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階下の混沌とした衝突が嘘のように静まり返っているフロアに、なにかが気配を潜めて降り立った鈍い音を聞いた。

ベッドに腰掛けていたわたしは、そばに置いている杖の柄を握った。そうして立ち上がろうとした拍子に、枕元に置いてあったらしい本が、ゴトリと音を立てて床に落ちる。どうやらわたしも、動揺していたらしい。ここに忍び込んだ侵入者も音に気づいたようで、いっそう警戒するような気配を漂わせながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

キィ、と音を立てながら、扉が開く。その瞬間に飛び込むようにして中に入ってきた男は、まっすぐにわたしへと杖を向けていた。そうしてそこでやっと、相手がわたしであると気づいたのか、ハッと息を飲む。その人好きのする柔和な顔立ちのひとは、他でもない赤毛の少女の夫だった。

「なぜ、ここに――」

まさに思わず漏らしてしまったといった様子の言葉を、彼は吐いた。しかし思い直したように唇を引き結ぶ。なぜわたしがここにいるかの理由くらい、彼とて見当がついたのだろう。

彼とお互いに杖を向けあって話すのは、初めてだった。いつもわたしたちの間に置かれていたティーカップは、もう永遠に消えてしまった。

「あなたが来るとわかっていたわ」

いつまでも続くように思われた沈黙を破ったのは、わたしの方だった。この場には似つかわしくないほど、穏やかな声が出る。そんなわたしを訝しげに、そして何より苦しそうに見つめる彼は、黙ったまま先を促す。

「闇払いに、彼らがここに来ると密告したのはあなたでしょう。あのかわいそうな坊やを見つけたのは、あなただもの――」

ひとり逃げ出した男の子は、ただ身一つで飛び出したのではなかった。彼の両親は、彼のポケットに、ヴォルデモート卿が次に狙うであろう屋敷の情報を忍ばせて、蜘蛛の糸にすがる思いでかわいい息子を逃したのだ――。そうして、奇しくもわたしが彼にジャケットを着せたことで、その秘密はトムから隠された。幼い彼の体を抱きしめていた時に気づいた小さなほころびを、あの時わたしは見逃すことにした。その結末が、こうらしい。

わたしの考えは間違っていないようで、彼は頷きはしないものの、喉を鳴らして少し杖先を震わせた。そうしてしばらくの逡巡の後、「お願いだ、」と口を開いた。

「お願いです、私を止めないでください。ここまで来ても、私にはあなたを殺す勇気がない。私はきっと、やり遂げる前に殺されるだろう。だから――、どうか、何も言わずに見送ってください」

悲しみに満ちた口上は、たどたどしくも切実な響きを伴っていた。たった数度話しただけの女にまで、こうして情けをかけるのだ。わたしの人生に、今までこんな男がいたろうか?わたしは思わず、口を手で覆いながら自嘲した。この男は、そして彼女は、わたしが選ぼうともしなかった未来なのだ。

「どこへ見送るというの」

だからわたしは、こう口にした。この道を、選ぶことにしたのだった。彼はわたしの言葉の意味をはかりかねたのか、困惑の表情を浮かべている。そして、復讐の相手だというのに、まだ恐れがあるのか「 “あの人” のところへ――」と、しばらくの間を挟んで答えた。

「あなたが殺すべき相手は、目の前にいるのよ」

彼の表情は最初、にわかにぼんやりと口が開いた程度だった。けれどゆっくりと――その顔に、驚愕と疑念が、浮かび上がってくる。かっと見開いた目は、まっすぐにわたしを映していた。

「何を、言って……」

わたしはわざと、嘲るような色を浮かべて彼を挑戦的に見返した。

「彼女を殺したのは、わたしなの」

「――そんなわけ、」

いまだに信じられないのか、彼はそう言って大きく首を振った。うわごとのように、「彼女を殺したのはあの人だ、」と何度もつぶやく。かわいそうに、蒼白な顔をして体は大げさなほどに震えていた。

わたしはそんな彼に追い打ちをかけるように、言葉を続ける。

「傑作だったわ、わたしを迎え入れようとして、杖を向けられてもきょとんとしてた。けれど理解した時には、見苦しく命乞いした――あなたを差し出すから命だけは助けてくれと……」

「彼女はそんな人間ではない!」

バーンという激しい音ともに、わたしの足元に落ちていた本に焼け焦げた穴が開いた。その後もわたしの周りのランプや、ガラスの物置、シーツにまで呪文が飛んだけれど、わたしは彼に杖を向けたまま、何もしなかった。ついには膝から崩れ落ちてうなだれた彼を、わたしはただ見つめるだけだ。

「そうね、あなたの言うとおりよ。彼女はこう言った、“わたしのことは好きにしていいわ、夫と息子だけは助けてちょうだい” と」

わたしの言葉に、彼はようやく顔を上げた。ゆっくりと立ち上がりながら、その顔は憎しみに染まっている。わたしは心の中で、さあ、と唱えた。あなたのやるべきことはひとつよ、わかっているんでしょう。わたしは、彼がこの場所に姿を現したらこうしようと、あの日からずっと考えていたのだった――。

彼が口を開く。

ああ、と言葉にならない声を漏らしながら、わたしはそれを受け入れた。彼が唱えたのは、死の呪文ではない――けれど、一人の女の息の根を止めるには十分な、そんな呪いだった。

星となって果てるまで



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