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ホグズミード。
ここは、ホグズミードだ。
最後にここに足を踏み入れたのは、いつだったろうか。もうそれすら、思い出せない。わたしたちが雪を踏み荒らしていくのを、村の人々は目を合わせないようにと俯きながら窺っている。
「ここで待て」
トムがそう言った途端、集団が足を止める。そこはホグズミードにぽつぽつとある宿の一つの前だった。見るからに真っ当ではない者の多いこの黒衣の集団に、宿の主人はすでに顔を強張らせている。かわいそうに、とわたしは思った。彼は今日ねむれぬ夜を過ごすだろう。
「ナマエ、こちらに来い」
トムの後ろに控えていた者の中で唯一わたしだけが呼ばれたため、いやが応にも視線が集まる。どうしてこんなことに、と思わず眉をひそめそうになったけれど、すんでのところでとどまった。隙を与えてやるのさえ、わずらわしい。わたしはトムを信奉する彼らまで手に入れたいわけではなかった。ただ、トム一人。ただ一人だけを求めてやまないだけ。
トムがここに連れてきた魔法使い、魔女たちが全て宿の中に入るのを見届けると、トムは彼の黒いローブでわたしを包むように、わたしの腰を抱いた。あまりにその力が強いので、わたしはトムに倒れかかるところだった。トムはそうなってもいいとさえ考えていそうなので、わたしは抗議のつもりでトムを一瞥したものの、その表情からは彼の意図が何も読めずかえって困惑しただけだった。
「どこにいくの」
結局わたしはトムに体を抱かれたままホグズミードを歩いていくことになった。 “ならず者”たちの集団を伴ってやってきたトムへの視線は様々だった。そして、その隣を歩くわたしへも。学生時代なら、その視線すら可笑しく感じていただろう。楽しみすらしたかもしれない。しかし、今は違った。どう違うのか説明することはできない。けれど、違うということは確実に感じていた。
「ホグズミードにまで来て、他に行き先があるか?」
トムは歌うように言った。彼はどこか高揚しているらしい、とそこでやっと気付いた。
「ダンブルドアが校長になったと聞いたわ。足を踏み入れることさえできないんじゃないの」
わたしがそう言うと、トムは可笑しげに笑ってわたしを覗き込む。
「お優しいダンブルドアのことだ、 “優秀な” 教え子を叩き出す訳がないだろう」
――それに、とトムは続ける。
「奴が一等目をかけていたナマエ、君がいまだに私の手の内にある、それを見たダンブルドアの顔が楽しみだ」
悪趣味ね、と呟いたわたしの声は、つめたい空気に溶けていくようで、トムに届いたのかはわからなかった。
「トム、あなたの用事が終わったらわたし、バタービールが飲みたいわ」
冷え切った身体を温めたくてそう言うと、長く離れたホグワーツに戻ることへの高揚感か、トムはそれを了承した。二人分の白い吐息を残しながら、わたしたちは懐かしい城に向かっていく。
「こんばんは、トム、ナマエ」
城の中を歩き、校長室のドアを開けるとそこにいたのは他ならぬダンブルドアだった。わたしたちが訪ねてくることを、すでに知っていたらしい口ぶりに、内心驚く。トムが屋敷に来たときから、彼の手紙は引き出しの奥に隠して返事をすることはなかった。わたしたちが学生だった頃に比べ、やはり少し老いたような気はする。しかし、彼は彼のままだった。
「かけなさい」
ダンブルドアが椅子を勧めるとトムが素直に腰掛けるので、わたしもそれに倣って隣に座る。ダンブルドアがゴブレットに注いだのはワインだった。隣のトムが慇懃に対応しているのがなぜかぞわぞわと背筋を何かが走るような感覚を呼び込んで、わたしは忙しなくワインで唇を湿らせた。
思った通り、この会合は張り詰めたような緊張でもって進むことになった。ダンブルドアが、彼を “ヴォルデモート”と呼ぶのを拒んだからだった。
「私の憶測によると――ナマエ、君も、彼をトムと呼び続けているのでは?」
突然わたしに話を振るので、わたしはゴブレットを握る手に力を込めた。トムの赤い瞳がこちらを向いている。わたしは小さな声で、「いいえ」と否定した。
そうして、だんだんトムの機嫌が下方へと向かい、彼とダンブルドアの話し合いの雲行きがいかにも怪しくなったとき、トムはわたしに「外で待っていろ」ととうとう言った。トムと呼び続けることを選んだときから、そうなるとは思っていたのだった。
わたしがその言葉に従おうと席を立ったとき、ダンブルドアが静かに言った。
「それには及ばんよ、トム」
トムがダンブルドアに目をやった。
「私は、ナマエも、私に積もる話があるのではないかの思うのでな」
わたしはその言葉に思わず、勢いよく立ち上がった。ダンブルドアの理知的な目を見つめて、そうして耐えられずに俯く。
「わたしは、あなたに何も言うことはありません」
ダンブルドアは残念そうに「そうか」と一言言って、わたしが立ち去るのを許可した。この会話が、この会合の中で唯一、ダンブルドアが主導権を握りそこねたものだったかもしれない。
門の前で待っていたわたしの元にトムが荒々しく出てきた時、二人の会話の行方がトムの意思に反するものになった、と悟ったのだった。
花弁のうらではお静かに