羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 荷物はロッカーに預けずに済んだ。歩き出して数メートルの時点で、弟が早々に「つかれた!」と言って戻ってきたからだ。おいおいと思ったけれど、一緒に戻ってきてくれたらしい宏隆くんの脚を砂に埋めたりして楽しそうにしている。
「あ。あったかいよ、砂風呂ってかんじ」
「マジで! このままデトックスできるじゃん」
 あんまり深く掘りすぎるとつめたい、とはしゃいでいる二人にいってきますと一言声をかけて海に入った。泳ぐのは割とすき。今日は日差しもそこまで強くなくていい感じ。マリちゃんもすいすい泳いでいたので、運動全般好きなだけでなく得意でもあるのだろう。
「遠くから見るのもいいですけど、近くに来てもきれいですよね」
 ぱしゃり、と水を掬い上げてそんなことを言うマリちゃん。確かに海面はきらきらと光を反射して、ちょっと眩しいけど綺麗だ。遠くから見たときはあんなに深い青緑なのに、なんで近付いたら透き通ってるんだろう。
 ふと、マリちゃんにじっと見られているのに気付いた。「な、なに?」なんだかどぎまぎしてしまって、変なものでもついてるのかなと襟足の部分を掻きあげたらマリちゃんは目を細めて笑った。
「いえ、すみません。セツさんの髪がきらきらしててきれいだなって思ったんです」
 セツさんは髪が濡れるとちょっと幼く見えますね、と楽しそうに言うマリちゃん。水気を吸った黒髪から、ぽたり、と雫が落ちた。
「あの、マリちゃんもすげー綺麗に筋肉ついてるよ……」
「えっ? そんなところ褒められたの初めてです。ありがとうございます」
 思わず口をついて出た本音にマリちゃんは水に浮かびながら器用に頭を下げた。こんなほぼ裸みたいな状態で見るのは初めてだったから、これまで薄々自分との差を感じてはいたもののちょっとした衝撃を受けるくらいには新鮮な気持ちだ。同時に、もしかしなくても俺も見られてるんじゃ、と恥ずかしい。俺どちらかというと貧弱寄りだから、あんま見ないでね。
 水に浸かっているというのにのぼせそうな気分だ。女と海に来ることはこれまでに何度かはあったけど、こんなちゃんと泳いだり、何より好きなひとと一緒にこういうところに来るっていう経験が無かったから、大げさなんじゃないかってくらいにどきどきしている。
 余計なことを考えないように思い切り運動して疲れたい気分だったので、マリちゃんも一緒にたくさん泳いだ。こんなしっかり泳ぐの中学ぶりとか? 途中、ちょっと離れた岩場の陰に小さなカニを見つけたり、内側がオーロラみたいな色に光る貝殻を見つけたり、かなり満喫してしまった。
 ぐるっと海を回ってきて、やはり割とガチめに泳いでいたらしい大牙くんたちを見つけて声をかけると「海たのしいー!」とこちらもかなりエンジョイできているらしい。どうやら途中までは暁人たちと一緒にいたみたいだ。この二人は体力あるみたいだから、早々の休憩はいらなかったのだろう。
 いい具合に日も高くなっていたので、四人一緒に戻ってパラソルの下に集合。海に行くときは砂に手を突っ込んではしゃいでいた弟は、今は随分と雑な砂の城を構築中だった。城っていうか……ドラクエにこういう敵モンスターいそう……。
「あっ戻ってきた! なあそろそろ飯食う? 肉焼く?」
「確かに腹減ってきたね。準備しよっか」
 こういうとき息ぴったりな幼馴染は見ていて楽しい。そこからはもう大騒ぎで、みんなでやいのやいの言いながらバーベキューの準備をしてひたすら肉を焼いた。佑護くんが意外にも手際がよかったので色々手伝ってもらったり。ちょっと目を離すとすぐ肉が焦げそうになって、そのことにみんなで慌てて、途中からパイナップルとかマシュマロとかもうバーベキュー全然関係無いものまで暁人が焼き始めたりもして、笑ってばかりの昼食だった。
「暁人! 網にめっちゃマシュマロくっついてるし! なんで炙るだけにしとかないの」
「いいだろそのくらい! ガンガン焼いて炭にして落とせよ」
「あ。焼いたパイナップルおいしいねぇ」
 食材周りの諸々を担当していた俺と佑護くんと、あとはこまごまとしたことを手伝ってくれたマリちゃんは、残りの三人がマイペースに網を汚していくのを微笑ましく見ていた。もう結構長い付き合いになるし、集団での役割分担って自然に決まるよね。
 そんな感じで腹も満たされて、一息ついたとき。網を返してくると言ってたかたか走っていった弟が、たかたか走って戻ってきたかと思えば「兄貴兄貴! 向こうにカキ氷売ってる!」と満面の笑み。奢れってか。いいよ。お前ああいういかにも人工的ですって色の食い物昔から好きだったよね。たまにスーパーに売ってるえげつない色のゼリーとかさ。
 じゃあみんなで食べに行こうという話になって、男六人海岸の出店の前で大いに悩んだ。俺がガキの頃っていちごメロンレモンくらいしか種類無かった気がするんだけど、今はかなり種類が豊富だ。店主のおじさんが「ウォッカを氷にぶっかけても美味いよ!」とおすすめしてくれたけど流石にそれは辞退する。子供の手前ね。っつーか今飲んだらアルコール回ってやばそう。
「おっちゃん俺ぶどうとカルピス半分ずつかけて!」
「なんでお前はメニューに書いてないもの頼むの!? あ、おじさんメロンください!」
「じゃあ俺は桃にしようかなあ。ゆうくんは?」
「……レモン、がいい」
 おじさんは、「いっぱいお金使ってくれたからサービスだよ」と言って暁人のワガママを笑顔で聞いてくれている。あああ……申し訳ない……。いたたまれない気持ちになりつつブルーハワイを注文した。振り返って、氷を削っているおじさんを目をきらきらさせながら見ているマリちゃんに声をかける。
「マリちゃんは何味がいい?」
 ちょっとだけ悩ましげな顔をしたマリちゃんは、机の上に並べてあるシロップを順番に見て「ええと……いちご、にします」と嬉しそうに笑った。もしかしてカキ氷食べるの初めて? 確かにこういう人工着色料甘味料満載ですって感じのもの、マリちゃんの家では出てこなさそう。
 他の食べ物では絶対にお目にかかれませんって感じの鮮やかなブルーを手渡されて、一口すくって食べると、やっぱりどこがハワイなのか分からない味がする。でも美味い。ふと隣を見ると、一気に口に入れすぎたのか暁人が「あっやばいキーンってする! キーンってする!」と眉間を押さえて騒いでいた。
 ワガママを聞いてもらったぶん気持ち少し多めにお金を払って、パラソルのところまで歩きながらカキ氷を食べた。先端がスプーンのように丸く広がったストローで氷を崩すと、しゃくしゃく音がして楽しい。
 どうやら隣を歩くマリちゃんもその音を気に入ったようだった。実に楽しそうにしゃくしゃくしている。
 あ、そうだ。
「マリちゃんマリちゃん」
「はい、なんですか?」
 視線がこちらに向くのを確認してから、べ、と舌を出す。マリちゃんの瞳がまんまるになって、ぱち、ぱち、とゆっくり瞬きをするのがなんだかおかしい。
「青くなってます」
「マリちゃんの舌も赤くなってるよ」
 俺の言葉にマリちゃんは、控えめに舌を出して首をかしげた。なにそれめっちゃかわいいんだけど。案の定マリちゃんの舌はいちごシロップで赤くなってて、ほんのちょっとだけやらしいなあなんて思う。
 なんだかそのことが恥ずかしくなって、誤魔化すように「かわいいね」と言うとマリちゃんはそっと舌をひっこめて恥ずかしそうに俯いた。舌を出したのを、行儀が悪いと思ったのかもしれない。
「うわっ大牙お前のべろキモくね? エイリアンみたい」
「紫色してる奴に言われたくないんだけど……」
「清水はあんま色変わってねーな。まあ桃だからか」
「ひとくち食う? ぶどうカルピスちょっとちょうだい」
「あっじゃあ俺も佑護のレモンひとくち欲しいな。だめ?」
「ん……好きなぶん取っていい」
 鮮やかな舌を見せ合ってかき氷を交換している高校生を眺めていると、腕にとんとん、とつつかれた感触。
「セツさん、ひとくちいかがですか」
 そんな期待のこもった目で見つめられては応えないわけにはいかない。「交換しよっか」と俺もかき氷のカップを差し出す。
「ん。美味しい」
「よかった。ブルーハワイって、何味なんでしょうか……」
「そういや考えたことなかった。ガキの頃はソーダ味だと思ってたけど、今食べてみるとなんか違う感じ」
 ブルーでハワイってどんな味だよ。カクテルの方のブルー・ハワイなら材料分かるけど、あれとも全然違うしな。
 青く光を反射するかき氷を丁寧にすくって口に運んだマリちゃんに、試しに「……どんな味した?」と聞いてみる。マリちゃんは数秒黙って、やがてふわりと笑った。
「楽しい味が、します」
 どきっとした。楽しい味、と言ったのか。
 そんな風にこの味を表現できるの、ほんとに好きだな。
 俺も手元のかき氷をすくってもうひとくち食べる。マリちゃんと分け合ったからか、それはさっきよりも一段と美味しい気がした。

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