羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 不良に目をつけられている。誤解を受けないように言っておくと、カツアゲをされたり喧嘩を売られたりといったことはない。文字通り、「目をつけられている」というか……ものすごく、見られている。
 最初は勘違いかと思った。けれど、周囲の友達みんなに「お前あいつに何かしたの……?」と怯えたような顔で代わる代わる言われてしまっては認めざるを得ない。
 すごい目つきで睨んでくるそいつの名前は正木晃司といって、この高校ではちょっとした有名人だった。いわゆる不良。赤みがかった暗い茶髪に、廊下ですれ違うときに思わず端に避けてしまいたくなる威圧感のある長身。喧嘩が強いらしいけれど、一度も見たことがなくて実際のところは分からない。ただ、たまに怪我を作って登校してくることがあるので日常的に喧嘩をしていることは確かなのだろう。
 なぜ正木が有名なのかというと、別に常勝無敗とか何度も警察のお世話になっているとかそういうのではなくて、あいつがこの学校の不良グループの中心にいるからだ。あいつの周りにはたくさんの仲間がいる。あの集団のカラフルな頭は、とても目立つ。
 教卓に貼られた座席表にあるその名前に「正しい」という漢字が含まれているのを、なんだか皮肉だなあと思って見た記憶がある。何の因果かおれの名字は堀内なので、正木とは席順が前後だったのだ。入学当初の出席番号は、おれが十五番で正木が十六番。日直もペアだった。今はクラスが離れたけれど、だからこそ思うことがある。
 正木は、世間的に見ればけっして正しいとは言えないやつかもしれないけれど、だからといって悪いやつでもないよなあ、ということ。前から回ってきたプリントを渡すときに、そっけないながらも毎回「……どーも」とわざわざ言ってくれたのはあいつくらいだったし、そういえば日直も仕事を押し付けられたことはない。割と学校もサボっているイメージだったけれど、仕事を押し付けられた記憶が無いってことは日直の日はちゃんと来てたってことだし。
 だからこそ、クラスが替わった今、あんな目で見られることに心当たりが無いのだ。みんなが言うほど怖いやつじゃないと思っていただけに戸惑う。何か気に障ることをしてしまっただろうか。
 実は去年、一度だけ正木を怒らせてしまったことがあった。
 日直のとき、「教室の掃除はおれがするから学級日誌書いてもらっていい?」と頼んだら正木は言葉少なに頷いてくれたのだが、掃除を終わらせて日誌を書いている正木の傍に行って、目に入った筆致が意外なくらい綺麗だった。だから思わず言ったのだ。「字、きれいだね」と。
 そしたら、とんでもなく鋭い目つきで睨まれた。射殺すという表現がよく似合いそうなそれにおれは完全にびびってしまって即謝った。褒めたつもりだったのだが、おれみたいなのにそんなことを言われても、ばかにされたと思ったのかもしれない。もしくは無意識のうちに「意外と」きれいだね、なんて失礼なことを言ったとか。本当は日誌を書くなんて面倒なことしたくなかったとか。
 正木に殴られたら最低でも二メートルは吹っ飛ぶ自信があるおれとしては、正木の怒りポイントが分からなかったものの必死に謝ったあの日のことはよく覚えている。おれが謝った後に、正木がちょっと困ったような雰囲気で目を逸らしたことも。
 その様子に少しだけ胸がざわついたことも、忘れてない。



 正木に睨まれるようになって二ヶ月、友達に心配されるようになって一ヶ月が経ったころ。おれがいつも正木とつるんでいるやつに声をかけられたのは完全に青天の霹靂だった。
「正木、あんたのことが好きなんだよ」
 声をかけられただけでも驚いたのにその内容に時が止まったかと思った。俺の時間を止めた目の前のそいつは、「このままじゃ正木もあんたもカワイソーだからさぁ。あんた最近、他の奴らに遠巻きにされ始めてるでしょ。やばいなぁと思って」と優しいんだかなんなんだか分からないコメントをくれる。
「え……と、おっしゃる意味がよく分からないんですが……」
「あ、ごめんオレ馬鹿だからうまく言えないんだけどー、正木って普通の奴には怖がられるから、巻き添え喰ったら嫌じゃない? 関係者だと思われたら喧嘩売られるようになるかもだけどあんた喧嘩できそうにないし。っつーかタメなんだから敬語やめてよ」
「ご、ごめん……いや、そっちじゃなくて、あの」
 おれに話しかけてきたそいつは首を傾げて、その拍子にピアスがきらりと光った。いや、いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。今なんて言った? 好きって、好きって何がだ?
 かちこちになった舌をどうにか動かして尋ねたものの、そいつは「見りゃ分かるじゃん」と適当すぎることしか言ってくれない。寧ろ嫌われているとしか思えない目つきで睨まれるんだけど、こいつには何が見えているんだろうか。
 おれが渋い顔をしていることに気付いたのか、そいつは心外そうな口ぶりで「うわっ信用されてないのを感じる……かなしい……」と言ってなにやらスマホを操作し始めた。物凄く、嫌な予感がする。
 おれの嫌な予感は見事的中した。血相を変えて走ってくる長身は数十メートル離れていたって誰だか分かる。「テメー余計なこと言ってねえだろうな」とドスのきいた声を地に這わせた正木は、スマホを持った友達であるはずの男の胸倉を引っつかみ締め上げている。
「あ、あのー……正木、くん?」
 とりあえず目の前で喧嘩が始まっては困るので声をかけてみる。普通だったら呼び捨てなんだけど、ショックが抜けきっていなかったので敬称をつけてしまう。すると正木は一瞬だけおれを見て、いつかの日と同じように、困ったような感じですっと目を逸らした。
 まただ。なんだか、正木のこの反応は胸が――というか、胃の奥がざわっとする。
 そして気付いたんだけど、おれ、今こいつに睨まれてない。なんでだろう。こんなに近くにいるんだから、もっとしっかり顔が見えるように思うんだけど。
「ええと……おれ、正木に嫌われるようなこと、した……かな?」
「はあ……?」
「いや、なんか二年になってからすごい睨まれるようになったから……」
 正木は「え?」みたいな顔をして首を傾げて、「別に……」と静かに首を振った。正木の視線がおれに移った隙に、ピアスの方の不良くんはおれたちから距離をとってそのまま「ばいばーい」と逃げていってしまう。待ってくれ、二人きりにされても困るっていうか、正木が困ってる。こいつすげー困ってるよ。
 予鈴も鳴って、昼休みが終わりそうだ。おれは少しだけ悩んだ。嫌われてないなら変に理由を追究する必要も無いのではないか、と。寧ろこの感じだと睨んでる自覚もなさそうだし。
 けれど。ここで何も話さなかったら、なんとなくおれは後悔するんじゃないだろうかとも思った。それは、二人きりの気まずさをマイナスしてもまだ、おれにとっては大切なことかもしれないと思った。
「正木、五限なに?」
「は? ……世界史。たぶん」
「おれ、数学。……落ち着いて喋れるとこ行かない?」
 もしかすると、正木はこの時点であのピアスの不良がおれにどんな話をしたのか理解したのかもしれない。目元を僅かに赤くして、正木はおれのことを睨んだ。すぐにまた視線をあさっての方に向けて「……わかった」と呻くように言う。
 あ。今ようやく理解した。
 顔が赤いの、怒ってるんじゃなくて恥ずかしいんだ。
 ひとつ分かってしまえば後は芋づる式で、字がきれいだと褒めたときのあの反応も怒ったのではなくてただの照れ隠しだったんじゃないかということに思い至る。恥ずかしいと不機嫌そうな顔になっちゃうタイプ? 目を逸らすのも困ったような感じになるのも恥ずかしいから?
 なんだかどきどきしてしまって、おれは自分の意識を他に向けるべく半ば無理やりな話題転換をする。
「そういえばおれ、一回屋上行ってみたかったんだ。いつも怖いやつらがいて入れなかったんだけど」
「……じゃあ、行くか」
「えっ!? でも」
 今もきっと不良がたむろしているんじゃないだろうか。おれの心配をよそに、正木は「誰かいても追い出すからいいんだよ」と怖いことを言っている。
 無言でさっさと歩き出した正木に、おれは慌てていたせいか「ま、待って!」と思わずその腕を掴んで引き止めてしまう。
「っ、」
「うわ、っごめん」
 びくっと跳ねた体に、見上げた先にはじわじわと赤く染まった耳。胃の奥がざわつくのはどうしてだろう。分からない。知りたい。その理由を。
「……怒ってねえから、謝るんじゃねえよ」
 ぶっきらぼうな、けれどあまりにも優しい声音が鼓膜を震わせて。
 おれは、あのピアスの不良の言葉をはなから疑ってかかってしまったことに、心の中で深く謝罪したのだった。

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