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寒さはずいぶん緩んできたのに、まだ雪がひらひらと降り落ちている。粉雪だ。

ベッドの脇に置かれた文机には、梟運んだ手紙の数々が置かれたままになっている。わたしは窓からうっすらと視界を白く染めるそれを見つめていた。まるで、その中から待ち人が現れるかのように。しかし、そこには人っ子一人現れない。この屋敷を訪ねるものなんて、もともといないのだけれど。

しかし、その予想を裏切って、まるで雪の一粒が変化したように、その人は現れた。真っ黒な外套を羽織り、フードを被ることなくこちらの窓をまっすぐに見上げている彼は――。

「オリオン…」

わたしがそう口ずさむように囁くのを知っているかのように、窓の外の彼は微笑む。


「どうしてここに?」

肩の雪を払いながら中にはいるオリオンにわたしは駆け寄った。今日もトムはいない。それを見計らってきたのか、それとも偶然なのか、わたしには分からなかった。オリオンは、以前来た時と同じようにソファに座ると、わたしが出した紅茶のカップを手に取りながらいたずらっぽく笑う。

「君に会いたくなって」

その言葉にわたしは思わず、くすりと笑ってしまう。一つも変わらないのね、と心の中で語りかけながら。彼は伝統や家柄に縛られ続けながら、どこまでも自由なのだった。

「“――家”が、襲撃されたようだな」

彼が口にしたのは、あの、わたしが立ち会った “粛清” が行われた隠れ家の、持ち主の名前だった。血統書付きの純血の家系とは言えないものの、それなりの歴史を持つ家だ。新聞にも載ったに違いないのに、どうしてオリオンの耳に入らないなんてことがあるだろう。彼はそれがトムの仕業だと、当然わかっているようだった。

「家庭なんてものを持つと、悩みの種が増える。厄災の火種を振り払うのに精一杯だ」

――こんな時代だからな、とオリオンは付け加えて、そっとソーサーにカップを戻した。彼の表情には、学生時代には感じなかった背負った者の重みのようなものが見えて、わたしは思わず目が離せなくなる。けれど彼はすぐにその陰った色を打ち消して、わたしを見上げた。

「君は変わらず美しい。私は時が移ろっても変わらないものを確かめに、ここに来たのかもしれない」

「ずいぶん感傷的ね。わたしも、あなたと同じように年を重ねたっていうのに、変わっていないはずがないわ」

学生時代が一番輝いていたと、実感していたところよ、と、そう言うと、オリオンは微笑みを残したままの表情で、ゆっくりと首を横に振る。そしてわたしの頬に手を伸ばして、躊躇いがちに、肌に触れた。まるで咲いたばかりの花弁を、そっと包むように。彼にしては、ずいぶん遠慮がちな手つきだった。

「――そうだな、永遠に変わらぬものなどない」

そのどこか不安げな――彼に限って、そんな訳はないと思うのに――表情に、わたしは胸騒ぎがした。しかし彼はわたしの頬から手を離すと、かけてあった外套を手に取り、「邪魔をした、紅茶をありがとう」と別れの言葉を口にする。

「もう?」

わたしが思わずそう口にすると、オリオンは不意をつかれたような顔をして、困ったように微笑んだ。

「変わっていないと言ったが、取り消す。君はずいぶんかわいい人になった。そんな風に、男を喜ばすことなんて言わなかったろう」

「どれだけ会っていなかったと思うの?久しぶりの再会なのに、こんなに短い逢瀬だなんて思いもしなかったわ」

わたしがそう肩をすくめながら言うと、オリオンは不意に、わたしを引き寄せた。そうして、わたしの耳に顔を近づけると、唇が触れそうなほどの距離で、囁いた。

「彼に抵抗する集団が、君の存在に勘付いたようだ。滅多なことはないとわかっている。しかし気をつけろ」

彼の声は真剣で、また、切実だった。彼はすでに妻を持っているというのに、わたしに共に行こうと言ったときと同じ色を感じて、わたしは思わず彼を、はっと見上げた。その瞬間、まるで口付けの前のような、形容しがたい空気が私たちの間に流れた。しかしわたしたちはもう、戯れにキスができる時代を永遠に捨て去ってしまっていたのだった。

「相変わらず、やさしいのね」

わたしはそう、つぶやくように言うほかなかった。昔のわたしはどう返していただろうか。きっと、彼をからかっていたに違いない。けれど、わたしはもう、そうはできなかった。彼は彼の守らなければならないものがありながら、それでもここに来ることを選んだのだと分かっているから。

「悪い事は言わない――ここから離れろ。そして、安全な場所へ――」

自分の元に来い、と、そう言えない彼の立場をわかっているから、わたしはその言葉にゆるく微笑んで返した。彼が扉から出て行くのを見送って、わたしは二階の自室に戻る。窓から雪景色の中黒い外套が瞬きの間に消えるのを見つめながら、わたしは積み上げていた手紙の、一番上のものを手に取り、その封蝋で閉じた封をナイフで裂く。

そうして、手紙に綴られた文章に目を通すと、わたしはそれを暖炉の中に放った。まだ開封していないものも、すべて。

杖を振った途端一瞬にして燃え盛る炎が端から焦がしていくのを眺めながら、わたしはその中に彼の瞳の色を見出すのだった。

リップルマークの点滅信号




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