羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「あーもうぎゃんぎゃん騒ぐなよ。俺今マジで疲れてるんだって」
「疲れたなら甘いモンじゃね? シュークリームとエクレアあるけど食う? なんかスゲー高そうなやつ」
「は? なんでそんなもんがあんの。女に貢がれた?」
「や、今日ダチが遊びにきてさー、『今日は一日お世話になるから』っつって置いてった」
「うわっ、お前にそんな高尚な感性の友達いたんだ……勿体ねー」
「勿体ねーってなんだよ!」
 友達の家に行くのに手土産持参って、ちょっと堅苦しいけどしっかりしていて好感が持てる。初めて行く家なら尚更。今までそんな奴この家に来たことなかったし、だとすると時期的に高校から一緒になった友達だろ? たぶんこいつ俺の言った「高尚」の意味すら分かってねーぞ。こんなバカが友達でいいのかな。大牙くんなんかもこいつには十分勿体ないくらいのいい子だけど、幼馴染でこいつが小学校に入る前から交流があった子なのでノーカンにしておく。
 弟の交友関係を意外に思いつつ、せっかくなので頂いておこうと「なー、シュークリーム食いたいから取って」と言ってみる。そういえばマリちゃんが夜に来たのもかなり意外だったんだけど、夜遊び知ってる友達がいることにどうしてか嬉しくなってしまったからやっぱり俺は悪い大人だ。
「テメーで取れ。甘えてんじゃねー」
「今日鬼混みで立ち上がりたくないくらい疲れたからお願い」
「あー、まあ確かに……いや、うん。俺の優しさに感謝しろ」
 まるで見てきたかのように言うんだなと僅かに疑問に思ったものの、いつもより素直な弟の不気味さの方が際立った。
 箱を受け取って、それが俺も知っている店のものだったので、へえ、と思う。自分では買わないけれど人に貰ったら嬉しいという絶妙なライン。値段も受け取った側が心苦しくなるほど高価なわけではない、けれど失礼にはならない価格帯だ。余程親の教育がいいのだろう。高校生が選んだにしてはちょっと、出来すぎなくらいだった。
 箱に付属していたウェットティッシュで手を拭ってからシュークリームにかぶりつくと、バニラビーンズのいい匂いがする。
「あー……やばい、体が糖分求めてるって分かるわ。美味い」
「そうかよ。よかったな」
 優しい甘さを噛みしめていたのだが、一息ついたことでおれは見逃しきれない部屋の違和感に気付いた。
 リビングが、綺麗だ。
「おい、今日掃除した? 俺が仕事行く前はこんなんじゃなかったけど」
「はー? ああ、今日来たダチに掃除してもらった」
「なんてことしてんだお前!」
 し、信じらんねえ……手土産持参してくれた友達に、よりによって部屋の掃除させるとか。正気か?
「っつーか友達来るなら言えよ! そしたら事前に掃除できたのに……!」
「うわっそーいうのウザい。リビングよりも俺の部屋のが汚かったからだいじょーぶだって」
「……汚かった、ってお前まさか」
「あ、今俺の部屋最高に綺麗だけど見る?」
「はー!? お前ほんっと救いようがねーバカ!」
 ロクな教育もしてない家だと思われる!
 いや、確かに躾は全然足りてない。俺だってそう。親から教わったことなんてほとんど記憶にない。でもだからこそ、変に後ろ指さされないようにしたかったんだけど。
 弟は渋い顔をしている俺を真っ直ぐな瞳で見て、珍しくバカっぽくない穏やかそうな笑い方をする。
「兄貴。大丈夫、俺のダチいいやつだから。優しいし、距離感ちゃんとしてるし、俺らのこと踏み荒らしたりしないよ」
 俺ら、と言った。踏み荒らしたりしないと、言った。
「……そっか」
「そうだよ。お前案外ビビリだね」
「お前が普段からちゃんと掃除してればいいだけなんだけど?」
 軽口を言い合って笑う。なんだか今日は気持ちが穏やかだ。いつもなら売り言葉に買い言葉で軽い口論に発展していてもおかしくないのに、弟の新しい友達とやらは、弟にかなりいい影響を与えてくれているらしい。俺も今日は、短い時間だったけどマリちゃんの打算のない優しさに触れてかなり癒された。男となんてことない話しただけで癒されるとか、相当終わってるけど。でも、それが嫌じゃない。
 なんだろう、女と遊んでストレス発散するのとはまた違う感じ。自然体でも大丈夫っつーか、取り繕わなくていい。これってかなり貴重。俺はチャラそうで軽そうに見えるかもだけど、実は心の壁は結構分厚い。マリちゃんはそういうの全部許してくれそうな感じがして、なんか安心できる。
 まあ、初対面で散々迷惑をかけたし恰好悪いところを見せたし、今更取り繕ったって仕方ないってとこもあるんだけど。
 俺はシュークリームを頬張りながら思いを馳せる。また来ますって言ってたな。ほんとに来てくれるのかな。即興で作ったノンアルコールカクテルだったけれど、マリちゃんの口に合っただろうか。もっと人が少なければもうちょっと喋れたのに。
「……俺確かにキモいかも」
「何、自覚した?」
「うるせーよ……はー、浄化される」
 何言ってんだみたいな顔をしている弟はスルーしてスマホを見ると女からの連絡が溜まっていた。けれどなんとなく今日は返事をする気になれなくて、マリちゃんと喋った余韻を残しておきたい気がして、黙ってバックライトを切る。
 今日はきちんと浴槽にお湯を溜めて風呂に入ろうかな、と、あの檜風呂を思い出しながらそんなことを考えた。

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