羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 それはおれの何気ない一言から始まった。
「じゃあ、一緒に何か作ってみる? 明日お互い大学休みだし、ちょっと遠出していい食材買いに行こうよ」
 ルームシェアをする上で料理を一手に担っていることに不満は無い。むしろ任せてもらえることが嬉しいし、やりがいがあると思っている。けれどまゆみちゃんはそれを若干気にしているみたいで、自分だって掃除やら洗濯やらの一切をやってくれているのにせっせと箸や食器を運んでくれる。
 今日も、まゆみちゃんはおれが調理しているところを後ろでそわそわと見つめていた。邪魔じゃないかな、大丈夫かな、とこちらを時折伺うように見てくるまゆみちゃんはなんだかかわいくて、どうしたのと聞いてみると「いや……俺、見てるだけしかできねえなって思って……」と控えめな発言。
 おれは全然気にならないけれど、まゆみちゃんがあんまり気にしてしまうのはよくない。おれも、掃除洗濯をまゆみちゃんに任せきりにしてしまっては一人で洗濯物も畳めなくなってしまうかもしれない。お互いの役割についてよく知るためにも、普段やっていることをちょっとずつ体験し合うのはどうだろうかと思いついた。
 突然の思いつきにしてはなかなかいいアイデアであるような気がして、早速まゆみちゃんに提案をすると「お前さえよければ……」と色よい返事がもらえたので嬉しくなる。じゃあ、明日は二人でお出かけだ。楽しみだね。
「おれも明日は普段まゆみちゃんがやってること手伝うからね」
「いや別にそんな大したことしてねえけど……? あ、そういや洗濯洗剤もうちょいでなくなる」
「せっかくだし日用品も買っとこう。男手あると荷物たくさん持てるね」
 基本的に生活費は完全折半。毎月決まった額を共用の財布に入れて、そこから自由に使っている。共用の財布を持ち歩くというよりは、普段自分の財布で買い物をして貰ったおつりを全額共用の財布に突っ込み、千円札を代わりに抜く……みたいな感じ。小銭が際限なく増えるので、おれが夕飯の買い物をするときとかはちゃんと共用の財布を持っていって、そこで消費するようにしている。
 特に足りないということもなく、ちょっとずつ月々の余りが貯まっていっている感じだ。卒業でルームシェアを終えるときに余った金額は等分にすればいいかな? と思っている。お互い無駄遣いするたちでもないので、こうしてたまに贅沢するくらいは構わないだろう。
 二人でひとつのお財布使ってるの、なんか同棲してるみたいだよね。とは、言ったことはない。
「誰かと一緒に料理とか、調理実習ぶりかも」
「そうなの? おれ、調理実習楽しくて好きだったなあ。玉子焼きとかハンバーグとか作ったよ」
「マジか。なんかやけに女子に絡まれるから苦手だった……」
「え、絡まれるって」
「『食べて』って言われる」
「ああー……」
 イケメン恐るべし。大学だとあまり授業が被ってないからそのモテっぷりを直接目にする機会はあまり無いけれど、同じ講義をとっている女子の話しぶりや飲み会に誘われている頻度がおれの軽く十数倍はあるのではということから推測するに女子からの人気はかなり高いのだろう。なんだっけ、『顔がよくて目が合ったら微笑んでくれるんだから落ちるのも仕方ない』だっけ? 罪な男だよまゆみちゃん。
 そういえば前、『大学だと家にいるときの百倍喋らなきゃいけなくなるから疲れる』って言ってた気がする。……おれと一緒にいるときの百倍お喋りなまゆみちゃん、想像できない。物静かだもんね。
「じゃあ、明日はまゆみちゃんが楽しく料理できるようにしようか」
「え」
 まゆみちゃんは一瞬驚いたような表情になって、小さく「……ありがとう」と言って笑った。うん、やっぱりこの控えめで言葉少ななまゆみちゃんの方がおれには合ってるみたい。明日が楽しみだな……と思いつつ、おれは最後の仕上げのためにフライパンの中身へと意識を集中させたのだった。


 まゆみちゃんの休日は、洗濯機を回すところから始まるらしい。
 手慣れた風に洗剤を量ってぱっぱと洗濯機に入れるまゆみちゃん。恥ずかしながら彼がこれまでどういう設定で洗濯をしていたのか知らなかったのでこれを機に教えてもらった。お風呂の残り湯があるときは洗いだけ残り湯を使って、すすぎは綺麗な水で二回、脱水十二分、乾燥機能は基本的に使わないで外に干す。
 洗濯が終わるまで一時間くらいかかるらしい。じゃあその間に先にごはん食べちゃおう、と今日の朝食は簡単にホットサンドだ。具はハムとチーズとトマト。食事が終わったら風呂掃除。洗面所も軽く拭いたりして、鏡の汚れにまで気を遣っている。ゴムパッキンの隅の方は、毛先の開いて使えなくなった歯ブラシを再利用すると汚れがよく取れるんだとか。ちなみに今日の掃除機はおれがかけた。うーむ、掃除機の重みが新鮮だ。
「まゆみちゃん、いつも軽々掃除機かけてるけどこれ結構重いね! びっくりした」
「あー、方向転換しにくいかも? 慣れるとそうでもねえけど」
「ハンディなのに多機能だよねこれ。まゆみちゃんが実家から持ってきたんだっけ」
「うん。俺の家、家庭用とハンディと二種類あったから片方貰ってきた」
 掃除機ほとんど俺がかけてたし、と呟くまゆみちゃんに感心しつつ、どうやら洗濯が終わったらしいので洗濯物を持ってベランダに出る。二人しかいないし、洗濯は三日ごとで十分だ。量もそこまで多くはなくて、二人がかりだとものの数分で干し終わってしまった。
 あとはトイレ掃除。これは週一らしい。週一でトイレ掃除してる男子大学生って他にいる? おれ、まゆみちゃん以外は知らないな……。でも確かにこの家のトイレは芳香剤も無いのに嫌なにおいがしない。とっても快適だ。
 今日ちょっと手伝ってみてよく分かったけど、まゆみちゃんは本当に綺麗好き。そして、おれはその恩恵を限りなく受けている。これはもう、料理にますます気合い入れなきゃだよね!
「……なんか気合い十分?」
「そうだね、頑張ろうって思った」
「あんまりハイレベルなことだと、俺がついていけないから優しくして」
「あはは、なにそれ。何かリクエストある? 食べたいものとか、作ってみたいものとか」
 まゆみちゃんは意外なことに悩まなかった。「ハンバーグ……」さっきのお前の話聞いて作ってみたくなった、とちょっと恥ずかしそうにしているまゆみちゃんにきゅんとしてしまったのは不可抗力だ。ハンバーグなら確かに、調理実習でやるくらいだしそこまで難しいことも無いよね。目玉焼きのせたりとかチーズ入れたりとか、ソース考えたりだとかアレンジ色々できるし。
「じゃあ今日の夕飯はちょっと贅沢なハンバーグだね! そうと決まればしゅっぱーつ」
「あ、おい、上着もっと分厚いのにしろって。寒いんじゃねえの」
「っとと、ありがとう。そうする」
 共用の財布を鞄に突っ込んだ。いつもなら徒歩五分のスーパーに行くけど、今日は電車で二十分のお店に行こう。肉も野菜も、専門店がちゃんとあるのだ。
 つけあわせの野菜は何がいいかとか、米もついでに買い足しておこうかとか、まゆみちゃんとこんなに詳しく食事について話し合うことは初めてだったからとっても楽しかった。たまにはこのくらい詳しく希望を聞いて作るのも悪くない。いつもはスーパーで安い食材を見つけてそこから献立を考えるか、まゆみちゃんに希望を聞くにしてももっと内容がざっくりしていたから、こうして細かく考えてみてもらうのも楽しいかも。どれだけ希望に応えられるか腕が鳴るね。
 大学生の休日は世間様で言うと平日だったりするのがいいところ。余裕を持って座れる電車内であんなのがいいこんなのがいいとひそひそ話をできるのはなんだか嬉しくて、二十分の距離があっという間だ。おればっかりはしゃいでたら恥ずかしいなと思ったんだけど、ちらりと横目に見たまゆみちゃんも眩しいくらいの笑顔だったから、ほっとするやらどきどきするやらでおれの心臓は大忙しだった。

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