羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 さくらちゃんの病態は劇的に快復することはなかったけれど悪くなることもなくて、穏やかな日々が続いていた。オレの金曜日の昼ご飯はあいつの手作り弁当だったし、土曜日にはさくらちゃんと色々な話をした。高槻は一年の頃の出席日数の少なさをどうにかカバーできるくらいには学校に来られるようになっていた。
 そして思わぬ副産物が、高槻が一年のとき以上にモテるようになったこと。精神的に余裕ができて、近寄りがたい雰囲気がほんの少し和らいだからだろう。まあ相変わらず男友達はさっぱりみたいだけど。
 高槻は基本的に告白を断らない奴だった。あいつ、男女で態度は凄まじく変わるけど美醜で対応を変えたりはしないから、そういうところもいい、らしい。女子が言ってた。まあ確かに、男に対する態度も特段「悪い」とは言えないんだよな……愛想は無いけど。
 そういう話オレの前でしていいの、って女子に聞いたら、「八代くんと話しててもなんか女子トークって感じで気にならない」と言われてめちゃくちゃ落ち込んだ。オレは男だよ……しかしながらオレの身長は未だ百六十にもギリギリ届いていないのだった。たぶんね、高槻と並んでるから余計に小さく見えるんだと思う。女子によく「あれっ、八代くん私より背高いんだ!? 意外ー!」って言われる。朗らかに。
 まあそんな感じで、高槻は歳の割にかなり背も高かったから併設された高校の女子からもよく話しかけられたりしてた。これはオレもびっくりな事実なんだけど、イケメンが廊下歩いてるとマジで振り向いてまで目で追うんだよ女子って。漫画の中だけだと思ってたよ。いや、気付いてないだけで男も同じようなことしてるのかもしれないけどね。
 高槻は告白を断らないけど、付き合って長続きはしなかった。あいつは告白されると決まって、「一緒に登下校とか昼飯とか休日出かけたりとか一切無理。こまめな連絡も無理。それでもよければ」と言う。何も知らない奴からしたら完全に断り文句だと思われるんじゃないの、と事情を知っているオレとしてははらはらしてしまうんだけど、まあ言ってる内容は事実だ。大体みんな、長くてひと月もすれば高槻の言葉にまったく誇張が無いということが分かって「もう無理」とギブアップしていく。ひとつだけ、「こまめな連絡も無理」は嘘だろと思って聞いてみたことがあったが、それも本人にしてみれば嘘じゃなかったらしい。
「携帯持ってるとか言わねえし。っつーか連絡先教えたとしていちいち携帯見なきゃなんねえのダルい。電話帳に名前増やすのも嫌」
「え、うっそだあ……お前めちゃくちゃ返信早いじゃん。いつも手元にあるでしょ携帯」
「俺の携帯に連絡入るのは大体緊急のとき。親とか病院とか……だから肌身離さず持ってるけど、携帯鳴るのあんま好きじゃねえんだよ。よくないことが起こってるってことだし」
 高槻の返答は初めて聞く事実だった。考えてみれば確かにという感じ。え、じゃあオレあんま連絡しない方がよくない? なんてちょっと冷や汗だったオレはすぐさまそう言った。そしたら。
「……相手がお前だから、ちゃんとメール確認するし早めに返信してんだけど?」
 この、ときの、オレの気持ちね。あーはいはいそういうことさらっと言えたらそりゃモテないわけがないよ……って男として完全に負けているのを感じた。そんな素敵すぎる特別感を出してこないでほしい。
 まあ実を言うとオレがこいつの周囲に寄ってくる女子たちに対して軽い優越感のようなものを覚えてしまっているのも確かなんだけど。
 だって考えてもみてほしい。こんな、赤の他人には愛想がいいけどそれ全部猫被りですって奴が、素のままだとデフォルト無表情で笑顔の無駄撃ちなんてしたくないですって奴が、オレの前だと普通に笑うんだよ。オレが相手だったら都合があえば一緒に途中まで帰るし、昼飯なんて手作りしてくれるし、休みの日は遊びに行ったら駆け寄って出迎えてくれるんだよ。こんな最高の男が、人生のリソース割いてオレと一緒にいてくれる。これで優越感覚えないの、逆に失礼じゃない?
 たぶん、高槻が女子に告白されているのを遠目に見ながら「次は何週間もつかな」って優越感に浸ってるオレはかなり、性格が悪い。
 なんでだろう。高槻がこの生活をしている限り、こいつがそういうことに本気にならないって確信してる。それに安心感を覚えている。それはまるで底なし沼に足をとられているようで、そのくせ妙に心地よくて、こわい。


 三年になって、オレは何故か風紀委員長に祭り上げられていた。部活に入ってなくて暇だろ、とのことだ。うちの中学は部活の引退っていう概念が薄くて、文化部なんて冬くらいまで平気で活動してたりする。エスカレーターで高校まで進学する奴が圧倒的多数だからだ。内部進学生はよっぽどやばい成績じゃなければ基本的に受験勉強一切なしで進学できる。そんななかで帰宅部のオレはかなり分が悪かった。というか、委員会の中で帰宅部オレだけだった。嘘でしょ? そんな部活動盛んな中学じゃないじゃん。とかなんとか、今更言っても遅い。
 そんなわけでオレは風紀委員長とかいうめちゃくちゃカッコよさげな役職をもらって、朝の校門前でバインダー片手に服装チェックをしている。
 なんか髪茶色くない? いやいや塩素焼けだよ塩素焼け、みたいなやりとりをしていると、遠目からでも分かる見栄えのいい長身が歩いてくるのが見えた。なんとなく、女子がそわそわしているのを肌で感じる。空気がざわめく。
 高槻だ。うーん、髪が規定よりちょっと長い……気も、するけど、注意するか微妙な長さだなー。狙ってやってんだとしたらすごい。
 そいつはきっとオレに気付いているのに、素知らぬ顔でゆったり歩いてくる。鞄の肩紐を直す仕草すら絵になるのがもはや意味不明だ。声をかけるべきか否か迷っていると、ふと高槻が顔を上げる。
 ――笑った。
「お仕事頑張って、委員長サン」
 あまく綻ぶような笑みを口元に浮かべて囁いて、ひらひらと手を振って、そいつは軽い足取りで校門をくぐっていった。オレの後方で、「……うそ、高槻くんってあんな風に笑うの!? ヤバイんだけど!」という必死に押し殺した黄色い悲鳴が重なり合っているのが聞こえる。
 知らない間に手に力が入ってたみたいで、シャーペンの芯がパキリと折れた。
 やっぱりお前ちょっと髪長いよとか、よく見たらシャツのボタン一番上まで留まってないとか、言いたいことはたくさんあったんだけど。オレは全然それどころじゃない。未だ興奮醒めずって感じの女子の声を鬱陶しく感じてしまう。
 今のはオレに向けてくれた笑顔でしょ。他の奴に見せたりしないでよ。
 「あの」高槻が他の奴らに知られるのは嫌だ。なんか、すごく嫌だ。「それ」は、オレのじゃないの? こんなことを嫌だって思っちゃうオレはおかしいって自分でも分かるのに、冷静になれない。
 そのとき、予鈴が鳴ってオレははっと我に返った。「みんな、片付けて教室戻っていいよ! お疲れ!」チェック用のプリントを委員から回収して、バインダーの片付けは下級生の子にお願いして、無意味にシャーペンの頭をカチカチさせながら教室に戻る。
 教室に戻ったら、高槻はいつもの冷たくも見える無表情で窓の外を眺めていた。
「高槻」
「あ? 何」
「お前ちょっと髪長い。あとボタン、服装検査のときくらいは上まで留めなよ」
「校門のとこでは何も言わなかったくせに……」
「言いそびれたの! お前さっさと行っちゃうから!」
 反省文書かされるよりマシだろと言ったら「横暴」と笑われた。さっきとはまた違った、素直に楽しそうな笑顔だった。
「うー……ごめんね高槻」
「何がだよ」
「なんでもないけど……でもごめん……」
 なんでもなくはないんだよほんとは。でも今はうまく説明できないから何も言えない。
 首を傾げている高槻がまったく平時と変わらずいつも通りの様子なのがまた、オレの心にもやもやとした何かを積もらせていくのだった。

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