羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 そのあと、おっかなびっくりギターを触らせてもらったりリビングを掃除したりしながらのんびりと過ごした。暁人の私物はおれの家には無いようなものばかりで、環境が違うとここまで何もかも違ってくるのかと驚いた。
 そしておれたちは今、地下鉄の最寄り駅へと続く道を歩いているのだが。
「お、おい……やっぱりこれ、変じゃないか? 浮いてないか?」
「は? 俺のセットに文句つけんの? 変じゃないって、寧ろ何もしない方が浮くんじゃねえの、客層的に」
「文句とかではないけど……不安だ……」
 家を出る直前、暁人が二回目に煙草を吸って庭から帰ってきたときの話だ。いかにも何か企んでいますという顔をしていたから嫌な予感はあった。「おい、ちょっとそこ座れ」と不自然なくらいににこやかな顔で言われて、腰が引けたのは言い訳のしようがない。
 暁人が持ってきたのはワックスだった。おれの髪は、あれよあれよという間に暁人によって整えられ、鏡を見る間もなく外に連れ出されてしまったのだ。
「……まあいいや。少なくともおれが自分でやるより数段かっこよくしてもらえたんだろうし」
「そうそう。お前、もうちょい堂々としてろよ。姿勢いいんだから、それだけで見栄えいいって」
 手放しで褒めすぎだ。姿勢がいいって、まっすぐ立つだけだぞ、こんなのは。
 しかしまあ、せっかく褒めてもらえたのだから素直に喜ぶことにしよう。そう気持ちを切り替えて、地下への階段を下った。余談だが、携帯を改札にかざして通り抜けているひとを身近で初めて見たかもしれない。暁人は、部屋に物が多い割に、外出する際は身軽なのを好むようだ。
 地下鉄に乗って二十分、そこから歩いて五分と少しで目的地に到着する。日が落ちてからどころか日中もあまり縁のない地域だったのだが、太陽も隠れた頃だというのにネオンや看板のライトが煌々と光りまるで昼間のように明るい。眠らない街――まさに不夜城といったところだ。
「正面からだと年確されるから、こっちから行くぞ」
 ねんかく、という聞き慣れない響きの言葉に一瞬戸惑ったのだが、どうやら「年齢確認」の略のようだ。建物の裏口らしき扉のオートロックを勝手知ったるという感じで解除した暁人は、するりとその身を中に滑り込ませて左に折れる。
 不思議なことに建物の中に入って右側にも通路が続いている。おれの視線に気付いたのか、暁人は「そっちはホストクラブらしいぜ、流石に入ったことねーけど」と疑問に答えてくれた。
 産まれたばかりのひよこのような気持ちで暁人の後ろをついていくと、重そうな扉の向こうから微かに音楽が洩れ聞こえてくる。「開けてみる?」問いかけに頷いて、静かに扉を引く。と。
「うわぁ……きれいなところ、だね」
 普通の部屋にあるような照明はぎりぎりまで絞ってあって、その代わりに色鮮やかなライトがホールを照らしていた。想像していたよりもいくらか落ち着いた雰囲気で、騒ぎ声が耳を塞ぎたくなるほど煩い、なんてことは一切無い。みんな、思い思いに歓談やダンスを楽しんだりお酒を飲んだりしているようだ。
「意外だった?」
「う、うん。もっと派手で、音楽が大音量でかかっているようなところだと思ってた」
「昼間はもっと煩いぜ。夜は少し年齢層高くなるからな……まあ、たまにバカ騒ぎする大学生もいるっちゃいるんだけど」
 暁人は、「やっぱいつもより人多いわ。あ、部屋こっちね」と人の間を上手に縫って歩いていく。おれは置いていかれないように必死だ。ようやく着いた小ぢんまりとした部屋にため息が出るくらい安心してしまった。
「俺、店長さんに挨拶がてら酒貰ってくる。お前は――飲まねえか。ウーロン茶にしとく?」
「うん。ありがとう」
 どうやら、暁人は昨日のうちに電話で部屋を確保していてくれたらしい。会いに行くのはお兄さんではなくて店長さんなんだな、と不思議に思ったのでそれについて聞いてみると、「兄貴に頼んだって個室なんか取ってくんねーもん。ここの店長さん、店の身内にげろ甘だから逆にそういうコネみたいなの嫌なんだってさ」と返してきた。
「え、それいいのか? お兄さんが知ったら怒るんじゃ……」
「だから俺今日は絶対兄貴に鉢合わせしないようにしねーと。っつーかさ、ちゃんと個室分の代金払ってんだぜ? まあ、正規の代金は、身内割引っつって受け取ってもらえないんだけど」
「あっ、そうだお金。後で払うよ。ごめんな、付き合わせちゃって」
「……なんかお前全額出してきそうだから先言っとく。部屋代のワリカンだけでいいぜ。夜がいいっつったの俺だし、酒飲むの俺だけだし」
 おれがきちんと反論する暇もなく、暁人は軽く手を振って、お前も適当に見て回ってこいよと言い残し部屋から出ていってしまった。おれの目的を根掘り葉掘り聞いてこないところが有難い。
 おれは、そっと部屋を出てホールの隅をゆっくりと移動する。セツさんははたしてどの辺りにいるのだろうか。あのきらきらした金髪ですぐ見つかるかな、と思っていたのだけれど、よく考えたらこういう場所は、髪を染めていても別段珍しくないだろう。
 幸い視力はいい方なので、バーカウンターの中にいるひとを順番に眺めていると五人目で目的の人物に行き当たった。なんとなく声をかけないで観察してみる。やはり随分と忙しそうだ。当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、前におれの家の門前で会ったときとはかなり印象が違う。きりっとしていて素直にかっこいい。

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