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※一部、暴力的な描写があります。お気をつけください。
Chapter4-4
トムは最近、ある老婦人の家をよく訪ねているらしい。
なかなか家宝を手放そうとしない、と愚痴るトムは、最近よく学生時代の友人たちと連絡を取っているようだ。
バーナードがよく手紙を持って朝の食卓に現れる。
「今度は誰から?」
「きみがよく気にかけてる、アブラクサス・マルフォイ」
「気にかけてるわけじゃないわよ!あなたが彼の髪でポリジュース薬を作ったんでしょう、だから感謝してるの」
アブラクサスは純血貴族の例に漏れず、純血主義そのものと言っていいほどマグル生まれを嫌っていたし、そもそもトムが親しい相手と一方的に知っていただけだったため直接話をしたことはなかった。
しかし彼はスリザリンの先輩にあたるトムのことは慕っているようで、ホグワーツでは一緒にいるところを時折見たものだ。
スリザリンは他の寮から遠巻きにされていたものの、スリザリン内での団結は強いようで、アブラクサスの他にも連絡を取り続けている相手は多いようだった。
「今日、アブラクサスがここを訪ねてくる」
手紙を読んだトムがそう言って立ち上がった。ここに住み始めてから早いことにもう2年が経っていたけれど、わたしも彼もこの家に誰かを呼んだことはなかった。
「そうなの?わたし仕事だけど、帰ったら夕食でもどう?」
「僕も行かなければならないところがあるから、きっと同じくらいになるだろう。僕が帰るまでアブラクサスは来ないから、きみは慌てなくてもいい」
初めての来客に、わたしの心は踊っていた。
アブラクサスとは校内ですれ違うだけの相手だったけれど、トムのホグワーツの友人を招待するというのは、わたしにとってとても素敵なことに思えた。
「じゃあ、部屋を綺麗にしておくわ。それくらいしかできなさそうだけれど」
わたしは、このアブラクサスの来訪が、わたしとトムの道を決定的に違えてしまうとは全く予期していなかった。
いや、そもそも、ずっと前から―それこそ、マートルの事件が起こるより前から、彼はわたしの知らないところで深淵を覗いていたのだ。どこまでも底の見えない闇を。
わたしは早めに仕事を切り上げさせてもらい、マファルダがわたしのポケットに詰め込んだキャンディを口に投げ込みながら暖炉から転がるようにして出た。
暖炉での移動は何度使っても慣れない。煙いし、何より灰がつく。
トムはまだ帰ってきていないようで、家の中は静寂に包まれていた。
外はやけに暗く、普段何もかも包んでくれるようなおおらかな森が、まるで初めて来た知らない場所のように見える。
トムが早く帰って来るといいのに、と思いながら腰にエプロンを巻いて、朝少しだけ準備しておいたチキンの腹に野菜を詰め、オーブンへと入れる。
少し奮発しすぎな気もしたけれど、トムの友人が訪ねて来るのだ。少し浮かれていても文句は言われないだろう。
トムの帰りはいつもよりもずいぶん遅かった。客人が来るのに、とわたしは少し気が急いたものの、仕事で何かトラブルがあったのかもしれない、と気を取り直す。
あたりがすっかり暗くなり、チキンの皮がこんがりと焼けてオーブンから何とも言えない食欲をそそる香りが漂い始めた頃、ドアの外で姿現しをするくぐもった音が聞こえ、そのまま中に入って来た。
「トム!おかえり」
どこか興奮している様子のトムの手には、見たことのない金のカップとロケットが握られていた。トムの手の中で揺れるそのロケットには、Sというイニシャルが飾られているのが暗い中でかろうじて見える。
「それ、どうしたの?もしかして、ボージン・アンド・バークスから?トムが何かを持ち帰って来るのは珍しいわね」
わたしが暗くなってしまった部屋のテーブルのろうそくに杖で明かりを灯すと、彼はその明かりにカップとロケットをかざして入念にそれを確かめた。
ろうそくの火がロケットに映ると、イニシャルを描く蛇がまるで生きているように動くかに見えて、わたしは何だか恐ろしくなる。
「ああ、これはスリザリンとハッフルパフに由縁するものだ。僕はようやくこれを手に入れた」
彼の声には興奮と喜びが入り混じり、今にも叫び出しそうなほどだった。
「そうだ、このロケットはきみに預けよう」
トムは思い立ったように言うと、カップをテーブルに置き、わたしの後ろに回り込んでロケットのチェーンをわたしの首にかけた。
「大切なものでしょう?いいの?」
「きみが失くさなければいい。だが、僕の命がこれにかかってると思ってくれ」
「トムったら大げさね」
わたしはくすくす笑ったけれど、トムは真剣なようだった。鏡にうつすと、トムが学生時代くれたネックレスとよく合うようだ。
そうしているうちに、扉がノックされた。
事前にアブラクサスにもこの家の見つけ方を教えていたらしい。そうでないと、錆びたポストが落ちている空き地にしか見えないだろうから。
トムが「入れ」と声をかけると、アブラクサスは素直にドアノブをひねって入ってきた。その手には大きく、重そうなカバンが握られている。
「アブラクサス、知っているかとは思うがこちらがナマエ・ミョウジだ。ナマエ、こちらがきみのお気に入りの、アブラクサス・マルフォイ」
「トム!」
上機嫌でお互いを紹介し始めるトムの言い方にわたしが抗議しても、彼はどこか浮かれているようだ。
「ミス・ミョウジ、以後お見知り置きを」
彼が手を差し出すので、わたしもあわててその手を握りながら言う。
「ナマエでいいのよ。わたしも勝手にアブラクサスと呼んでしまっているし…」
握手をしたアブラクサスの手は冷たかった。まだ夏なのに、もともと体温が低いのかもしれない。
アブラクサスはわたしを値踏みするように上から下まで眺めると、態度だけは紳士にそっと手を離す。
少し居心地が悪いままにわたしはキッチンへと向かい、チキンを取り出した。
いい焼き色が付いたそれをテーブルに置くと、トムは「きみがこれを?」とわたしを覗き込み、ナイフを取ってそれを切り分けた。
アブラクサスの皿にトムがチキンを取り分けると、アブラクサスはまるで、先輩と後輩というよりは、主君に何かを与えられたような反応をした。
スリザリンの気風なのかもしれないけれど、わたしにはそれがとても奇妙に見える。
「アブラクサス、あれはちゃんと持ってきただろうな」
「ええ、もちろん」
トムはチキンをかじりながら、アブラクサスの答えに満足げに鼻を鳴らした。先程のどこか奇妙に感じられた雰囲気は立ち消え、食卓を囲む姿はホグワーツを思わせる。
「何だか懐かしいわ」
わたしが思わずそう言うと、トムも「そうだな」と頷き、わたしのグラスにワインを注いでくれる。
アブラクサスはそれをただ無言で見つめていた。
すっかりテーブルの上には何もなくなり、食後のワインをひとくちふたくち飲んでいると、トムが唐突に立ち上がった。
「ナマエ、今日はきみにやってもらわねばならないことがある」
わたしが首を傾げていると、アブラクサスもトムに倣って立ち上がり、持ってきた大きなカバンを開けて床に向けてその口を振った。
どさりと、何かやわらかいものが床に落ちる音とともに現れたそれに、わたしは目を見開き、驚きに声も出なかった。
そこに倒れこんだのは、腕を縛られた母らしき娘と、小さな男の子だったのだ。
二人は見る限りマグルのようで、まだ生きてはいるものの魔法で眠らされているようだった。
「ト、トム、この人たちはどうしたの、何で」
うわごとのようなこんな言葉しか出ないわたしに、トムはまるで歌を口ずさむように楽しげに言った。
「きみが殺すんだ、好きな方を選べ」
言葉はこれ以上ないくらい残酷なのに、トムの顔はいつもと同じだった。まるで、昨日わたしに「おやすみ」と言って額にキスを落とした時のように。
「この人たちが何をしたって言うの」
「マグルというだけで、罪悪なんだ」
わたしの前に立つのが誰かすらわからなくなってきた。思わずアブラクサスに助けを求めようと顔を向けるが、彼は表情もなく母子を一瞥した。
いつのまにか母親が目を覚ましたのか、腕を縛られたままで後ずさりする。突然さらわれたのだろう、状況もわからぬまま恐怖に怯えているようだった。
こんな状況の中でわたしたちから子どもを遠ざけようと必死にもがく姿を見て、わたしは思わず顔を伏せた。
きっと、わたしが今彼女たちを無理やり解放しようとしても、トムが許さないだろう。どうすればいいのか考えれば考えるほど、何も手がないことを思い知らされる。
「助けて、あなたたちは誰なの、わたしたちが何をしたっていうの!」
涙ながらに叫びはじめた母親の声だけがこの家に響いた。トムはわたしを見つめ、彼女を顎でさす。やれ、とその目が言っている。
「どうして、何で急にそんなこと言い始めたのよ」
「急に、ではなく、ずっと考えていたことだ。僕がこれからすることは、偉大で正しい。しかし、その途中で邪魔が入るだろう。その時に、きみもきっと標的になる。僕と一緒にいるのだから」
弱点はあらかじめ潰しておくべきだろう、と当然のように言い放つ、トムの言っていることが一つも分からなかった。
わたしがこの人を殺して何になるのか、何一つ理由になっていないじゃないか。
「やかましく泣き叫ぶな、耳障りだ」
呆れたように母親に向かってそう言うトムが、わたしの知るトムと同じだと思いたくなくて、わたしは目をそらした。そんなトムに対し、アブラクサスは母親に杖を向けながら、
「口を塞ぎますか」
と造作もなさげに言う。
狂ってる、この人たちは、狂ってしまっている。
「いや、」とトムがわたしを一瞥してこう言った。
「こうしよう」
起きぬけで、小さな男の子は周りがどういう状況なのかわかっていなかった。泣き叫ぶ母親を見て、どうしたの、と小さく尋ねている。
トムは、そんな男の子に杖を向けた。
「Crucio」
静かに彼が唱えたその呪文が何かを、わたしは流石に知っていた。途端に体をひねって苦しみだす男の子に、母親は驚愕して抱きしめようとするが、縛られていてそれもできない。
「死の呪いは使ったことはなくとも知っているはずだ。きみが母親を殺さなければ、あの男の子は苦しみの末に息絶えるだろう」
あんなに小さな男の子が、磔の呪いの苦しみにいつまでも耐えられるはずがなかった。体を硬直させ、今にも気絶しそうなのに、呪文のせいでそれすらかなわない。
「やめて、お願い!やめて、トム、お願い」
わたしの声は涙で震え、ほとんどかすれてしまっていた。トムの手を掴んで杖を逸らそうとするけれど、むしろわたしの杖腕を掴まれてしまう。
「きみがやらなければ、ずっとこのままだ」
トムが耳元で囁く。
目の前に広がっているのは地獄だった。
「お願い、わたしを殺して、この子を助けて」
そう懇願し始めた母親が、わたしの足元に体を引きずって寄ってくる。
「わたしを殺して、お願い」
彼女のブルーの目が、涙でぼやけるのを見とめて、わたしは絞り出すように唱えた。
「…Avada Kedavra」
彼女の瞳から生気が消え、ぐったりとその場に横たわる。わたしは膝から力が抜けてしまい、その場に倒れこんだ。
「ナマエ、よくやった。これできみの分霊箱が作れる」
トムは事もなげにいうと、ようやく状況がわかったのかこと切れた母親に駆け寄って泣き声をあげる男の子に杖を向けた。
「トム!」
わたしが叫ぶのと同時に、彼はわたしが先ほど唱えた呪文を口にする。男の子はあっけなく、母親の上に折り重なった。
「アブラクサス、それを始末しておけ」
わたしがその場で聞いたのは、それが最後だった。トムの腕に抱かれながら、わたしは気が遠くなるのを感じ、そのまま目を閉じた。
まぼろしがはがれ落ちた
ああ、わたしは夜の一部に成り果てた。