羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 あれだけ正木が気をつけろと言ってくれた直後にこんなことになるとは申し訳なさすぎて泣きそうだ。いや、泣きそうなのはおれの周りを取り囲む不良たちが怖いというのもある。しかも相手は五人でおれは一人。「ボコられんの嫌だったらあいつ呼んでくんない?」と言われて、更に泣きそうになった。
 ここは学校近くの空き地だ。人通りはあまり無い。なんでパトカーの巡回とかしてないんだよ。
 正木を危険な場所に呼び出すなんて嫌だったのでだんまりを決めこんでいたら、殴られはしなかったが実力行使に出られた。若干の抵抗を試みたもののすぐに携帯をとられてしまって、今日無事に帰れたら絶対にパスワードロックをかけようと心に誓う。おれはただ、そいつらがおれの携帯を使って正木を呼び出すのを聞いていることしかできなかった。「来るな」とか、そういうかっこいいことを言えたらどれだけよかっただろう。正木がどう受け答えしたかは聞こえなかったが、不良たちの会話からこちらに向かっているらしいことは分かる。
 不良は、空き地の入り口のところに二人、おれの近くに三人に分かれた。五人から三人に減った程度でどうにかできる数ではないけれど、少しだけ肩の強張りが取れた。
「にしてもお前まじで喧嘩できねえんだな。普通っぽいのになんで正木なんかとつるんでんだ?」
 答えない。答える義理は無い。というかおれの勝手だろそんなの。正木が嫌がってるわけじゃないのに。
「まあ簡単に呼び出せていいけど。あいつには随分好き勝手されたからな。調子乗りやがって」
「……正木は自分からは手を出さない。どうせあんたたちが先に喧嘩売ったんだろ」
 正木が悪いみたいな言い方をされてつい言い返してしまった。人相だけなら確かにこいつらより正木の方が悪いな。睨まれて、そう感じる。
 つい最近あの野郎の腰巾着になっただけのくせにだの何だのぼろくそに言われたけれど、つい最近じゃないし。入学式のときとか席隣だったし。一緒に日直やったことだってあるし。っていうかおれは正木の腰巾着に見えてるのか。若干傷付く。
 きっとおれはいかにも不満ですみたいな顔をしてしまったのだろう。「腰巾着じゃなかったら何だよ、何気取りだよテメェは」と言われる。何気取りだよって。別に気取ってない。気取ってないけど。
 苛立ちを募らせた様子の不良が、おれの肩を思いっきり突いてくる。
 痛い、と思った瞬間のことだった。
 頭上から黒い影が降ってきて、おれの傍にいた不良が吹っ飛ぶ。何が起こったのか分からないままにおれの周りにいた三人が地面に這いつくばっている。視界に学ランが翻って、まるでアクション映画のようだ。
「何ぼさっとしてんだ馬鹿っ、こっち来い!」
 そう言っておれの腕を引いてくれたのはやっぱり正木で。おれは引っ張られるままに走り出す。まだ二人いるんだよ、と伝える前に、「まさきー、こっち終わったよぉ」と聞き慣れた声。
「ねえオレ帰っていい? 妹の習い事のセンセー来る日でさぁ、お出迎えしないと親にめっちゃ怒られるんだよね。家にオレしかいないから」
「おう。悪いな付き合わせて」
「別にいいって。堀内くんも怪我しないでよかったねぇ」
「あ、りがとう……あの、ど、どうやって来たの?」
「えー? オレは普通に走ってきたけど、正木が上から降ってきたのはフェンス伝いに堀内くんたちの背後に回ったからだよ。驚いた?」
「めちゃくちゃ驚いたよ……」
 そんな危ないことしてたのか。この空き地は確かに周りを背の高いフェンスで囲まれているので、視線を上にやらないとそこにへばりついているやつは見えないだろう。結構しっかりしてて揺れないし音も出ないタイプのフェンスだから気付かなかったのだ。
「あはは。クモみたいで面白かったのに、見られなくて残念だったねぇ。ばいばーい」
 ついさっき二人を相手に喧嘩していたとは思えない軽い足取りで、ピアスをちゃらっと揺らしてそいつは帰っていった。隣には無言で歩き続ける正木。ちょっと気まずい。
「あの……正木。助けてくれてありがとう。気をつけろって言われてたのに捕まっちゃってごめん」
「……別にお前のせいじゃねえだろ」
「今度から携帯にはロックかけておくね」
「はあ……? まあいいや、無事で安心した」
 こわかった、と正木は小さな声で言った。自分は平気で怪我してくるくせに、おれが怪我するかもしれないのは怖いの?
 おれは正木の制服を引っ張って、すぐそばの公園に誘導する。運よく公園で遊ぶような小さい子はいなくて、二つ並んだブランコの奥側に座ると、正木はちらっとベンチの方を見ておずおずともう片方のブランコに座った。一番近かったからブランコにしたけど、ベンチの方がよかったかもしれない。
「おれさ、ここ数ヶ月結構正木のこと意識してたんだよ」
「は? い、いきなり何言ってんだ」
「どういう意味だろうと好かれるのは嬉しいし。でも、今日絡まれたやつに『腰巾着』って言われたんだよね」
 誰の、とは言わなかったけれど伝わったはずだ。正木の表情が硬くなる。
「違う、って思った。でも、じゃあ何? とも思ったんだよ。上下関係なんて作りたくないし、おれは喧嘩が弱いから、仲間として背中を預けてもらうのも無理があるし」
 正木は、今回みたいなことがあったときいつもあいつに頼っているのだろうか。いいなあ。頼ってもらえるの、羨ましいなあ。そんなことを考えながら喋る。分かっている。これは嫉妬だ。
 ちらりと視線を向けると、正木はやっぱり困ったような表情をしていた。考え込むように、言葉を区切りながら小さくこぼす。
「そんな……別に、俺は。……お前が、普通に喋ったりしてくれればそれで」
「嫌だよ」
 あ。どうしよう、今おれ、こいつを傷つけた。ごめん、違うんだって。ちょっと言い方を間違えた。だからそんな顔しないで。
「もう、『普通に』じゃ嫌だよ、おれは」
 別に一緒に喧嘩したいわけじゃない。でも、正木の色々な表情が見てみたい。色々なことが知りたい。大切にしたい、こいつのこと。
「そ、れって、どういう」
「んー、特別な意味で正木が好きだっていうこと?」
 ブランコを思い切り後ろに引いて足をあげる。その勢いのままでブランコから飛び降りた。
 正木の足を跨ぐようにして立つ。一応、逃げないでほしいという意思表示のつもりだ。正木はそれどころではないみたいで、絶句して視線を斜め下から動かさない。顔、真っ赤なんだけど。りんごみたいだ。
「ねえ、こっち見て」
 こめかみに手を添えて、そっと顔を上げさせる。おれのこと見てくれるならちょっとくらい睨まれるのも平気だよ。
 正木の肌は、激しく体を動かした直後だということもあってかとても熱かった。
 仲間に加えてほしいわけじゃない。今から幼馴染みたいにもなれない。普通の友達じゃ全然足りない。だから。
「おれ、正木の恋人になりたい。……正木はおれが恋人なのは嫌?」
 正木は一瞬怒ったような表情を見せた。息を吸う音が間近に聴こえる。緊張する。
「――ッだから、そんなわけねえだろって言わせたいのかよお前は……!」
 冗談でも嫌だなんて言えない、と震える声をあげて、それが恥ずかしかったのか唇を噛む正木。
 おれはその様子に心臓を掴まれたかのような気持ちになって、噛まれて白くなってしまっている唇に思わずキスをする。こぼれんばかりに見開かれた瞳が夕日を反射してとてもきれいだ。
「これからは、遠くから睨んだり近くにいても目逸らしたりするんじゃなくて、おれの傍にいておれのこと見て」
「な、ん」
「すきだよ」
「っ……! 俺も」
 俺も好き、と。かすかな声だったけれどはっきり聞こえた。屋上で言われて以来だな、と思った。正木なりに考えて、今まで言わないでいてくれたのだろうと思った。
「……俺、お前のことマジで好き、だから、」
「うん。大丈夫、伝わってるよ、ちゃんと」
「もう、無理だからな。やっぱ嫌だって言われても離せねえし」
 おれってほんとに愛されてるね。返事の代わりにもう一度キスをした。ちゅっ、と音がして、男同士でもキスしたときの音は妙にかわいいし、感触はやわらかいんだな、と当たり前のことを思う。
「よしっ。正木、今日は帰ろう。明日からもっと正木のこと教えてよ」
 ほんとはもう少し余韻を楽しんでいたいけど、暗くなったら困る。万一また絡まれたりしたら目も当てられない。
 正木はそっと頷いてくれた。かと思えば、はたと動きを止めて無言になる。声をかけようとして、「……瞬」と名前を呼ばれたから思わず肩が跳ねた。そんなことにも特別な何かを感じて喜びに浸っていると、苦虫を噛み潰したような顔でとんでもない追撃。
「いっぺんに色々あって腰抜けた……っぽい。帰んのちょっと待ってくれ」
 立てないから、と言われてなんだかおれまで色々とたまらない気持ちになった。それが本当でも、この二人でいる時間を延長させるための嘘でも、嬉しい。
 さっき「帰ろう」なんて言ったくせにもう帰りたくなくなってしまって、おれはブランコの鎖を握る正木の指先を優しくなぞった。
「正木がもういいって言うまでここにいるよ」
 あと少しだけ、この表情を独占できますように。

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