羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 その中学を受験したことに特に理由はなかった。
 ただなんとなく、この辺りで一番偏差値高いしチャレンジしてみるか、くらいの軽い気持ちで、その学校は筆記試験の他にも抽選があるようなところだったから元々合格するなんて期待はしていなかった。けれど、その年はたまたま抽選が実施されず――オレは、今日からその中学校の新一年生だ。
 小学校からの知り合いは一人もおらず、不安半分期待半分、といったところである。
「校舎が古いなー……あ、藤棚」
 校門をくぐってすぐ横に、いかにも年季の入った藤棚があった。あと一ヶ月もすれば綺麗な藤の花が咲くだろう。そんなことをぼんやり考えながら進む。靴を履きかえ教室に鞄と上着を置いて、少しばかり校舎を探検することにした。中庭に、体育館へと続く渡り廊下。運動場。朝の時間をたっぷり使って、さて教室に戻るかと昇降口へと続く曲がり角を曲がったら。
 誰かにぶつかって、オレは勢いのままに弾き飛ばされた。
「いっ、……」
 年齢にしては小柄すぎると自覚はあるが、こうも簡単に吹っ飛ばされると男として悲しい。尻餅をついて、地面がコンクリートでよかったな、なんて思っていると上から声が降ってくる。
「――っと、ごめん、大丈夫? 立てるか?」
 第一印象は、うわっすげえイケメン、だった。
 背が高くてすらっとしてて、肩に届くか届かないかというくらいの髪は少し跳ね気味。深みのある茶色い瞳に、目元の印象はキツめだけど笑顔がめちゃくちゃきまってる。低めの声もなんだか色っぽい。なんだこのイケメン。先輩だろうか。
 その人はにこっと笑って、オレに手を差し出してきてくれた。
「す、すみません、ありがとうございます……」
 優しい。良い人すぎる。折角なので厚意に甘えて手を借りようと手を伸ばす、と。
「……あ?」
 頭上に見える綺麗な顔が不審げに歪む。かと思えば乱暴に手を引っ張り上げられ、オレは勢い余ってたたらを踏む羽目になった。
 なんなんだ一体、と顔を上げる。すると物凄く不機嫌そうな顔で舌打ちをされて思わず目と耳を疑った。そして更に、信じられないような一言。
「んっだよテメェ、男かよ」
「……はい?」
「紛らわしいツラしやがって……くそ、笑顔つくって損した」
「は――はああ!?」
 前言撤回。なんだこいつ! 確かにオレは背が低い。し、おまけに顔は母親似だ。姉が三人いるせいか、昔からよく四人姉妹に間違われる。でも、でもだ。上着は無いにしてもカッターシャツにズボンの奴の性別を間違えないだろ。制服だぞ。
「……か、顔だけ男……」
「ああ? 失礼な奴だな」
「どっちが! ……あー、でも、手貸してくれてありがとうございます……」
 御礼は言っておかないとね。するとその人は少しだけ驚いたように目を瞠って、口角を上げた。あの、間近で見ると更にイケメンだし、背が高いし、脚も長いんですけど……若干怖い……。
「な、なにも笑わなくても……」
「っく、はは、律儀すぎだろ。変な奴。ぶつかって悪かったな」
 怪我してないよな? と念を押すように言って、その人は颯爽と渡り廊下の方から校舎の中へと消えていった。
「か、神様に愛されている……」
 なんとなくそのすらっとした後ろ姿が見えなくなるまで見送ってしまって、始業時間が差し迫っていることに気付いたオレは慌ててその場を走り去ったのだった。



 教室に戻ったら、さっきのイケメンと再会した。
「同学年じゃん!!」
「あん? ああ、お前。同じクラスかよ」
「同い年でここまで身長が違うなんて……理不尽すぎ……」
「チビなの気にしてんのか? 後から伸びるだろ、気長にやれよ」
「因みにきみの身長は」
「一七十センチくらい」
「デカすぎ! ええーいいなあ……」
 神様は不公平だと思う。身長、二十センチ以上差があるんですけど……。五センチくらい分けてくれてもばちは当たらないと思う。
 そいつは入学早々着崩した制服を鬱陶しそうに、しかし見栄えよく着こなしている。なんだろう、いわゆる顔面カースト最上位とかいうやつ? 何食ったらその顔になんの?
「あのさー……きみカッコイイね」
「は?」
「顔もスタイルも声質もいいね」
「言い直すな。嬉しくねえ」
 純粋な気持ちで褒めたのに嫌な顔をされてしまった。そんな表情まで絵になるのかよ。なんとなく世の不公平さというか、理不尽さを感じる。そんな風に考えていると、オレはあまりにも面白くなさそうな顔つきをしていたらしく目の前のそいつに首を傾げられてしまった。その口が開かれる。
「……お前、名前なんてーの?」
「まず自分から名乗るべきでは」
「……高槻敬吾」
 ひゅー、名前もいいじゃん。なんて、流石にこれ以上茶化すと怒られそうだったので普通に返事をする。
「高槻くんか。よろしくね。オレは八代」
「気色わりぃな、呼び捨てでいいんだよ呼び捨てで。八代……下の名前は」
 あ、やっぱり聞くよね。あんまり言いたくないんだけど、まあ、中学最初の友達ってことで大サービスだ。黙ってオレの返事を待つそいつ――高槻に、オレはなるべく声量を絞って言う。
「……遥」
「はるか?」
「女みたいな名前って言ったら怒るかも。女顔って言ってもやっぱり怒るかも。若干のコンプレックスがあるのでね」
「不確定なのかよ」
 嫌なら言わねえよ、と高槻は少しだけ目元を緩める。「俺も、自分の顔好きじゃねえんだ」あらら、オレは既に嫌なこと言っちゃってたよ。ごめん。でもそんなにカッコイイのに、なんでだろう。聞かれるのもたぶん嫌だよね。
「ごめん、じゃあさっきのカッコイイってのは撤回するね」
「なんでだよ。俺の顔がいいのは事実だろ」
「すげー自信だな!?」
「俺はこの顔嫌いだけど、周りの奴らはこの顔が好きなんだよな」
 じゃあ外見コンプ持ち同士仲良くしよう、と言ったオレにまたそいつは笑って、「どーぞよろしく」と手を差し出してきた。その手を握り返す。はい、握手。
 なーんだ。やっぱりいい奴じゃん、こいつ。
 オレは入学早々友達ができたことにとても上機嫌になって、これからの中学生活いいことありそう、なんてこっそり思った。

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