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どれだけの時間が経っただろうか。

トムがここを去ってからたった数分しか経っていないようにも、もう数十分ここで待っているようにも感じられる、不思議な心持ちだった。もしかしたら、今日が満月だからなのかもしれない。満月の晩には、強い魔力があると昔から信じられている。

わたしはパーティの喧騒に背を向け、バルコニーの手すりに手をかけて月を眺めていた。

「いつまで待ちぼうけているつもりだ?」

刺々しいものの言い方のわりに、その声はどこか穏やかだった。振り返るまでもなく、その声の持ち主をわたしは悟っていた。

「我が君はもうずいぶん前にお帰りになられた」

「そう。そんな気がしていたわ」

アブラクサスは自然な仕草でわたしの隣に立つと、わたしに体を向けたまま同じく手すりに肘を置いた。わたしはちらりとそちらを一瞥したけれど、彼の立ち姿は貴族らしく優雅で、洗練されている。まるで、マグルたちがもてはやす舞台俳優のように。こんなことを言ったら、アブラクサスは烈火のごとく怒りを表すのだろうけれど。

アブラクサスは珍しく、何かを言い淀んでいるようだった。わたしはそんな彼を怪訝に思いながらも、黙って空を見上げていた。

「……こんな晩は、昔を思い出す」

アブラクサスが絞り出すようにそんなことを言うので、わたしは思わず彼の方に顔を向けた。アブラクサスの冷たい端正な顔立ちが、月明かりによって作られた影によって際立つのを、わたしは見上げる。

「あら。あなたも感傷に浸る夜があるのね」

そう軽口を叩くと、アブラクサスは鼻を鳴らして目を背ける。黙れ、くらい言われると思ったのに、なんだか拍子抜けだった。

「あの日を忘れたか……―――ナマエ」

小さく呟くようにそう言った彼は、どこか――わたしの見間違いでなければ、瞳に切なさを灯していた。アブラクサスがわたしの名前を呼ぶのは、はじめて――では、ない。わたしは彼の瞳の色を見つめながら、昔を、ずいぶん昔のことを、思い出した。

――『おいで、こっちだ』と幼い彼は言った。

今日のような、着飾った大人たちが集まるパーティで、わたしは彼に手を引かれてバルコニーに連れ出された。

『息が詰まりそうになったら、僕はここに来るんだ』

そう言いながら、彼はわたしの手に飴玉をのせる。女の子には甘くてかわいらしいものを渡すべきだ、と幼い彼は考えているらしい。

『イチゴ味ね、わたし大好きよ』

そう彼に微笑むと、アブラクサスは満足げに笑って、『―――』と、……。

「ナマエ」

遠い、かすかな記憶をたどっている最中だったわたしに突然声をかけたのは、他でもないオリオンだった。オリオンが来た途端、アブラクサスは先ほどまでの雰囲気を打ち消してどこか刺々しい空気を醸したものの、すぐに背を向けてバルコニーから去って行く。

「君が来るとは思わなかったよ」

オリオンは穏やかに言った。しばらく会わないうちに、彼は悠然とした男らしさを増しているようだった。

「来るつもりだったわよ。久しぶりに、あなたに会いたかったもの」

わたしの言葉にオリオンは小さく笑い、「ずいぶんお優しいことを言うようになったんだな」とわたしをからかった。

「ましてや、 “彼” を連れ立ってくるなんて」

オリオンはわたしの広く開いた背中に彼のジャケットをかけながら、囁くように言う。わたしの肩にかかっていたショールが、トムに与えられたものだということは、とうの昔に気づいているに違いない。

「彼がくるって言ったら、わたしは逆らえないわ。分かるでしょう」

「従順なことだ」

肩をすくめるオリオンは、わたしの隣に立ってバルコニーの手すりに寄りかかっている。その肩に頭を預けた日々が、突然懐かしく感じた。すると、わたしの気持ちをまるで読んだかのように、オリオンがわたしの頭を抱いて彼へと引き寄せた。

「人が見たら……」

彼の立場を慮ってそう言うと、オリオンは「人払いくらいしてあるさ」と軽やかに嘯く。

「それに、君には刺激が必要だろう。籠の中に囚われているままじゃ、息がつまる人種だから」

わたしのこめかみにそっとキスを落とすオリオンの唇を受け止めて、わたしはやっとくすりと笑った。ああ、こういうところは変わっていないのね。

「ナマエ、じきに大きな嵐が吹く。もし、君がその時望むなら――、僕が、君を守ろう」

オリオンが、そんなことを言うとは思っていなかった。あの日、――二人でどこかに行こうと彼が言った日、あの時に、私たちの道は潰えたと思っていたのだから。思わず彼の顔を見上げると、存外、オリオンの顔は真剣だった。

「オリオン、わたしは――」

わたしが口を開いた時、オリオンの人差し指がわたしの唇を軽く押さえて塞いだ。しー、と気障な吐息を吐きながら。

「選択するのはいつも君だ」

そう言うと、もうオリオンは話は終わりだと言うように「送ろう」とわたしに声をかけ、バルコニーの扉を開けた。

その扉をくぐることが何を意味するのか、それは誰にも分からなかった。

ひどく酷薄な唇歯




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