▼ ▼ ▼

それから、トムが屋敷をあける日には、日記の彼に向かって羽ペンを取ることが多くなっていた。

『彼、怒るかしら?』わたしがそう書き連ねると、するするとその文字は消えて、瞬く間に彼の筆跡が浮かび上がる。『そうであれば、そもそも君に僕の存在を言うはずがないさ』と。

最近のトムは、この屋敷に戻ってもすぐにどこかへ消えてしまう。彼が “一ヶ月後” と言った日は、一週間後に迫っていた。そのためか、屋敷を訪れる死喰い人たちもどこか浮ついた雰囲気を醸している。すれ違ったドロホフが何か手慰みをわたしに向かって言いたげなのを、アブラクサスが制しているのを見た。誰でも彼でもたぶらかしやがって、と悪態付いた彼は、足音を荒くして去っていく。アブラクサスもまた、わたしを一瞥して何も言わずにその場を後にした。

ずいぶんと、大掛かりな作戦のようだった。多くの死者が出るだろう。トムが人を殺すのを見ても、わたしは動揺したことがなかった。けれど、あの時は――命乞いをする小さな子どもがこと切れたときばかりは――。そこまで考えて、わたしは首を振る。思考を振り払うように。

『あなたが初めて人を殺したのは、あの夏休み?』

わたしがそう尋ねると、少しの間をおいて、『ああ』と返ってくる。あの日のことに言及したのは、生身のトムを含めて初めてだった。それ以上、トムが何も返す気はないと悟ったので、わたしも追求することはなかった。

日記の中の彼に対しては、何のてらいもなく、すさびごとのようにして今までわたしが口出ししたことのなかったことまで、聞くことができた。それに対し、トムは拍子抜けするほどに隠すことなく返してくるので、今までわたしが彼の行いに沈黙を貫いていることは、彼にとってさほど重要でなかったことに気づく。彼はわたしの、そういうところを買っているのだと思い込んでいたけれど。けれど、わたしがそう記すと、トムは『僕はこの日記の中に閉じ込められて、退屈しているからじゃないか?』と、どこか他人事のように言うのだった。

『あなたはなぜ、あの赤毛の子を、殺したの』

この文字を書き記すまでに、ずいぶんと時間を要した。少し、指先も震えていた。どんな答えが返ってくるにしろ、わたしがそれをよろこんで受け入れることはないだろう。けれど、聞かずにはいられなかった。あの日から、わたしは――わたしの中の何かは、かたちを変えてしまった気がしたからだ。

『さあ。彼が何を考えているのか、全て読めるわけではない――』

浮かび上がった文字をそこまで読んだところで、まだ続きがあると思われたその文章は瞬く間に消えた。そして次の瞬間、勢いよく扉が開いて、彼が入ってくる。黒いローブを身にまとった、いつものトムだった。

トムはここで何をしている、と言いたげに口を開こうとしたけれど、わたしの手の中にある日記に目をとめて、わたしが何をしていたかを悟ったようだった。つかつかと歩み寄ったトムは日記を閉じて取り上げると、元あった棚に、どこか乱暴に押し込む。

「ずいぶん退屈させていたようだな」

「あら。 “あなた”が相手してくれていたおかげで、そうでもなかったわよ」

立ち上がったわたしの腰を支えるように抱いて、「君の部屋に食事を用意させた」とトムは言う。

「……もうあれを開くな」

廊下を二人で歩きながら、トムは口にするのも忌々しいといった様子でそう言った。日記に人格を持たせたことを、後悔しているようだ。

「ますます君の姿は頼りなくなった」

日記のトムは、わたしの魔力を吸い取らないようにと日記での会話を提案したけれど、きっとそれだけでもずいぶんと消耗していたらしい。まるでわたしを心配しているかのような言葉を吐くトムに、わたしは思わずくすりと笑った。

「童話の狼みたいなことを言わないで。太らせて食べようなんて、そんな魂胆じゃないでしょうね」

わたしがそう混ぜかえすので、トムはますます不機嫌に黙り込んだ。わたしはトムの前に立って彼の足を止めさせると、頬に手を添えながらそのうつくしい瞳を見つめた。トムも同様に、わたしの目を覗き込んでいる。まるで、開心術でもかけようとしているみたいだ。

「あなたの一部に全て奪われてしまうのも悪くないと思ったわ――でもそれではだめ。あなたのこの目を見ながら、いかなくては」

トムはしばらくそのままわたしを見下ろしていたけれど、その話は終わりだと言うように、わたしの後頭部に手を回して軽く引き寄せ、口づけを落とした。彼との口づけは、いつも――少しずつ、何かを奪われている気がする。よわいところをくすぐられて、小さくくぐもった声をあげる。だんだんと息が上がっていっているというのに、トムがそれをやめることはなかった。思わずゆるしを乞うように、胸元にすがりつく。思考が溶けていくのを、わたしは感じていた。

この瞬間にわたしは、また彼のものになる。

朝が来るまできちんと泣いて



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -