羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 今日の孝成さんは、週の始めなのもあってかスーツがびしっときまってる。会社から帰ってきたときもそれは一緒。スーツはクリーニングだけど、ワイシャツはおれがアイロンかけてるからちょっと誇らしい気持ちになる。
 孝成さんはかっこいい。顔がどうこうとかじゃなくて、んーと、もちろんおれにとっては見た目もすっごくかっこいいんだけど、もっと根っこの部分で。おれの話をちゃんと聞いてくれて、笑ってくれる。嬉しいなぁって思う。おれは孝成さんと一緒にいるだけで自然と顔がにこにこしてくるし、今日の夕飯は何にしようかな、孝成さん喜んでくれるかな、って考えながら家事をするのは楽しい。こんなに嬉しくて楽しいことばっかりでいいのかなぁってたまにちょっと怖くなったりするけれど、そういうときは孝成さんに抱きしめてもらうと落ち着くから、最近ではこの不安ともうまく付き合っていけるような気がしてる。
 今日の夕飯はぶり大根とほうれん草のごま和えと卵焼きだ。寒いと煮物がうまいよね。おれはそんなに量が食えない方なんだけど、孝成さんがたくさん食べてくれるのを見るのが楽しくてしょうがない。
「潤、どうした? 機嫌よさそうだな」
「んー、孝成さんかっこいいなぁって見てた」
 あ、信じてない顔。「俺、お前と一緒に住み始めて二日目に『不細工』って言われた気がすんだけど」ジト目でおれの頬をむにっと挟んでくる孝成さんは、けっこう根に持つタイプ? でも、おれの言ったこと、そんな細かいのまで覚えててくれたんだ。孝成さんは確かに絶世のイケメンではないけれど、表情が分かりやすく変わるところ、おれはすき。ぶさいくって言っちゃった気もするけどそれはほら、ぶさかわいいとかそういうやつだから。真剣な表情してる孝成さんは文句なしにかっこいいよ。
 臆病で一歩踏み出すことができなかったおれに、名前も居場所も思い出も未来も、言葉をどれだけ並べても足りないくらい全部全部くれたひと。
「お前は、きれいな顔してるよな」
「そお? 確かに女の人には言われること多いかも」
「ん? バイト先?」
「うん。スーパーのパートのおばさんとか、OLのお姉さんとか? おれ年上に好かれるんだー。おれの顔がすきだからって家に置いてくれたひともいたなぁ」
 もう、本当の意味で気負いせず昔のことを話せるようになっていた。単なる世間話って感じ。孝成さんもそれを分かってくれているのか、「へえ。……まあ俺もお前連れて帰ったときはそういうとこあったし」と軽く話に乗ってくれる。え、っていうかちょっと待って。
「孝成さん、初めて会ったときおれの顔がすきだったから家につれてってくれたの……」
「いや、なんだよその顔は。なんで不満そうなんだよ。っつーか誤解を招く表現をやめろ! 顔のいい奴は得だなって話をしてんだよ。普通なら丁重に警察を紹介してたぞ」
「だって孝成さんはおれなんかにも優しいもん……」
 そういう言い方もやめろ、と孝成さんがおれのほっぺたを軽くつまんでくる。うう。「おれなんか」という口癖はなかなか治らない。孝成さんが優しく怒ってくれるから、これでも大分ましになった方。
「お前俺のことどんだけ聖人君子だと思ってんだ?」
「せーじんくんしはよく分からないけど孝成さんはおれに優しいからいいひと……」
「そういう認識マジで危なっかしいな。詐欺に遭うぞ」
「遭いそうになったら助けてね」
「それはまあ、助けるけどよ」
 頭の悪いおれの話にも根気強く付き合ってくれる孝成さん。おれの知らないことをたくさん教えてくれる。もう、一人で生きてた頃の気持ちをうまく思い出せなくなっていた。誰かの家に置いてもらっていたけれど、一緒に暮らしてはいなかった頃のこと。今が満たされすぎてて、またあの頃に戻るなんて考えられない。あーもう、責任とってほしい。こんなこと言うと孝成さんは本当に、おれが喜ぶことばかりしてくれようとするから迂闊に言えないんだけど。
 孝成さんに色々なことをもらってばっかで、たまに焦る。毎日料理を作っても部屋を綺麗にしても、この気持ちには全然足りない。おれの気持ち丸ごと伝わればいいのになぁ。でも、ちょっと恥ずかしいかも。
 そんなことを考えていると、大根を咀嚼していた孝成さんの喉が上下して、「……お前、なんつう顔してんだよ」と少しだけ恥ずかしそうに言った。
「え、え、なに? おれ変な顔してる?」
「いや、そうじゃなくて……甘い」
「甘い?」
「どろどろに溶けそう。俺のこと好きで好きでたまりませんって顔」
 飯食い終わるまで待って、と人のこと言えないくらいに甘い顔で孝成さんが囁く。きっともうすぐ抱きしめてくれるんだろう。孝成さんはいつもまっすぐだ。変に誤魔化したりしないから、おれも安心。
 いったん意識すると本当に抱きしめてほしくてたまらなくなってしまった。おれはいつもより心もち急いで食事する。少しでも早く孝成さんにくっつきたい。おれは食べるのが遅いから、もくもくと卵焼きを口に運んだ。
 そんなおれを見たからなのか孝成さんが喉の奥で笑うのを感じたので、幸せだなぁと卵焼きの甘さと一緒にそれを噛みしめた。

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