羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「奥って年下には当たり柔らかいよね」
 八代さんがからかうように笑う。それを受けて智久さんは、「年下っつーか遼夜の身内だから八割増で優しくしてる」と真顔で言った。
「それ公言しちゃっていいの……っつーか八割増って。ほぼ倍じゃん」
「プライベートで優しくする人間は選ばせろよ。俺は存分にえこひいきするしそれに文句言われる筋合いはねえな」
 ここまで堂々と言われてしまうとこちらからは何も言えない。ちょうど厨房から出てきた高槻さんが、「相変わらず頭おかしいな……」と独り言のように呟く。智久さんは片方の眉だけを跳ね上げて、心外そうに口を開いた。
「お前にだけは言われたくねえわ。お前に、だけは、言われたくない」
「おいなんでわざわざ二回言った?」
「ちょっとちょっとちょっと、せっかく集まったのに喧嘩すんなってばー。美味いもん食って落ち着けよ。オレが作ったわけじゃないけど」
 高槻さんがカウンター席に料理を並べているのを横目にそんなことを言う八代さん。いや、待ってくれ。高槻さんはいつの間にこんなに作ったんだ? カウンターに所狭しと料理を置いていく様子に驚いて高槻さんを見上げると、「器、熱いから気を付けろよ」と言われたので頷く。そうだ、今日はお礼を言いに来たんだからちゃんとしないと。
「あの、以前お邪魔したときはお夕飯ありがとうございました。きちんとお礼をするのが遅れてしまってすみません」
「あ? ガキが余計なこと気ィ回さなくていいんだよ」
「いえ、そういうわけには……」
 高槻さんはちらりとおれを横目に、「……じゃあ頼みがあんだけど」と小さく言う。おれにできることならなんでも、と返すと少しだけ高槻さんの纏う空気が和らいだ。
「ティラミス作ったんだけど、食ってみてくんねえ? 今日大牙いなくて味見役迷ってた」
 甘いものは好きだから嬉しいけれど、それだと結局おれが得するだけじゃないだろうか。「お前も甘いもの好き?」と微笑まれて、「『も』……?」と思わず呟くと高槻さんは目を逸らした。
「失言。忘れろ」
「……あ。ありがとうございます。おれも兄さんと一緒で甘いもの好きです」
 高槻さんが気まずそう……というよりは恥ずかしそうに何か言いかけて口をつぐむのを、おれの斜め前で八代さんがにこにこしながら見ていた。この二人はとても仲良しなのだろう。
「っと……じゃあなんだろ、再会を祝して? 歓んで? かんぱーい」
 全員が着席して、八代さんのゆるい掛け声と共にグラスが澄んだ音を響かせる。おれ、今更だけどここに交ぜてもらってよかったんだろうか……。しかも、あの、席順的におれが真ん中になってしまっているし。
 たぶん、おれだけ先に帰った方が兄さんたちも落ち着いて水入らずで語らうことができたはずだ。けれど、好奇心が勝ってしまったのでおれはやはり聞きわけの無い子供である。ごめんなさい。


 兄さんのお友達はとても優しいひとばかりだ。話を聞いていておれが想像で補えない部分はさりげなく補足を入れてくれたりする。驚いたのが、兄さんと智久さんが高槻さんと喋ったのは実に三年ぶりくらいだったということだ。そんなことまったく感じられなかったから本当にびっくりしてしまった。この四人は高校の同級生とのことで――もっと正確に言うと小中高一貫の学校に高槻さんと智久さんが小学校からの内部進学、八代さんは中学、兄さんは高校から外部入学して、高槻さん以外は同じ大学だったらしい――久々に会ってこうして喋れて楽しい、と八代さんはグラスをどんどん空にしながら笑っていた。
「おい手酌やめろ、注ぐから」
「高槻ってそういうとこ気にするよね……ありがと」
 かなりハイペースで飲んでいる八代さんと高槻さんを見て、ふと疑問に思ったので「兄さんはお酒飲まないんですか?」と聞いてみる。ウーロン茶をオーダーしていたのを知っていたから。すると一瞬の沈黙の後、猫のような瞳を三日月にした八代さんが「津軽、言ってないんだー?」と含み笑いと共に言う。
 兄さんは視線を明後日の方向に向けた。
「いや……言う機会も無かったからなあ」
「自分で言うのとばらされるのとどっちがいい?」
「…………好きにしてくれ」
 珍しく投げやりな様子の兄さんに何かいけないことでも聞いてしまっただろうかと焦ったが、智久さんが「遼夜、酒だめなんだよ。そういう体質。ビールコップに半分とかでもぶっ倒れるから」と隣から教えてくれたので納得する。なるほど。……え、ちょっと待ってほしい。
 おれは、ある可能性に思い至ってしまう。兄さんがお酒を飲めない体質ということはおれもなんじゃないか? と。
 つまり、何年後だろうとセツさんの作ってくれたお酒を飲むことなんてできない……なんてことも……。
 ど、どうしよう。ショックだ。他愛ない約束かもしれないけれど、社交辞令だったとしても嬉しかったのに。
 おれは余程気落ちした顔をしていたのかもしれない。心配されてしまったので自分がお酒を飲めないかもしれない可能性について残念だと吐き出してみる。
「おまえがそういうものに興味があるというのは意外だったけれど……おれのこの体質は父親譲りだから、そこまで心配することはないよ」
「そうなんですか?」
「ああ。美影さんはかなり強い方だからね。おまえもむしろ強いかもしれない」
 いつか保健体育の授業でアルコールパッチテストやると思うよ、と八代さんに教えてもらったので楽しみにしておこう。ここまで考えておいてなんだけれど、セツさんならおれが仮にお酒が一切だめだったとしてもノンアルコールでおいしいカクテルを作ってくれるはずだ。それでも、ほんの少しだってがっかりさせたくはないから飲めるにこしたことはないが。
 その後、おそらくおれが落ち込んでいたからだろうが高槻さんがノンアルコールカクテルを作ってくれた。そうか料理だけじゃなくて飲み物も作れるんだ、と改めて感動して、カウンター席からこっそり高槻さんの手つきを盗み見る。
 強い既視感を、覚えた。
 似ている。セツさんの手つきに。なんだろう、違うと言えば全然違うのだけれど、なんというか……どこか根っこの部分が似ている、ような。
 同じような形状の道具とグラスを使っているから、よく知らないおれには似ているように見えるのかもしれない、と考えたりもした。うーん、最近セツさんのお店にお邪魔していなかったから、無意識に記憶と重ねて見てしまったのだろうか。
 いただいたカクテルはとてもおいしかったけれど、なんとなく心にひっかかりが生まれてしまって。
 おれは、なんだかとてもセツさんに会いたくなった。

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