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Chapter5-2
トムとの家(わたしの頭の中では”あの家/the house”と呼んでいたけれど)を出てから10年の月日が過ぎた。
それは魔法で勝手にめくってくれるカレンダーを見て、ふと思い立ったのだ。
10年と言う月日が経っても、わたしの容姿はあの日で時が止まったかのように変わらない。分霊箱を作った弊害なのか、わたしを”時”が置いて行っているようだ。
ダンブルドアが手配してくれたこの部屋は、ホグワーツの校舎の中でも一番上、ほとんど屋根裏部屋のようなものだ。こぢんまりとしたこの部屋はトムとの家とは似ても似つかぬような雰囲気で、それがわたしをなんとなく安心させた。
しかし、ちょうど10年経ったと思うと、トムのことを考えずにはいられなかった。普段から考えてしまっているのは事実だけれど、なるべく考えないようにするのが常だった。
なんとなく思い立って、わたしは必要の部屋の前へと足を運んでいた。この数ヶ月間は忙しくてここへも来れていなかったけれど、今はクリスマス休暇の真っ只中だ。教師陣も今ばかりはゆっくりしているので、お手伝いの立場のわたしはもっと暇を持て余している。
石壁の前に立って、トムとわたしがよくお茶会をした部屋を思い浮かべる。この十年間、わたしは未練がましくそれを繰り返していた。あの日のままの部屋が、一人であることを余計にわたしに思い知らせるというのに。
必要の部屋を呼び出すのは手慣れたものだったのに、今日は必要の部屋が現れない。
もしかしたら、クリスマス休暇に残っている、校内を探検するのが趣味な―まるで、トムのような―生徒が、中に先に入ってしまっているのかもしれない。
わたしとトムはよく必要の部屋で待ち合わせたけれど、あの時はお互い、相手が入ってくるのを”必要”としていたから、後からでも入れたのだ。
時折、ひとりで必要の部屋を訪ねると、どれだけ望む部屋を思い浮かべても入れないことがあった。そんな時、ひょっこりトムが出てきたりするのだ。「君が来るとは思わなかったから《一人で勉強できる部屋》と望んだんだ」という言葉付きで。
そんな懐かしい思い出が浮かんできて、なおさら必要の部屋に入りたかったけれど、生徒と鉢合わせると面倒だ、と考え直して足早にそこを立ち去った。
「”かぼちゃフィズ”!」
そう唱えると、校長室を守るガーゴイルがぴょんと道を開けてくれる。扉を開けると、ダンブルドアはいつもの笑みをたたえてわたしを歓迎してくれた。
「せっかく雪が降ってるのに、誰も庭で雪合戦してないですね。今年のホグワーツ生はおとなしいのかな?」
「今年はホグワーツに残る生徒がいないからの。
世の中が物騒になると、かわいい子どもは手元に置いておきたくなるのが親心というものじゃ」
ダンブルドアは綺麗な青色をした紅茶を淹れてくれ、わたしの前に置いた。もちろん、合言葉のかぼちゃフィズとともに。
「今日は、きみが訪ねてくるのではないかという不思議な予感があった。きみたちは昔から以心伝心なところがあるからの」
「きみたち?」
わたしが首をかしげると、ダンブルドアは一口紅茶をすすってから答える。
「そうじゃ。きみと、トムのことじゃよ」
「トムがここに?」
わたしは目を見開いた。
「少し前まで、きみと同じ椅子にトムは座っておったのじゃ」
わたしは思わず条件反射的にその椅子から立ち上がった。その様子を見て、ダンブルドアはほっほと笑う。「彼もまた、同じように立ち上がっていた。もっとも、彼の場合は怒りゆえじゃったが」と。
「きみが次の闇の魔術に対する防衛術の教授の椅子に座るとトムに教えると、彼はいい教師になるだろう、答えていた」
今度は口をあんぐりと開ける番だった。そもそも闇の魔術に対する防衛術を教えるということさえ聞いていなかったのに、トムの前でわたしの名前を出し、その上わたしに闇の魔術に対する防衛術を教えさせると言った?よくこの部屋がズタズタになっていないものだ。それとも、もうトムはわたしのことを忘れてしまったのだろうか。
「この部屋がズタズタになっていないことを不思議に思っているようじゃな。実のところ私も、それを危惧しておったのじゃが」
この通り、全て無事じゃ。そうあっけらかんと言うダンブルドアに、わたしは力が抜けてしまい椅子にもう一度体を預けた。
「きみのことを告げた時、トムがこちらを向いていなかったのが残念じゃの」
こともなげに、そしていたずらっぽくそう言うダンブルドアがあまりにも普段通りなので、わたしはずるずると背もたれから滑り落ち、だらしない格好になるのも厭わずに天井を見上げる。
そして一つのことを思い至った。
もしかして、先程必要の部屋にいたのはトムだったのではないか?
ホグワーツに残る生徒は誰もいないと言う、先程のダンブルドアのなにげない一言がわたしの思いつきを、妙な確信に変えた。もしかしたら、わたしが石壁を撫でたその向こうで、トムが同じように壁に触れていたかもしれない。あまりにも偶然に頼りすぎた想像だけれど、なぜだかそれは鮮明に思い描くことができた。
「きみもトムも、10年前と少しも変わっておらぬようじゃな。いい意味でも、悪い意味でも。」
その言葉は間違いなかった。わたしは彼に、いまだに囚われている。
しかし、だからと言って彼のしたことを許し、理解できるかと言われたらそれは違うのだ。
彼はわたしに優しい。実際は、わたしだけに優しい。
彼に、わたしに見せるものが全てであってほしいと望むのはわたしのエゴなのだろうか?あの、不器用な優しさだけを信じていたいという気持ちは彼への押し付けなのだろうか。
わたしが思考に沈んでいるのを、ダンブルドアが静かに見守っていることにわたしは気づいていた。ダンブルドアはきっとすべて、見抜いてしまっている。わたしが彼について知らなかったこともすべて。
「わたしも、きみと同じことを望んでおるよ」
ダンブルドアは立ち上がり、窓を見下ろした。
そこには、いつだかわたしにかけてくれた雪よけの呪文を自分にかけたトムが、足早に横切っているのかもしれなかった。
「トムは愛を知らぬと言ったが、それは例外があるのかもしれぬ」
「…先生、わたしは、トムを愛しているのかもしれないです。恋というものは、わたしたちにはなかったけれど」
ずっと、意識して言葉にしなかったことを、わたしは吐き出した。彼をあいしていることを口にすることは、わたしにとってなぜかタブーだったからだ。
愛しているということは、彼のすべてを許容してしまうことだと、10年前のわたしは思っていた。
だから、それが許せなかったのだ。
彼のしたことは、そしてわたしのしたことは、紛れもなく間違いなのだから。
「ナマエ、許す愛もあれば、許さない愛もある。いまのきみなら、もうそれがわかるはずじゃ」
彼は、理解したがらないじゃろうが。そう呟くダンブルドアの目は、窓の外に落ちたままだった。
嘘だらけの愛だらけ
きみと壁越しの邂逅を果たしたのは嘘じゃなかった。