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「どんな――生徒だったのですか、彼女は」

丸いテーブルを挟んでそう問いかける彼に、わたしは瞼を伏せた。視線が、わたしに向いているのがわかる。彼の前には湯気を立てるコーヒーが、まだ一口も飲まれずに置かれたままになっていた。

「きっと、あなたが知る彼女そのままでしたよ」

わたしはミルクを入れた紅茶のカップを傾けつつ、そう答えた。カップの中に視線を落とすとその柔らかな色合いで視界がいっぱいになり、彼の姿が一瞬消える。彼は、なんとも形容しがたい表情をしていた。あれが、復讐を望む顔なのだろうか。わたしは今まで、他人の感情を推し量ろうだなんて野暮なことをした覚えがない。そのためか、彼の浮かべる表情が何を表すのかを知ることはできない。

「――正義感に溢れていて、無邪気で、どこまでも……純粋。わたしには眩しいほどだった」

穏やかなクラシックの流れる喫茶店には、わたしたちのほか誰もいなかった。――わたしと、トムに復讐を誓う、赤毛の少女を愛した男の、二人だけ。

わたしたちは墓地で会って以来、ぽつりぽつりと連絡を交わすようになっていた。最初にフクロウ便を送ったのは、わたしだった。改めてお悔やみ申し上げます、と。すると彼も返信を返してきて、それ以来なぜかわたしの身を案じているらしい彼との不思議な文通が続いていた。

なんでも、わたしが自分のことを語らず、表に出ずに生活していることから、わたしも追われているのだと、そう考えているらしかった。わたしがその誤解をあえて解くことはなかった。彼のその考えを、わたしが否定しなかったので、彼の中でわたしの身の上はそう固まっているらしい。

もしかしたら、彼は彼女の思い出話をする相手を求め、また失いたくはないのかもしれなかった。あの事件以来、彼らに興味本位以外で関わりたがる人間は多くはないだろうから。ある意味、わたしのことを彼女の一種の “忘れ形見” の一つのように感じているのかもしれない。

「そういえば、彼女のご両親は?」

わたしが何気なく問うと、彼は顔を曇らせた。どうやら、平穏に暮らしているわけではないらしい。

「それが、私と彼女が結婚してすぐの頃に、ご両親ともに失踪したのです。ずいぶん手を尽くしましたが、見つからず……。彼女もしばらく気を落としていました。私はまだ生きていて、どこかに隠れているのだと信じています。彼女のことを知ったら、きっと辛い思いをしているだろうけれど……」

生きてはいないだろう。わたしは残念だ、と悲痛に眉を寄せた表情を浮かべたけれど、内心そう考えていた。トムのことだ、早々に始末したに違いない。彼のことを知り、またその上侮辱した人間のことなど。彼に、情けだとか、そういうものを期待するのは無駄なのだ。彼ははっきりしている。殺すべきか、あとで殺すべきか。ただそれだけなのだ。

「そう……。あなたのご両親は北のほうで暮らされているのよね。息子さんももうそちらに?」

「ええ。この前あなたとお会いした後に。息子まで、危険な目に合わせるわけにはいかないから。彼女の残した――最後の希望だ」

わたしは一週間ほど前、彼の子どもと顔を合わせていた。彼の手に抱かれた赤ん坊は愛らしく、その頬を撫でるとどこかきょとんとした表情を浮かべてわたしを見上げていた。そうしてわたしの人差し指を握ると、そのまま眠ってしまったのだ。そんな息子を彼は愛おしげに見つめると、「あなたのことが気に入ったらしい」と微笑みを浮かべた。父親とは、このような表情を浮かべるのだ、とわたしはどこか冷静に彼を見つめていた。

彼は、前に置かれたコーヒーにまだ一度も口をつけていなかった。テーブルにのせた拳は、白くなるほどに握られている。

「私も――息子と一緒に実家に戻るべきかもしれない。それが彼にとっても、最善かもしれない……。けれど、どうしても諦めきれない。彼女が帰ってこないのも、わかっているのに……」

彼は思慮深く机に拳を叩きつけるのを耐えているようだけれど、震える関節がコツコツと音を鳴らしていた。柔和な顔立ちに苦悶の色が浮かぶと、余計に彼の顔に落ちた影が際立つ。わたしたちは薄暗い喫茶店の中にいた。マスターは、早々に中に入ってしまっている。

わたしは彼の拳に手を重ねた。ハッと彼が顔をあげた隙に、硬く握られた手を開く。ひどく爪の跡が残る掌をそっと撫でて、壊れ物を扱うようにして握り込んだ。その手がもう一度、拳を作るのを止めるように。

「不器用な人ね、そんな生き方しかできない」

彼がわたしをあっけにとられて見つめているのを感じながら、わたしは手を見つめたままそう言った。彼の手は、トムとはまるで違っている。穏やかな人生を歩んできたのだろう、というわたしの考えが、そう見せるのかもしれない。ずいぶんあたたかい、とも思った。そうして、無意識に彼と比べてしまっていることを自嘲する。どこまでいっても、わたしはトムしか知らないのだ。トム以外を遠ざけてきた。

「けれど、それがあなたを生かす理由になるなら、それでいいと思う」

わたしはティーカップに残った紅茶を飲み干すと、「では、また連絡しますね」と努めて穏やかに言い、立ち上がった。するとおどろいたことに、離れた手を追いかけるように彼がとっさにわたしの手首を握りこんだのだった。わたしは彼がそんなことをするなんて考えもしていなかったので、ここにきて初めて、気の緩んだ驚きの表情を浮かべた。

しかし、その行動は彼自身、無意識に起こったものだったらしい。彼はあっ、と声を上げると、「失礼しました」と慌てて手を離した。あまりに彼が勢いよく体を引いたため、テーブルの、すでに冷えてしまっているであろうコーヒーの表面に波が立っている。

「あなたが、彼女のように見えて――」

彼が弁解のようにつぶやいたその言葉に、わたしはぞっとした。指先が震えるのを自覚する。鳥肌さえ立っていた。

「わたしは――彼女とは似ても似つかない人間よ」

声が震えていただろうか、けれど、そんなことも構わずに、わたしはその場を後にした。

ああ、いつからなのだろう。きっと、あの日からだ。あの、新聞を手にして、彼女の “抜け駆け” を知った時から。知らぬ間に、ずいぶん、わたしは弱くなった。昔なら、彼を抱きしめてさえいたかもしれない。わたしがいるわ、と囁きながら。

だというのに、今のわたしはどうだ。彼女と似ている、というただの言葉に動揺して、逃げるようにあの場から立ち去った。

もう何もかも捨ててしまいたい。そう考えながらも、わたしが姿現しした先は、ここなのだ。

この、いまわしく、また他でもない彼の待つ――屋敷なのだ。

「にんげんみたい」




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