羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 色々なことを考えていたらやっぱり手が止まっていたようで、けれどマリちゃんは何を察してくれたというのか黙ってホール内の様子を眺めていた。俺が意識トリップから戻ってきて、それに気付いたマリちゃんは静かに笑う。何も、聞いてこない。
「マリちゃんごめん、ちょっと考え事してた。すぐ作るから」
「楽しみです。近くで見ていてもいいですか?」
「え、そんな面白いモンでもないよ……? 俺は別に全然いいけど」
「やった。実は、前から気になってたんです。知らないものばかりで、見るの楽しいです」
 そっと近づいてくる体はまだ成長しきっていなくて見下ろす横顔も幼いのに、表情だけはやけに大人びた、達観したような悟ったようなもので。そのちぐはぐさはいつだったかマリちゃんが、苦労知らずだとはよく言われる――と呟いたときの表情を思い出させる。
 もっと歳に見合った我儘を言ってもいいのに。こんな気遣い、覚えなきゃいけないような歳でもないはずだ。
 また思考に耽ってしまいそうになったので慌てて集中する。こういう店では俺が酒を作っている最中に黙って待っているような客は少ないので、ここまで身を入れて作ることだけに意識を向けられる機会はそうそう無い。愛想よく笑って喋ることに割いているキャパを目の前のドリンクに目一杯使える。
 やっぱりこの仕事は楽しい。
「――お待たせしました」
 うん、今日も綺麗にできた。やっぱり、何にも邪魔されないことが分かっていると落ち着いていいものが作れる気がする。材料から何から全て任せてもらえることってなかなか珍しいし、俺の技術や感性全てが問われるのだと思うと少しだけ緊張するけれど、その分やりがいもあった。
「ありがとうございます、いただきます。……今日も綺麗ですね」
 そう言ってグラスの縁にそっと口をつけるマリちゃん。前回は二層に分けたカクテルだった。今回はグラデーションだ。マドラーもあるけれど、マリちゃんは無粋にグラスの中をかき混ぜたりはしなかった。マリちゃんが何かするたびに、いいな、と思う。何も言っていないのに、こちらの意図を汲んでくれる。このカクテルは混ぜずに飲んで、味の変化を楽しんでほしかった。
「美味しいです……とても」
「よかった! ありがと」
 初めてマリちゃんを見たときは、ほんの少し目つきが悪いことも手伝ってなんとなく冷たそうな印象を持ったけど、今じゃ間違ってもそういうことは思えない。赤の他人にまでこんなに気を遣って優しくできる人、そうそういない。おまけに年下といったらもう、初めて会うかも。
 そんな子がこうやって俺と交流を持とうとしてくれるなんてちょっと驚きだ。真面目な、というか真っ当な奴からしてみれば眉をひそめられても仕方ない生き方をしている自覚はあったので、若干照れくさい。
 マリちゃんは暫くの間静かに俺の作ったカクテルを飲んでいた。アルコールが大丈夫ならもっとレパートリー増えるんだけど。あと四年くらいか……? なんて考えて、そんな先のことを妄想してどうするんだと自分の思考回路にドン引き。明日どうなるかも分からないのに何考えてんだか。確かにこの間は酒が飲めるようになったらまた来てほしいだの何だのつい言ってしまったけれど。おまけにあれ、社交辞令でも何でもない。自分が怖い。今日マリちゃんと会って、ますます自分の作ったものを味わってみてほしいっていう気持ちが湧いてしまって困る。
 だってこんな、いかにもちゃらんぽらんですよってバーテンダーが作ったカクテル真剣に飲んでくれるから。嬉しくなっちゃうのは仕方ないだろ。喜んでもらえると嬉しいんだよ。俺って本当にちょろい。
 何より驚きなのが、俺の作った酒飲んでくんねーかなーってのよりもまだ高校生だから飲める歳まで待たねえとっつー気持ちのがデカいこと。いつの間にか相手への気遣いを覚えちゃってるよ。こんなの仕事の範疇でもないのに。やっぱりね、温かい気遣いを受け取っちゃうとどうにかしてバランスとりたいよね。
「セツさん、材料に何を使っているのかまたお聞きしてもいいですか?」
「いいよいいよー。はは、自分の作ったもん偉そうに講釈垂れるの恥ずかしいね」
 俺のしょうもない照れ隠しにも、「恥ずかしいことなんて何も無いです」とマリちゃんは真面目に返してくれる。あーもう、ちょっとだけ意地悪してもいい?
「ねえマリちゃん。もう一回当ててみて」
「えっと、材料を……ですよね?」
「うん。間違っててもいいから、言ってみて」
 やばいなー、自分の手をかけたものを蔑ろにされないってだけでこんなに嬉しい。飲み残したりとか、どっか適当なテーブルの上に置き忘れたりとか、そういうことは間違ってもしないのだろう。俺だって、同じ材料で同じだけの時間をかけて作るなら、きちんと飲み干してくれる人のために作りたい。自分の中にこんな純情さが残っているだなんて驚き。こういう世界で生きているのだから、ある程度割り切れてると思ってたんだけど。
 鬱陶しがられるかなというささやかな不安を、マリちゃんは嬉しそうに笑うだけで払拭してくれた。まだ三分の一ほど残ったグラスを片手に「……じゃあ、次に来るときまでにまた考えておきますね」と囁く。
「次?」
「はい。だめですか?」
「や、それは全然……構わないけど」
 寧ろ、また来てくれる気があったのかということが意外すぎる。いや、確かに前回「また来ます」とは言っていたが、その「また」が何度もあるなんて思ってなかった。よっぽどここが気に入ったのだろうか。まあ、こういう系統の店の中では割と小奇麗で落ち着いた雰囲気だから、そこまで抵抗が無いのかもしれない。
「セツさん、次に昼間いらっしゃるのはいつですか?」
「え? えーと、いつだったかな……」
 早番はあくまで俺にとってはイレギュラーだ。ちょうど次のシフトを組む直前だったのもあってスケジュールがぱっと出てこない。どうしようか。
 俺はカウンター横に積み上げてあった紙ナプキンを一枚取って、ボールペンで携帯のアドレスを書き付ける。仕事用とプライベートのとどっちにするか、悩んだのは一瞬だった。
「連絡ちょうだい。俺が忘れないように」
「いいんですか?」
「駄目だったらこんなことしないって! 俺の連絡先ちょーレアだよ、自分で言うけど」
「あはは。嬉しいです」
「男の連絡先貰って嬉しいって面白い感性してるよね」
「嬉しいですよ。だって、事前にご連絡できればお忙しいときにセツさんの邪魔にならずに済むじゃないですか」
 うわー、最後の最後でそれはずるい。俺が仕事に疲れたOLとかだったらころっと落ちてるかもよ。いや、でも、こんなに気遣われまくったら自分のことお姫様か何かかと勘違いしそうだよね。マリちゃんってほんとなんなんだろう……年下ってもっとこう、我儘で生意気な生き物なはずなんだけど。
「帰ったらご連絡しますね。ごちそうさまでした」
「ん、綺麗に飲んでくれてありがとう」
 マリちゃんはその後、暫くホール内の音楽に耳を傾けてから帰っていった。軽く会釈をする仕草がやっぱり妙に慣れていて、俺もつられて背筋が伸びる。
 これならあと六時間頑張れそうだ。
 綺麗に飲み干されたグラスを洗いながら、次はどんな味にしようか、といつになるか分からない日のことを想像して、少しだけ笑った。

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