羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 毎年、成人の日になると「ああ、もうすぐ誕生日だな」と思う。二十歳を過ぎれば誕生日に楽しいことなんて何も無いと思っていたのに、寧ろここ最近の誕生日の方が充実している気がする。中高生くらいの頃の誕生日の記憶、びっくりするくらい薄いわ。
 まあ、子供の誕生日だからと言って出張先から帰ってきてくれるような親ではなかったし、そもそも物理的に距離が離れていたからそんな我儘言えるはずもなかったけれど。誕生日はやっぱり、暁人と過ごすことが多かった。適当な女をひっかけたときだって、夜はどうしても家に帰ってきてしまった。なんだかんだ俺は誕生日というものを特別視していたのかもしれない。
 俺は布団にくるまってマリちゃんからのメールを読み返す。お祝い、どこに連れて行ってくれるんだろう? エスコートしてもらう側というのがなんだか新鮮でどきどきする。昔なら、こんな風に相手に任せっぱなしになんてしなかった。それは思いやりとかじゃなくてなんだか借りを作っているみたいに思えて嫌だったからだ。でも今は、嬉しいって思う。自分のために、血も繋がっていない誰かが何かをしてくれるって、こんなに嬉しいことだったんだ。
 マリちゃんとはあの後メールでやりとりがあって、来週に約束をしている。しっかり誕生日当日の約束だ。平日だけど受験シーズンだから、学校は休みになる。俺はOBだからちゃんとそれを知ってて、そのときを狙った。
『平日だから、チケットとりやすかったです』というマリちゃんからのなんでもないメールの文面すら可愛く思えて一人照れてしまった。マリちゃんの素直な言葉選びやふるまいにいちいち恥ずかしがっていては身がもたないと思うのに、いっこうに慣れる兆しが無い。なんかもう、かわいくてかわいくてどうしようって感じ。
 いつまでもベッドの中で浸っているわけにもいかないので気合を入れて起き上がる。今日は早出だし、洗濯物だって干さなきゃいけない。取り込むのは暁人にお願いしよう。二度寝するにしても洗濯物を干してからだ。冬は洗濯物が乾きにくいからな。
 リビングに行くと暁人はちょうど朝飯のサンドイッチを頬張っているところだった。
「ん、兄貴おはよ」
「おはよう。洗濯物干しとくから帰ってきたら取り込んどいてくんね?」
「りょーかい」
 なんだか暁人がにやにやしながらこちらを見ていて気色悪かったので、「……なんだよ、何か楽しいことでもあんの?」と聞いてみると「そりゃお前の方だろ」とにんまりされた。
「今年の誕生日は前倒しがいい? それとも後からがいい?」
「は? ……えっなんで俺が当日いないって知って」
「そりゃ万里は俺のダチだし。あいつもさー、気を遣いすぎっつーかめちゃくちゃ律儀だよな。俺にわざわざ話通すとか」
「マリちゃんわざわざお前に許可とってんの!? なんで!?」
「そりゃ、俺らが毎年家族で祝ってたっつーのを知ってるからだろ。『去年と違ってほぼ半日お時間いただくことになるから』って言ってたぞ」
「マジかよ……」
 つまり、俺が『もし都合がつくなら当日に会いたい』みたいなことを言った後、マリちゃんはわざわざこいつに連絡とってくれたってことか。気遣いが行き届いてるな……。なんとなく気恥ずかしくて暁人にどう切り出すか迷ってんだけど、とっくに知られてたんだ。
「弟の立場から言わせてもらうと、別に朝帰りでも全然オッケー」
「全然オッケーじゃねーんだよバカ、マリちゃんはそういうのじゃないからやめて。そういうのじゃないから」
「え、恋人なのに?」
「マリちゃんにそういうことに触れさせるのはなんかヤダ……きれいなままでいてほしい……」
「うわキッモ! マジでお前発言が危ないんだよ、あいつも高校生だし男だぞ」
 思いっきり顔をしかめられて、確かに言ってることは正当だと思うのに気持ちが納得しない。マリちゃんのことをそういう目で見ちゃいけない気がする。だってあんなに清らかそうだから。セックスとかからは一番遠いところにいそうだし、マリちゃんに対してそういうことを考えるのはすごく罪悪感がある。男子高校生っていうと大体がヤりたい盛りだというのは理解できる。俺も男だし。でも、それでも、あの子だけは例外に感じてしまうのだ。
 喋って、手に触れて、たまに抱き締めて。それだけで本当に嬉しそうに笑ってくれるマリちゃんを見ていると、もっと触れてほしいと思ってしまう自分がとても恥ずかしい人間のように思えてくる。キスだってしたい。服の上からじゃ届かない部分にだって触れてみたいし、触れてほしい。もっと、もっと。
 ……マリちゃんはそういう目で見たらだめ。あの子には欲ではなくて愛を向けたい。俺にも綺麗な恋愛ができるって思いたかった。
 まあ、こんなことを弟に言っても仕方ないしマジで気持ち悪がられそうだったので黙っとくけど。
「はー……なんつーか、俺も万里に対して夢見すぎみたいなこと言われたけどお前も大概だな」
「マリちゃんは現実だもん……」
「現実だもんじゃねーんだよ女子高生か?」
「……洗濯物干してくる」
「おー。いってらっしゃい」
 お前の分のパンは冷蔵庫に入ってる、と続けて言われたのでありがとうと返す。なんかさ、マリちゃんと一緒にいると俺の人間性とか人生とかの質もつられて向上してる気がするワケ。大事にしたいんだよ、そういうの。
 洗濯物も二人分だと結構楽だ。今日は天気がいいし、洗濯日和だった。タイマーをセットしていた洗濯機は今日もきちんと仕事をこなしてくれたらしい。カゴを抱えて庭に出る。
 天気はいいがやはり寒かった。寒いと人恋しくなってしまう。もうすぐ会う約束をしているというのに、マリちゃんの声が聞きたいなあ、なんて思ったり。なんでだろ、聞いてると安心するんだよね。背が伸びたからか最近は声も初めて会った頃より低くなっている。成長期ってマジでミラクルだよ。
「……ん? あれ?」
 寒さに首を竦めてなんとなく家の前の道路に視線を向けたとき、いよいよ幻覚が見えるようになったのかと思った。道の向こうから歩いてくるマリちゃんを見つけたからだ。いくらなんでも欲望に忠実すぎる幻覚じゃないかと慌てて目を擦って、けれど幻覚は消えない。それどころかこっちに向かって手を振ってきた。え、本物?
「セツさん、おはようございます」
 ほ、本物だった……! 慌ててテラスから降りて、植え込みの隙間からマリちゃんに挨拶をする。「おはよう! マリちゃんどうしたの? 暁人に用事?」それ以外思いつかなかったからとりあえずそう聞いてみると、マリちゃんは恥ずかしそうに首を振った。
「今日はなんとなくセツさんに会える気がしたんです。朝練が無かったので、駅からちょっと遠回りしてこっちに来ました」
「えっ……」
 俺に会いにきてくれたの? 暁人じゃなくて?
 マリちゃんは何故だかちょっと焦ったような表情になった。「あの、ごめんなさい……事前に何も言わずに来てしまって」俯いたマリちゃんのことを抱き締めたいのに植え込みが邪魔だ。でも玄関から回りこむ時間も惜しい。
「ほんとうは、遠くからでもセツさんのことが見つけられたらうれしいなって……そしたら今日一日いい日になるだろうなって、それくらいの気持ちだったんです。でも、セツさんがおれを見つけてくれたので、ついお声掛けしてしまいました」
 なに、俺のこと発見できたらラッキーって思ってわざわざ遠回りしてこっちの道通ったってこと? そういうことだよね? 駅からだと、こっちの道を通るんじゃ五分くらい余分に時間がかかる。そのくらいの時間を使ってもいいって思ってくれたんだ。というか、会いにきてくれたんだ。
「……あ、りがと……俺も、会いたかった」
「ふふ、そうですか? 嬉しいです」
 リップサービスとかじゃないよ。ほんとにほんとに思ってるから。そっと手を植え込みの向こうに伸ばすと、マリちゃんは俺の手のひらに自分の手のひらをぴたりとくっつけて笑った。そのまま、指の隙間を指で埋めるようにぎゅっと握る。……恋人繋ぎだ。
「暁人にばれないようにもう行きますね」
「う、うん……」
「今日は早出だっておっしゃってましたよね。お仕事頑張ってください」
 すごい、俺きっと今日めちゃくちゃ仕事頑張れるよ。だってこんなにたくさん嬉しいことばっかりあったから。家の中から「おい! お前いつまで洗濯物干してんの!?」という暁人の叫び声が聞こえてくる。やべ、全然干せてない。「お邪魔してしまってすみません」とマリちゃんが言うので、「全然! 気にしなくていいから!」と慌ててそれだけ返した。
 学校の方へと駆けていくマリちゃんの後姿が豆粒くらいになるまで、俺は庭に立ち尽くしていた。
 そこから更に十分くらいかけて洗濯物を干し終えて、ようやく家の中に戻ると暁人はまだ制服に着替えてすらいない状態で「何してんだよ、そんな洗濯物多かった?」と呆れ顔。
「……お前って学校行くの何時くらいだっけ?」
「は? あと四十分くらいしたら出るけど」
「遅刻ぎりぎりじゃねーか!」
「なんだお前突然……遅刻ぎりぎりなのなんて小学校のときからだろ……」
 確かにそうだ。マリちゃんは朝練が無くておまけに遠回りしてもこの時間なのか……と改めて感動を覚える。まだ、繋いだ手の感触が残っている気がして一人で顔が熱くなった。
「……今日は夕飯作る。今からやる」
「えっまた寝るんじゃねーの? いや、夕飯あるのは嬉しいけど……」
「今の俺はやる気に満ち溢れてるから。何食いたい?」
「マジか。じゃあ煮物にしようぜ、冷蔵庫の卵さっさと消費しねーとだろ」
「あーそういやそうだな……よし、煮玉子作るか」
 牛肉と糸こんにゃくがあるから、すき焼き風にしよ。
 普段だったら面倒で投げてしまいがちなことを頑張ろうと思える。あの子のお陰だ。暁人も「夕飯コンビニのつもりでいたけど今日はラッキー」と嬉しそうに見える。気持ちが上向きになるし、いいことがありそうな予感すらする。たった一人、大好きなひとがいるだけで全てが上手くいく気がする。
 ……こんなしあわせでいいのかなー。

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