羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 清水はいつも突然だ。
「心の準備ができました」
 そいつがベッドの上で正座して言うには、つまりそういうことらしい。一体どういう風の吹き回しなのか、それとも前からずっと考え続けていたのか、清水は男同士でエロいことをする決心がついたらしかった。
「心の準備と一緒に必要なものも準備してきたよ。由良みたいに上手にはできないかもしれないけど……」
 のんびりとした中に僅かな羞恥の滲んだ口調がなんだかかわいく感じて、俺はそいつにキスをする。戸惑いもなく絡んできた舌が嬉しい。なんだろうなーこれ、雛鳥の成長を見守る親の気分ってやつ? 気分屋の俺をここまで待たせたんだからしっかり責任とってもらわねーと。
 腹の奥の方が熱くなってくる。やばい、勃ちそうかも。自分のものが硬くなってきていることに、その速さに、少し焦る。
 やっぱりこいつとのキスは気持ちいい。頭の奥が痺れる感じで、ちょっと甘い気がする。いつの間にか服の隙間から滑り込んできた指が脇腹の辺りをそっと撫でて、肩が跳ねた。あー、クソ、全然余裕ねえ。
 そこまで考えたところで俺はふと違和感に気付いた。なんかこう……清水がいつもよりグイグイくるっつーか。こんな積極的な奴だったっけ? マグロじゃねーのは知ってるけどそれにしても普段と違って若干荒々しい。……いや、なんか、これって。
「っは、由良……」
「し、みず」
 そいつの表情を見てざわりと鳥肌が立った。分かってしまう。これは興奮じゃない。
 恐怖だ。
 ぼんやりと、「どっちが上をやるんだろう」なんて考えてみたことはあった。突っ込まれるのは痛いのかな、とか、突っ込む側は事前に準備するのやっぱ大変なんだろうな、とか、思ってはいた。そのときがきたら選択権は清水に委ねよう、とも。でも本質的なことは何も分かっちゃいなかったのだ、俺は。男同士でセックスをするってこと。突っ込むってことと突っ込まれるってこと。
 こんな視線を向けられたら、嫌でも気付かざるを得ない。
 こいつは、清水は、俺を抱きたいのだ。俺の中に自分の性器を挿れて、擦って、出したいと思っている。女ではない俺に女のように受け入れてほしいと、願っている。
 口の中がからからに渇いていた。おかしい、こうなることは初めからわかっていたはずだし、なんなら煽ったのは俺の方だった。それなのになんで、こんなにも恐怖を感じてるんだ? 前のときはこの視線に興奮した。お互いにお互いのものへ触れて、それだけだったら何の問題も無かった。もっと欲しい、と思ったはずなのに。確かに俺はあのとき、こいつを求めていたはずだったのに。
 自分の体が硬直していくことにも驚いたけれど、もしここで清水が抱かれることを望んでいたら、俺は何の疑問も持たずにセックスをしていたのだろうと、そう分かってしまうのが何より嫌だった。自分の鈍感さが嫌だった。
「由良……だいじょうぶ? 続き、しちゃってもへいき?」
 声が聞こえる。早く、返事をしなければ。そうでないとこいつは優しいからまた色々悩んでしまう。俺がいつもみたいに明るく、軽い調子で返事をすればいいのだ。『当たり前だろ』『待ちくたびれて枯れ果てるとこだったっつの』『最高に気持ちイイことしようぜ』――。
 ただの一言も、声が出なかった。
 清水は辛抱強く俺の言葉を待ってくれて、それでもうんともすんとも言わない俺に呆れるでも怒るでもなく、それどころか「……今までさんざん俺のペースに合わさせちゃったのに、また俺の都合で進めようとしてごめんね」と謝った。そして、俺の髪をそっと撫でた。
「や、違」
 何が違うというのだろう。だってもう、誤魔化しようのないくらいに俺のものはすっかり萎えてしまっていて、声は絶望的に暗かった。なんだこれ、こんなの俺らしくねーよ。
「ごめんね怖がらせて。もう何もしないから、だいじょうぶ」
「は……おい、なんだよそれ」
「俺、今のままでもじゅうぶんだよ。だから……」
 最後まで聞くことなんてできなかった。気付いたときにはそいつの手を振り払っていて、情けなくて悔しくて、理不尽な怒りが湧く。
「……っんだよそれ」
 理性が働く前に怒鳴っていた。
「ッ怒れよ! 何笑ってんだバカ、なんで怒らねーんだよ!!」
 清水は訳が分からないという表情できょとんとしていて、それがまたやるせなくなる。「なんで、俺が怒るの?」この期に及んで寝ぼけたことを言うそいつに、俺は剥き出しの感情をぶつけてしまった。
「い――いくらでも、理由はあるだろ。散々偉そうなこと言っといて直前でビビッてんじゃねーよって、言えよ。いざ自分が突っ込まれるってなったらやっぱ無理ですとかふざけんなって怒ればいいだろ」
「なんで。怒るわけないじゃん。初めてのことなら戸惑うのはあたりまえだと思うけど……」
「だって――シラケたんじゃねーの、こんな」
「じゃあ逆に聞くけど、由良は俺がまだ心の準備できてなかったとき、いやだなって思ってた? 白けるとか面倒くさいとか、思った?」
 思うわけねーだろ。違うんだ、そういうことじゃないんだよ。俺は何が言いたいんだ。頭ん中ぐちゃぐちゃでうまくまとまらない。
 謝らなくちゃいけないと思って、でもそれがなんだか嫌で、口ごもったところに清水はまた微かに笑った。
「俺は、由良が俺の気持ちを否定しないでくれただけでしあわせだったんだよ。だから、由良がこんなことで悲しい顔する必要ない」
 ――――あ、分かった。
「……『こんなこと』って何だ?」
「え……?」
「自分が蔑ろにされてんのに『こんなこと』とか言ってんじゃねーよ! 傷付いたって言えよ、悲しいって言え! それとも何か、俺がどんな反応してもお前にとっては特に反応するようなことじゃねーってか!?」
 そんなわけないのは、分かっている。でも、俺にとっては声が出なくなるくらいの衝撃を受けたことだったのに。俺にとっては全然『こんなこと』ではなかったのに。
「俺はお前が好きで! 好きだから、好きなのに、受け入れられなくてっ……! 俺はな、別に男とヤることにショック受けてんじゃねーんだよ、好きな奴のこと受け止めるキャパの無かった自分にショック受けてんだよ分かれよ! お前俺の何見てんだよ!!」
 自分でもめちゃくちゃなことを言っていると思う。清水は焦ったような表情で、けれど言いたいことがまとまらないのかもどかしそうにしていた。きっとまた優しい言葉を選んで喋ろうとしてくれていて、だからこいつの喋り方はゆっくりなのに、今の俺にはそれを遮ってわめくことしかできない。
「好きだから受け入れたかったのに、それができなくてショックだったのに、それを当たり前みたいに言ってんじゃねー! お前にそれ言われちまったら、お前のこと好きな俺がバカみたいだろ!」
 そうだ。こいつはたぶん、自分の「好き」と俺の「好き」に差があると思ってやがる。だからいざとなったときに俺がこいつとのセックスにビビるのは当たり前で、仕方ないことだと思ってやがる。俺はそれがムカつく。たとえ気遣いの末の結論だったとしても納得いかない。だって、俺のこの気持ちは、今はもうけっしてこいつに負けてはいないと思っているのだ。それなのに、そう思っていたのは俺だけだったってことか。俺は自分なりにこいつのことが好きだと伝えてきたつもりだったし、行動でも示していたつもりだった。でもそれは、こいつにとってまったく、何も、意味が無かったってことだ。伝わってなかったってことだ。
 バッカみてえ。
「ゆ――由良、ごめん、あの」
「謝んな。聞きたくねえ」
 気が立っているときに何か言ったりするとロクなことにならないのは経験から分かっていても、どうにもセーブできなかった。こうして俺はまた、余計なことを口走ってしまう。
「……誰かと付き合ってこんなみじめな思いしたの、初めてだっつの……」
 言ってはいけないことだった。けれどつい口からこぼれた。
 すぐさま俺を後悔が襲う。清水が、泣きそうな顔で唇を噛んだのが見えたから。俺はもうそれ以上何も見ていられなくなって、清水の制止も聞かずあろうことか「ついてくんな!」とまで言い放ち、その場から逃げ出すことしかできなかった。
 それは、もしかすると人生で初めてかもしれない、「恋人との喧嘩」だった。

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