羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 それから、俺の生活が劇的に変わったかといえばそうでもなかった。元々白川とは学校での生活圏内が殆ど被らないというか、交友関係で重なる部分が殆どないので一緒に行動するというような事態にもならない。初めてあいつから登校時に声をかけられて以来、その僅かな時間だけは何故か頻繁に見かけるようになったけれど。白川は、人目のあるところでは普段通り口数の少ない奴だった。
 強いて言うなら、目の合う回数が増えただろうか。なんとはなしに視界に捉えると、あいつも俺を見ているということが多くなった。そのたびにあいつがほんの少しだけ表情を柔らかくするのがなんとなくくすぐったいような気がした。妙なところで恋人っぽさを演出しなくてもいい、とも思ったのだが、本当に恋人相手にするならまあ悪くない対応だったので敢えてやめろとは言わないでいる。
 そしてもうひとつ、分かったことがあった。
「朝倉」
「? あれ、お前部活は」
「今日は大会明けだから休み。なあ、これから時間あるか」
「な……くはない、けど、なんで」
「一緒に帰れないかと思って。帰りの時間が被ること、そう無いから」
 どうやら家が近かったらしい。白川の家は、話を聞けば俺の家と電車で三駅しか離れていなかった。少し悩んでからまあいいかと了承し、クラスメイトからの「拓海またバイト?」という声を適当に躱して白川と落ち合った俺は今、とても気まずい思いをしている。
「……おい」
「ん?」
「お前、黙ってねえで何か喋れよな。気まずいだろ」
「ああ……そうか。ごめん、そうだよな」
 表情からはいまいち読み取れないが、焦っている……の、か? 分かんねえなーこいつの考えてること……。
「緊張してたんだよ。何喋ろうかと思って」
「いやいやいや、俺相手に緊張してどうすんだ……」
 そこまで人見知りにも見えねえんだけど。なんて、軽口を叩きながらも並んで歩く。そういや俺を誘ってきたのは例の予行練習とかいう感じのやつなんだろうか。最初から完璧を求めるのも酷だろうと思い、俺はいくつかの話題を振ってみることにした。部活のこととか、学校のこととか。部活の話を最初に振ったのは正解だったようで、真面目に部活動に取り組んでいるらしい白川の口はとても滑らかに喋った。これから涼しくなってくれば蒸し風呂のような剣道場から解放される、と言ってとても嬉しそうなのが印象的だ。
 俺は帰宅部なので、朝も放課後も時には休みの日も使って練習するような部活動は正直よくやるよなという気持ちとそんなに熱中できるものがあるなんて羨ましいという気持ちとが半々。どうやら白川の緊張も解けたのか、そこからは言葉少なながらもぽつぽつと会話が続くようになった。無駄に騒がない静かな喋り方はなんだか新鮮で、盛り上がるといった感じではないがゆるやかに時間が流れているような気持ちのよい道中だったと思う。
 そしてようやく駅が見えてきたかという頃、話題は個人的な好みのあれこれにまで及んでいた。
「なあ、お前って普段どんな曲聴いたりしてんの? 音楽番組とか見そうにねえよな。好きな歌手とかいる?」
 その話題を選んだことに特に理由はなかった。ただ、女と喋るにしてもこういう話題なら当たり障りもないだろうし、話の流れでカラオケに誘ったりもできるよなということを思ったので白川に身を以て学ばせるべく聞いてみたのだ。すると白川は「歌手じゃないんだけど」と前置きしてとあるユニットのことを好きだと言った。
「えっ!」
 思わず出てしまった俺の声に白川がびくっと肩を跳ねさせる。「ど、どうしたんだ?」探るような声音にも構わず、俺はそいつとの距離を詰めた。微妙にあいていた隙間が縮まる。
「俺も好き」
 白川の表情が珍しくはっきり変化が見てとれるくらいに変わった。目を見開いて、口もぽかんとしている。何をそんなに驚くのかと少しだけ疑問に思いつつも興奮さめやらぬ気持ちで続けた。
「俺もそのアーティスト好きだ。知ってる奴身近で見つけたの初めてかもしんねえ」
「え、あ、ああ……」
「昔有線でかかってたの一回だけ聞いてさー、曲名も何も分かんねえから探すの大変だったんだよ。お前はどうやって知ったんだ?」
 歌詞のない曲だったから余計に見つけるのは難しかった。仲の良い奴らと好きな曲とかの話になったときにさらっと交ぜて話をしてみたことはあったのだが、俺の周囲ではマイナーなのか知っている奴はいなかったのだ。それが意外なところで話のできる奴に会うなんて。
 白川は僅かに眉を下げて笑って、「好きな奴が聴いてる曲だったから」とだけ言った。駅の改札を通ると丁度電車がホームに入ってくるところで、小走りになりながらも乗車し話を続ける。
「マジで? 女でこの曲知ってる奴がいんの? おい、寧ろその子俺に紹介しろよ」
「流石にそれは無理だ」
「はー、ここまで献身的に協力してやってるっつーのに。……別に、お前の好きな奴横取りしようとかは思ってねえよ? まあ相手が勝手に惚れてくるのには責任持てねえけど」
「別にそういう意味で無理って言ってるんじゃないって」
 じゃあどういう意味なんだよ。っつーか反応しそびれたけどお前好きな奴いるんだな。いや、好きな奴がいないなら俺にこんなこと頼んだりしないか。そうかそうか。一体誰なんだろう。最有力はこの間ひっぱたかれてた女子だろうか。すごい速さで去っていったから、酷い形相だったことくらいしか記憶にない。やっぱりなあ、女は笑顔が一番だよな。
 もう一人ファンと知り合えるかもしれないという可能性はあっけなく潰えた、が。
「んー……でも、これからはお前と話ができるからいいや」
「え」
「なんだよ。ほら、あんま有名になっちまってもなんか嫌だけど、一緒に話せる奴が一人もいないっつーのも残念だろ」
「あ、そう……だな、うん」
 こいつさっきからロクな相槌うたねえな。「え」だの「あ」だのなんなんだよ。もっとちゃんと喋れって。
「にしてもお前、どんだけトロいんだと思ったけど好きなやつの好きなものちゃんとチェックしてるんだな。意外」
「……お前のなかで俺ってどういうイメージなんだ?」
「クソ真面目で娯楽なんて知りませんってイメージだった。でも違ったな。偶然だけど、俺も自分の好きなもの知ってる奴に会えて嬉しいぜ」
「はは、それはどうも。よかったよ、本当に」
「今日初めてお前との間に生産的な関係を築けた気がする」
「そうかよ、じゃあ」
 次はお前の好きなもの、もっと教えてくれよ。そう言って、白川は開いた扉からホームへと降りた。どうやら話し込んでいるうちに最寄駅へと到着していたらしい。扉が閉まる直前、咄嗟に「またな」と言うと「ああ、また明日」なんて返ってきた。
 電車がゆっくりと動き出して、ホームの風景が後ろに流れていく。白川も一緒に遠ざかる。
 そいつはなかなか動かないままでいた。俺もなんとなく白川から目が離せないでいると、視界の端でそいつの唇が僅かに動いた気がした。
(――――、)
 なんだ、なんて言ったんだ?
 いや、もしかしたら俺の見間違いで喋ってなんていないのかもしれないけれど。
 僅かな疑問とじんわりとした充足感を胸に、俺は家の最寄駅までの残り三駅を一人のときにしては珍しく、音楽を聴いたりせずにゆったり過ごしたのだった。
 先程までの会話を反芻してみながら。

prev / back / next


- ナノ -