羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 幸いすぐに頭は冷えて、けれどあいつにあわせる顔が無くて公園のベンチで一人たそがれていた。辛うじてスマホは持ってきたが上着も何も無く飛び出してきたのでめちゃくちゃ寒い。ドームっぽい形の秘密基地みたいな遊具の中に座り込んで風をしのぐ。
 十五分くらいして、清水からメッセージがきた。『ほんとは帰りたくないけど』『このままじゃ由良が風邪ひいちゃうから、帰ります』『だから俺のことは気にしないで、家に帰ってきていいんだよ』この期に及んでこいつは俺のことばかり気にかけている。既読はつけないようにメッセージを確認して立ち上がった。清水は、こういう嘘はつかない奴だ。
 俺はどこで、何を間違えたんだろうか。
 清水のことが好きだった。ちゃんと、好きになった。俺はたぶん、いざヤるってときになってあいつがもし「やっぱ男は無理」みたいな反応をしたら大いに傷付いただろうと思う。それくらいあいつのことが好き。だからあいつにも、当たり前みたいに同じことを求めてしまっていた。
 俺ばっかりあいつに対して必死になってるみたいで、みじめで、悲しかった。
 相手が女だったらこうはなってない。役割が最初から決まってるからだ。清水が俺に覆いかぶさってきたとき、俺だって男なのに――という気持ちが一切湧かなかったか、と言われると即答できないところはある。でもそういうの全部織り込んで、どんと受け入れるのが愛だと思ってた。それができなかった俺は、好きという気持ちが足りなかったのかと不安になった。
 別に慰めてほしかったわけじゃない。気にしないで、と言われたかったわけじゃない。むしろ怒ってくれた方がまだ気が楽だった。
 あんな風に優しくされては、俺ばかり悩んでいるように思える。俺の悩みが取るに足らないものだと言われている気分になってしまう。それはすごく嫌だ。俺にとってこれは重大で、深刻な問題だった。あいつに対する気持ちは、けっして取るに足らないものではなかった。
 優しくされて文句を言うなんてとんでもない話だ。それもちゃんと分かってる。俺は贅沢なんだと思う。でも清水だったら分かってくれるんじゃないかと思ってしまった。
「はー……」
 家の前でため息をつく。いっそのこと、帰ったというのが嘘で扉を開けたらあいつがそこにいればいいのに。自分から出て行ったくせに酷い言い草だったが、本心だ。
 ポストを覗き込むと鍵が入っている。清水が鍵をかけてここに入れてくれたのだろう。鍵を開けて入った自分の家は、案の定静かだった。
 今日、兄貴は遅番。俺は明日学校が休み。
 このメンタルで一人でいるのは無理だ。耐えられない。俺はちょっと悩んで、ダメ元で電話をかけてみた。なるべく俺と同じような立場で話を聞いてくれそうなやつ。
「……もしもし。俺。由良だけど」
 今からちょっと話がしたいと言ってみると随分驚かせてしまったみたいだった。けれどそいつは俺の頼みを受け入れてくれて、それどころか家に来ていいと言ってくれた。有難い。行くのは初めてだったので近くまで迎えに来てもらうことにして、俺は小さくお礼を言って通話を切る。
 そういえば二人きりでこうやって話をするのはもしかすると初めてかもしれないな、と、俺は上着を羽織りサイフとスマホだけ持って家を出た。


「あらぁ、ゆうくんのお友達? お友達連れてくるの初めてね、お母さん嬉しいわ!」
 お夕飯食べていってね、もしよければ泊まっていってほしいわ、そのピアスかっこよくてすてきね、と熱烈すぎる歓迎を受けた俺は、隣で若干引いている息子――茅ヶ崎が、「あの、由良困ってるから……」とこいつの方が困ったような声音で言うのを黙って聞いていた。
 ちょっと、予想外だ。いや、どんなんだったら予想通りなんだよと言われるとそれはそれで答えに困るけど。
 茅ヶ崎の母親は若かった。二十代と言っても通用しそうな外見とふわふわの栗色をした腰までの髪、化粧とかじゃなくて赤みの差した頬。冬だというのに花のような甘い香りがした。なんというか、『趣味:ガーデニング、編み物、ポプリを作ること』って感じ。シチューのにんじん、星型に切ってくれそう。
 その整った外見と柔らかい目元、そして睫毛の長さに、茅ヶ崎の外見は母親譲りなんだなと納得する。
 茅ヶ崎の自室に案内されてそこに向かうまでの間、茅ヶ崎はまるで言い訳をするように、母親が学生結婚で若くして自分を産んだことと、自分を産んだときからずっと専業主婦であるというようなことを言った。「夢見がちなんだよ、あの人……」その口調には疲れが滲んでいる……気がする。
「なんつーか、パンチの効いた母ちゃんだな……お前反抗期とか無かったワケ?」
「反抗期……あー、中学のとき荒れてたのが反抗期っつったら反抗期なのかもしんねえ。かなり迷惑かけたし……」
「うわ、悪い。余計なこと言った」
「いいって別に」
 にしてもあの時期の茅ヶ崎とあの母親、相性最悪レベルな予感しかしねえ……。そんなことを思っていると考えていたことがバレたのか、「別に仲は悪くねえよ」と言われてちょっとほっとした。
「にしてもお前母親に『ゆうくん』って呼ばれてんだな……なんか見てはいけないものを見てしまいましたって感じ」
「小学校高学年辺りからやめろって百回くらい言ったけど直らなかったから諦めたんだよ……ふわふわしてるけど頑固だし、俺が言っても聞きやしねえ」
 座椅子を勧められて座った辺りで扉がノックされ、「ゆうくん、お母さんジュース持ってきたのよ。あとね、ちょうど今日焼いたばかりのシフォンケーキがあるんだけど、お夕飯前じゃ困るかしら……」と期待を隠し切れない声がする。あー、こりゃ断れねーわ。有難く頂くことにした。
 シフォンケーキは美味かったので素直にそう言うと、茅ヶ崎の母親はまるで花が舞うように分かりやすく喜んだ。「パパはあんまり食べてくれないしゆうくんはカロリー気にしちゃうから、食べてくれる人がいて嬉しい!」ありがとう、お夕飯もたくさん食べていってね、と言われてそこまで量が食えない俺としては気合いを入れるしかない。なんだろうな、あの人。押しは強くないのに断れない。
「おい、適当なとこで断らねえとマジで際限無いからな。別に、断っても落ち込むだけで害は無えから」
「お前いつもあの母ちゃんの相手してんの? スゲーわ……」
 周りにいないタイプの母親だ。俺の母親は言わずもがな仕事第一だし、大牙の母親も看護師で激務だからかあまり家事に熱を入れる人ではない。万里の母親は前泊まったとき一瞬挨拶しただけだけど、家事の類はお手伝いさんに一切を任せていると万里が言ってた気がする。
「……もしかしてなんだけど」
「? なんだよ」
「お前が大牙と妙にフワッフワなわたあめみてーな関係築いてるのってあの母親の価値観に影響されてる?」
「馬鹿言え…………」
 物凄く嫌そうな顔をされてしまった。だってお前の母ちゃん、学校で一番大きな桜の木の下で告白……とか言い出しそうじゃね?
 と、その流れで俺は気付く。専業主婦である茅ヶ崎の母親が、俺を見て『お友達連れてくるの初めて』と言ったということは。俺もしかして、大牙より先にこいつの部屋に入っちゃった? やらかした?
「茅ヶ崎ごめん……」
「はあ? 今度はなんだよ」
「いや、恋人が自分より先に別の男自室に連れ込んでたら大牙ショックかなと思って」
「ばっ……つ、連れ、何言ってんだお前!?」
 こいつ案外からかい甲斐あるよなー。ささくれ立った気持ちがクリームを擦りこむように柔らかくなっていくのを感じる。
 一旦気持ちをリセットしよう。清水からのメッセージに既読をつけて、『色々ごめん、明日か明後日には絶対連絡するから待ってて』と送信した。会ったら改めて謝る。ちゃんとする。でも今はちょっとだけ、待って。
「なあ茅ヶ崎、わりーんだけど俺の話聞いてくんね」
「話、って」
「この俺が恋愛相談! しかも相手がお前! 明日は槍が降るかもしんねーな」
 全米が爆笑モンだろ。でもまあ、いくらカッコ悪くてもらしくなくても恥ずかしくても、恋人との関係のために惜しみない努力をする俺は間違いなくイケてるし。清水はせいぜい、俺に惚れ直す準備でもしててくれ。頼んだぜ。

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