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「お待たせしたかしら」

わたしがそう声をかけると、彼は口に運びかけていたカップを少し震わせて、もう一度ソーサーに戻した。わたしを見上げる目には、どこか緊張したような色がある。わたしはそれに気づかないふりをして、彼の前に座った。しばらく会わないうちに、少し頬の肉が落ちたようだった。

「お呼びだてしてすみません、お元気でしたか」

場所はロンドン、マグルでいっぱいの大衆店だ。わたしの前に置かれたコーヒーは泥のようだ。飲むのをあきらめたわたしは、テーブルの上でゆるく指を組んでいた。

「お気になさらないで。わたしも近々お会いしようと思っていました」

そのあとは、いつもの通り彼の息子の話、どこか以前より弾まなくなった彼の妻の話、彼の近況などを世間話のように話して、しかし彼はどこか上の空だった。わたしはコーヒーを口に含むようなふりをして、彼の様子を伺った。彼から手紙が来たのは一週間前のことだ。オリオンが訪ねた日に、それは届いていた。どこかためらいがちな筆跡の、その真意を読み取ろうとはしなかった。それがただの怠惰なのか、それともそれ以上知りたくないという自己防衛なのか、自分でもよくわからない。

「そういえば、」とわたしは切り出した。彼がいつまでも上滑りするような話を続けるので、何かで遮ってやる必要があると考えたのだった。

「 “――家” に闇の印が上がったようですね」

新聞に大々的に書かれていたので、彼も知っているだろうと、ただそう考えただけだった。けれど彼はわたしの口からその家の名前が出た途端、カシャ!と思い切り音を立てて、カップをソーサーに取り落とした。その衝撃で溢れた紅茶を慌てて拭く姿がどことなく哀れで、わたしはマグルに見えないよう杖で元どおりにした。

「ミョウジさん、私は――」

彼が浮かべているのは、苦しげな表情だった。口にするのを恐れているようだ。

「私は、襲撃が行われた後、闇払いが帰るのを待って、彼らが隠れ家にしていた家に行きました。せめて、何か痕跡や、闇の魔法使いが集う屋敷の場所のヒントがないかと……」

わたしがトムに連れられて行ったあの一軒家に、彼も訪れていたと知っても、わたしが動揺することはなかった。わたしの様子を伺っていた彼に続きを促すと、彼は言葉一つ一つを確かめるようにゆっくりと話した。

「部屋の中はすでに闇払いたちが検分した後だったので何も残されてやいなかったので、私は家の周りを見て回ることにしました。外はずいぶん暗くなっていましたが、何か見つかるまで、朝になっても探し続けるつもりだったんです。

すると、木の陰に小さな靴が見えた。私はなぜかそれが息子のように思えました。私が必死な思いでそれに近寄ると、そこにいたのはすでに事切れた小さな男の子でした。闇の魔法によって、彼は死んでいた」

硬く握り締めた拳を、じっと見つめながら彼は話していた。その時見た光景を思い出しているのだろうか、彼の声は震えている。わたしは彼が言いたいことに、すでに気づいていた。しかしそれならば、彼はわたしがどんな反応をするのか、蛇のようにじっくりと見つめていなければいけないのだった。けれど彼はまるでそんなことをせず、ただ視線を落とし続けている。いままで実直に、温厚に過ごしてきた彼の人生が垣間見えて、わたしも彼と同じように目を伏せた。

「しかし、その子どもはただ殺されているだけではなかった。彼が凍えないように、毛皮の――彼が着るには大きい、女性もののジャケットが、着せられていました。殺した後に着せるには手間がかかるので、きっと殺される前に着せられたものだと思いました。

……私はそのジャケットに見覚えが、ありました。あなたに前、お会いした時――あなたはそれを着ていた。私は恐ろしくなって、男の子からそのジャケットを脱がせた。そうして、男の子の体を家まで運んで脱がせると、そのまま姿くらまししたのです」

そこでやっと、彼は私を見つめた。彼はもう、同じものを別人が持っていたという可能性は捨てているらしい。それは当たっている。あのジャケットは、わたしに合わせて作られたものだったからだ。わたしが何も言わないので、彼は焦れて言葉を続けた。

「あの日、あなたはあそこにいたのですか。もしかして、あなただけが、あの場から逃げ果せたのでは――?」

ここまで来ても、彼はわたしが襲撃された側の人間だったと信じたいらしい。今日のうち一番熱心にそう言った彼は必死だった。彼女の思い出話のできる友人を失いたくないのか、一度信じた人間に失望したくないのか、それとも――?わたしが彼の手を握って、男の子と一緒に逃げていたけれど、追われて彼は犠牲に、などと嘯けば、彼が容易に信じることはわかっていた。けれど、わたしがそれを選ぶことはないのだった。

「あなたが考えまいとしていることが、真実よ」

絶望に彼の顔が蒼白になるのを見た。人のいい顔のせいで、悲壮感が増しているように感じる。彼への裏切りは、わたしの胸に少しばかりの複雑な思いを残した。

「ごめんなさい。でも、わたし言ったでしょう?あなたが思うような人間ではないと」

彼は震える唇を何度か逡巡するように震わせて、けれど今度はしっかりとわたしの目を見つめていた。

「私が――あの毛皮を見てなぜ恐ろしくなったのか……それは、あなたが悪人だと、男の子が見つかった時に世間が思うことを、恐れたからだ。あなたに火の粉がかかることが、男の子が殺された衝撃より、恐ろしかった。私はあなたを、あなただけを、信じていたのに……」

もっとうまく騙し続けることはできたのに、わたしがそうしなかった理由づけをすることは難しかった。だからわたしは彼の震える拳に手を添えて、そっと撫でた。子どもをなだめる母親のように。

「……今日は行ってください。私にはあなたを闇払いに突き出すことも、いまここで……杖を向けることもできない。――けれど、次に私たちが顔を合わせた時、その時は、あなたは私の敵になるだろう」

孵化したがりの四肢にさよなら




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