったので遼夜の手を引いて屋上に出た。春の昼下がりは日差しがやわらかく暖かい。しっかりと扉を閉めて、遼夜をもう一度抱き締めてみる。
「……お、奥」
「んー? なんかお前健康的な匂いするよな。天日干しした洗濯物みたいな」
「それは普通に制服の匂いなんじゃ……」
 すん、と首筋に鼻を寄せるとそいつの体はぴくりと震えたものの、制止を受けることは無かった。なんとなく分かってきたけど、こいつさてはキスが恥ずかしかっただけだな? 人目が無い場所をちゃんと選べば、そこまで厳重に施錠したり密室を作ったりしなくても許してくれそうだ。
 せっかくなので、俺は思う存分遼夜の存在を感じられるその体勢のまま、自分がもう大分前から抱いていた感情について少しずつ白状してみた。いつだったか、欲しいものがあるのだと遼夜に言った日のこともきちんと伝えた。「お前に俺のこと好きになってほしいっつー意味だったんだ、あれ」と伝えると遼夜はいたく驚いた様子だった。そんなに前から、とため息のような囁きが聞こえたので、前からっつーか初めて会ったときからなんだよなと言うと更に驚かれた。
「最初は遼夜の字に惚れたんだよ」
「字に?」
「綺麗で感動したんだ。丁寧で、優しそうで、やわらかい字だと思った。で、そのめちゃくちゃ綺麗な字でめちゃくちゃ綺麗な物語が紡がれててさ。一体誰がこんなすごいの書けるんだって思ったんだよ」
 遼夜について新しいことを知るたびにどんどん好きなところが増えていった。好きだ、と思うことが増えていった。ここまで無尽蔵に気持ちが増えていくなんてと自分でも驚いたものだ。
「絶対欲しかったからすげえ待った。めいっぱい優しくして俺のこと好きになってほしくて、頑張ったんだぜ」
「奥は優しいなってずっと思っていたよ、おれは」
「バッカ、お前には特別優しくしてんだから自覚しろって。お前だけだよ、俺がこんな風にするの」
「……そ、そうだね。おまえ、愛想が無いって女子に言われていた」
 遼夜は再度照れている。自分とそれ以外との俺からの対応の違いについて思い返しているらしい。まあ俺自身あからさまだと思うくらいに対応に差があったから、寧ろ遼夜が気付いてない感じだったのが意外なんだけどな。俺、誰にでもは無条件に優しくできねえよ。お前だからなんだって。
 遼夜は、喋るのが得意じゃないくせに必死で俺に「好き」という気持ちを伝えようとしてくれる。「おまえと一緒にいると初めてのことばかりでとても楽しいんだ」とはにかみながら囁いてくれる。
「じゃあ、これからも初めてのこと一緒にやろうな。めでたく恋人同士になったんだし、休みの日とかも色々誘っていい?」
 それは何の気なしに言ったことだった。疑問のていではあったけれどほぼ確認くらいの気持ちだったし、まさか断らないだろうとも思っていた。案の定遼夜はぱっと笑顔になって頷き――かけたのだが、すぐに動きを止めて黙る。
「奥……あの、やっぱり卒業までは色々と控えめにしてほしいなあ」
「えっなんで」
「なんでって、受験生だろう」
 なんだか予想外のところから刺された気分だ。受験生……受験生か……そっか……いや確かにそうなんだけど。
「言っておくけれど、おれは勉強しないと普通に落ちるからな、大学。おまえと一緒の大学に同じ学年で入学したいし……」
「あーめちゃくちゃ嬉しいこと言われてんのは分かる! 分かるだけに反論できねえ……」
「すまないね。おれは努力をしているだけだから、さぼると覿面影響が出るんだよ……ただでさえ若干無理をしてこの学校に入ったし、部活を引退したら空き時間はほぼ勉強に充てないとたぶん合格できない」
 遼夜は自分で言っててげんなりしてきたみたいで、「また高校受験のときのあれを繰り返すのか……」とため息をついていた。こいつ、真面目ではあるけど勉強が好きってわけじゃねえんだよなきっと。
「因みにだけど、第一志望文学部だよな?」
「そうだね」
「英文?」
「厭味か……おれ、大学に合格したらもう二度と英語は視界に入れたくないぞ」
 じゃあやっぱ日本文か。一緒だ。
 まあ英語は大学に入っても必修だろうけど、水を差すのはやめておこう。たまに一緒に勉強するくらいなら許されるんじゃ……とも思ったけれど、どうしても近くにいると触ったりしたくなるだろうし、ここは俺もぐっと我慢だ。
 遼夜だって、俺と一緒にいたいのを我慢して勉強をするのだ――と涙を呑む。一年我慢すれば四年一緒にいられる。大丈夫だ。まだ待てる。大丈夫だ。
 もはや自己暗示にも思える誓いを立てて遼夜の髪を撫でる。俺だって受験生だっつーのは同じなんだし、遼夜だけ受かって俺が落ちるとか洒落になんねえから真面目にやんねえとな。
 どうやら禁欲生活はまだまだ続きそうだ。俺は、「くすぐったいよ」と言って控えめに笑っている遼夜の髪から首筋に指を滑らせつつ、内心でひとつの決意をした。
 ――大学生になったら絶対一人暮らししよう。

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