羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


『ゆっ、佑護聞いてよ! 男同士のことについてこっそり調べてたんだけど、あんなことしたら佑護絶対痛いよね!? 心配になっちゃった……』
 大牙がそんな電話をかけてきたのははたして何日前のことだっただろうか。俺に言っている時点でもう全然「こっそり」ではなくなっているのだがいいのか? と場違いに和んでしまった。一瞬遅れて大牙の言いたいことを察してしまって、しどろもどろになって何を話したかよく分からないまま電話を切った。今は物凄く後悔している。
 やっぱりあいつ、俺が当たり前に女役だと思ってるだろ。
 別にそれが不満なわけじゃない。寧ろ、俺は現状で自分があいつを抱くビジョンなんてのは一切見えていない。想像できないのだ。あいつの仕草や言葉選びや俺の言動に対する反応をかわいいと思うことは多々あれど、じゃあ犯したいかと言われると思考がストップしてしまう。でもあいつには触れたいし、触れてほしいとも思っている。
 だからあいつがもし俺を……その……抱きたい、と、思ってるなら。俺は別にそれでいいのだ。確かに怖いけれど、諸手を挙げてさあどうぞとは言えないけれど、あいつを好きって気持ちの方が上回る……と思う。たぶん。きっと。ただ、身長が余裕で百八十を超えるような男にあいつが欲情できるのかどうかが不安ではあるが。いざヤるときになってやっぱ男は無理って言われたら立ち直れないかもしれない。
 懸念していることは他にもあって。この先もしそういう雰囲気になったとして、俺は大牙に「抱いてくれ」って言うべきなんだろうか。え、言うのか? 俺が? 自分から? あまりの恥ずかしさに想像しただけで若干泣きそうになった。というか、そんなことをほざいている自分を想像すると普通に気持ち悪くて引いてしまう。でもあいつを犯すところよりもよほど具体的に想像ができる辺り、自分でも内心どちらの可能性の方が高いかを分かっているというのがうかがえて余計に恥ずかしかった。
 そもそもこんなことを考える羽目になってるのは、俺が最初にあいつの熱量にびびっちまったせいなんだけど。たぶん、未だに少なからず怖がってると思われてる。間違いってわけでもないからいたたまれない。あいつはきっともう、俺が「いいよ」と言わない限りはそういうことをしようとはしてこないだろう。こんなことなら想いを伝えたあの日、あの勢いのまま最後まで完遂しておけばよかった。制止したのは俺だからこれも自業自得だ。
 見守ってて、と言われたけど。最近ずっと足りなくて苦しい。
「佑護今日泊まってくでしょ? 布団、身長足りなかったらごめんね」
「流石に布団からはみ出すほどでかくねえよ……ありがとう」
 大牙の何気ない言葉にもどきどきしながら返事をしている俺は一体なんなんだよ。なんでこんなに恥ずかしいんだろうか。俺、気にしすぎなのかもしれない。内心で百面相しながら、隣で「夕飯どうしようかなー」とのほほんとした笑顔を浮かべている大牙にどっと脱力した。なんだか俺ばかり相手のことを好きみたいに感じる。そんなわけはないと、分かっているのに。
「お前さっきケーキ食ってたじゃねえか……もう夕飯のこと考えてんのか」
「え、このくらい平気だよ? 食事の前に甘い物でもそんなに気にならないなー。消費カロリー多いから油断するとすぐエネルギー切れる!」
 まあ確かに。たくさん食ってたくさん運動して、健康的だな。
「佑護ってダイエットしてるの? ボクシングの名残?」
「だから減量をダイエットって言うのをやめろ……」
 確かに体重計に乗る癖はついているけれど。ボクシングはやめたが、いや、やめたからこそ若干気をつけているところはある。昔は大会前にウェイト調整したりで割と節制した生活を送っていたと思うから、急にドカ食いすると一気に太りそうで怖い。太るのが怖いというか……自分的にベストのコンディションを崩すのが怖い。大会前に一気に体重を落とす、というのが昔から性に合わなくて日常的にある程度はキープしていたから余計に。今より絞ると体力が落ちるし、太るとなんとなく動きづらく感じる。大体プラスマイナス三キロくらいの間。
 荒れていたときは昼にコンビニのパンやおにぎりで腹を満たすこともあったが、ちょうど弓道部に入部した辺りから、母親が弁当を持たせてくれるようになった。……というか、作ってくれるのを俺が拒否しなくなっただけだ。思えば随分と親不孝をしてしまった。
「でも佑護って身長のわりにかなり絞ってる方じゃない? 腰とかめちゃくちゃ細くてびっくりする」
「俺は今の体型がベストなんだよ。ちょっと軽いくらいが動きやすいし」
 後はまあ、膝に負担がかからないし。
 それに、今だってちゃんと筋肉は残ってるからお前が想像してるより体重あるぞたぶん。調子に乗って減量しすぎるとパンチも軽くなるしな。……っつうか俺、普通にこいつと焼肉食ったりとか鍋の後にケーキとかしてるよな? 認識されてねえのか? 別に女みてえにカロリー制限してるわけじゃねえよ。
 自分が思っている以上に、ボクシングをしていた頃の生き方は俺の体に染み付いていた。でも、夜九時以降の夕飯が許容できるようになったのはかなりの進歩だと思っている。なんか、夜食って悪いことしてるみたいでちょっとわくわくするよな。
「じゃあ今日は麻婆豆腐にしよう。豆腐だからヘルシーな気がする」
「えっお前作れるのか」
「スーパーで麻婆豆腐の素買おうよ。ひき肉と炒めて後から豆腐入れるだけで完成するやつ」
「おー……確かにそれなら俺たちでも作れそうだな」
 大牙は、俺と二人のときは案外自炊をしようとする。由良と一緒のときはピザをとったり外食をしたりが主らしいけど、俺とのときはそうでもない。だからと言って俺が料理をすることを期待しているわけでもないようで、かなり謎だ。
 スーパーで材料を買って並んでキッチンに立つ。この際だから聞いてしまおうと思って、「なあ、俺と一緒のとき自炊が多いのってなんか理由あるのか」と尋ねてみる。大牙はあっさりと、「だって家の中なら二人っきりになれるでしょ?」と答えた。
「家の方が落ち着いて喋れるし、ゆっくりできるし。佑護って食事に気を遣ってる方だと思うから、あんまりジャンキーなものばっかりにしちゃうのも悪いかなあって」
 気を遣われていたのかと申し訳なくなったのは一瞬のことで、大牙が続けて口にした「それにほら、こうしてキッチンに並んで立つの、新婚さんみたいでちょっと楽しくない?」という台詞で盛大に動揺した。新婚さんって。どうにかこうにか「そ、そうか……」と相槌を打つ。
 大牙は本当になんでもない顔でこういうことを言うし気軽そうに笑っているから、俺ばかり好きという気持ちに振り回されているようで恥ずかしかった。
 真剣な表情で豆腐を等間隔に切っている大牙。その表情はいつも通りだ。まったくの健全ですって感じで、まさかこいつが時に熱を孕んだ目で迫ってくることがあるなんて、実際に見ていなければ想像もできないだろう。俺は、気持ちを落ち着かせるために、鍋で炒めているひき肉からじわじわと油が染み出すのに神経を集中させた。こいつよりはまだ俺の方が料理に慣れてるから、ちゃんとしねえと。


 麻婆豆腐はなかなか美味かった。大牙が切った豆腐はちょっと大きくて、二人で「食べ応えがある」なんて笑いながら綺麗に食べきった。明日は休みだからゆっくりできる。選択科目の宿題が難しい、とか、休み明けにある英語のスピーチの練習をしないと、とか、テレビのバラエティを流しながらとりとめのない会話をする。
 だから、いつの間に「そういう」雰囲気になったのかは分からなかった。
 ふと目が合って、それが思いのほか真剣な表情だったからどきっとした。目が逸らせなくてその瞳を見つめていると、軽くキスをされる。
「ねえ、風呂入らない?」
 一緒に、って意味だと分かった。これをオーケーしたらどうなるのかも、予想できた。
 たぶん、一人で入ると言えばその言い分は通るのだろう。けれど、いつまでもここで足踏みしているわけにもいかなかった。正直に言うと、キスされた時点で自分のスイッチが切り替わってしまって、テレビなんて観ていられる状態ではなくなってしまっていた。
 びっくりすることに、口を開いたのに声が出なかった。焦ってうなずくと、怖いの我慢しちゃ駄目だよと優しく言われる。いいんだよ、この我慢は駄目な我慢じゃないんだから。お前とまた一歩先に進むために必要なんだよ。俺だってちゃんと、お前に触りたいしお前に触ってほしいと思ってる。
 言葉で伝えきれないのがもどかしかったから、俺は目の前の唇に自分からキスをする。大牙は何故かここで困ったように笑って、「そういうとこかわいくてずるい」と優しく俺の手を引いて歩き出したのだった。

prev / back / next


- ナノ -