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「どうしてここに?」

どこか苛立ったような声が降ってきた。

振り返ると、そこには不機嫌そのものという顔をしたアブラクサスが立っていた。長身の彼の影に隠れたわたしは、向こうの喧騒から切り離されたように感じる。

「彼がお呼びだから」

その答え以外ないに決まっているのに、それでも尋ねたい理由を考えても意味のないことだろう。わざとへりくだって言うのは子どもっぽい悪戯心のせいだった。案の定、その答えを聞いてもアブラクサスは納得していないようだった。金糸のようなプラチナブロンドを一つに結った束を揺らしてさっと振り返り周りを確かめると、長身を折ってわたしの耳元に唇を近づけた。「君がいる場所ではない。今すぐ帰れ」。そう囁いた声は細く、緊張していた。それほど彼の怒りを買うのが恐ろしいなら、黙っていればいいというのに。

「あなたこそこんなところにいていいの。まだ終わっていないんでしょう」

わたしが彼の後ろを指すと、アブラクサスは何かを堪えるような表情を浮かべて踵を返した。おぞましい呪文をかける時には表情一つ変えない男が、こんな些細なことでそんな顔をするなんて。わたしは小さくため息をついて、もう一度壁に背を預けて深い闇に包まれた森をぼんやりと眺めた。鬱蒼とした木々はどこか屋敷を彷彿とさせる。あの屋敷とは、遠く離れた地にいるというのに。

わたしはトムに連れられて、彼に反旗を翻そうと決起していた集団が隠れ家として使っている山奥の一軒家にいた。壁一枚隔てた内側では、今まさに殺戮が行われている。わたしは煉瓦造りの壁の外側にいた。静かだ。とても、静かだ。足元に積もった雪が、音をすべて吸ってしまったかのように。

早く帰りたい、と思った。屋敷は息がつまるのに、外に出ると無性に恋しくなる。やはりわたしは、誰かに、何かに縛られていないと生きていけない家猫なのだ。

わたしが一応出しておけとトムに言われた杖を指先で弄んでいたときだった。森の中で、小さな影が横切ったのは。

目を凝らすと、そこにいたのは幼い子どもだった。木の陰に隠れて、そっとこちらを伺っている。隠れているつもりなのだろうが、こちらからはその姿がはっきり見えていた。寒さで頬は赤く、震えている。わたしが彼に向かって足を踏み出そうとすると、彼はビクッと震えて木の陰に入った。

「ミョウジ!」

粗暴な声で呼ばれて振り返ると、そこには死喰い人の仮面をかぶった男が立っている。ドロホフだ。わたしは彼が嫌いだった。わたしを見下したがるが、そのくせ視線にはねっとりと粘ついた色を感じるのだった。

わたしがうんざりと彼を見やると、ドロホフは殺人の後の爛々とした興奮を目に浮かべながらわたしの周辺を見回した。「子どもが来なかったか」と口にしながら。わたしの周りに、小さな足跡がないかを確かめているらしい。

「いいえ」

わたしが静かに答えると、ドロホフはふんと鼻を鳴らした。わたしが外で一人、何もせずにいるのを挙げ列ねたいという顔をしたけれど、来た時と同じく騒々しい足音を立てながら戻っていった。静寂に包まれていたこの場所が、泡を指で突いたように一瞬にして崩れたのを感じる。

わたしはドロホフが家のドアを閉めたのを確かめて、迷いなく少年のもとに足を踏み出した。だんだんと静寂が戻ってくるのを感じる。その中にあるのはわたしが雪を踏みしめる音だけだった。

少年は、その場から動くこともできず、小さなカバンを抱きしめていた。着の身着のまま出てきたらしく、この季節にはずいぶん薄い格好をしている。彼の震えは恐れだけではなく、寒さによるものも多分にあるだろう。もしかしたら、彼の両親が間際に逃がしたのかもしれなかった。

わたしは少年の目線に合わせるようにしゃがみこんで、肩にかけていた毛皮のジャケットを彼の方に羽織らせた。彼にはずいぶん大きかったらしく、すっぽりと収まってしまう。

「どうしたい?」

大きな目に涙を浮かべながらわたしを見つめる彼に、わたしはそう囁くように尋ねた。白い息がゆっくりと消えていく。彼を安心させるように、乱れた前髪を整えてやった。まだ本当に、幼い子どもなのだ。一人で森を歩いたこともないだろう。丸い頬は可愛らしかった。

「あなたはだれ?」

彼はやっとのこと、そう口にした。一度口を開くと止まらないようで、「おかあさんとおとうさんをたすけて。おねがい」と矢継ぎ早に言う。彼の目は切実だった。けれどわたしはその願いを叶えてはやれないのだ。小さく首を振るわたしの袖元を、おねがいと掴む手があまりに小さいので、わたしは包むように握った。つめたい。

「ナマエ」

その時だった。冷たい空気を切り取ったかのような声で、わたしの名前を彼が呼んだのは。

「そこで何をしている」

わたしの名前を呼んだ時には森の外にいたようなのに、ゆっくりとこちらへ向かってくるその足音は、どんな宣告より残酷に思えた。わたしは思わず固まっている少年を抱きしめる。

「ナマエ」

振り向く必要もない。彼が、わたしを見下ろしている。

嘆きの部屋に十字架はいらない




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