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ホグワーツという箱庭を卒業して、はや数年が経っていた。

わたしはまるで、わたしを閉じ込める籠のような屋敷で、毎日窓の外を眺めるような日々を送っている。それは退屈で、ほとんど死んだような毎日だ。

風の噂で、トムがボージン・アンド・バークスに勤め、そして姿を消したとそう聞いた。ホグワーツに残ると語った彼の計画は阻まれたらしい。きっとダンブルドアの差し金だろう。彼はトムを信用してなどいないのだ。そしてそれは、どこまでも正しい。

ダンブルドアは母の死以来この屋敷を訪ねることこそなかったものの、頻繁に連絡をよこしてくる。わたしにとってダンブルドアと、それからオリオンに手紙を書くことだけが生活の中の変化といえるものだった。時折舞い込んでくる見合いの話に断りを入れることも、含んでいいのかもしれないが。

わたしはいつか適当な男と結婚して、その男のために子どもを産み、育てるのだろうか。それとも、この屋敷で朽ちていくのを待つばかりなのだろうか。

結局去ることをしなかった、この屋敷に仕えるしもべ妖精が出す食事を、機械的に口に含みながらそう考えていた、その時だった。

「お嬢様、侵入者です!お逃げくださいませ!」

しもべ妖精が廊下で叫ぶキーキー声が、部屋中に響き渡った。侵入者?一体誰が。しもべ妖精はダンブルドアも、それからオリオンのことも知っている。それに、彼らはわたしかしもべ妖精が門を開けるまで待つだろう。

わたしは一応、とローブの中にしまってある杖の場所を確かめた。こそ泥程度なら、逃げずとも攻撃してやればいいだろう。それに、しもべ妖精とてひ弱なわけではないのだ。彼らが力を使えば、並みの魔法使いなら追い返すこともできるだろう。

お嬢様!お嬢様!と続いていた声は、わたしの部屋のドアの前で途端にピタリと止んだ。

わたしがしもべ妖精の名前を呼んでも答えはない。いつの間にか、屋敷には張り詰めたような空気が漂っていた。この家は常に静寂に包まれているものの、どこかいつもとは違う、重苦しい沈黙が横たわっている。スプーンを置き、わたしは今度こそ杖を取り出してそれを構えながら部屋のドアを開けた。

廊下には誰もいなかった。しかし、床に目を落とした時、わたしは小さく「あっ」と声を上げてしまった。

そこには、小さな――つい先ほど、わたしの部屋のテーブルにスープやリゾットの乗ったトレイを置いたしもべ妖精が、横たわっていた。それはただ眠っているようだけれど、わたしはそれが違うことを知っている。彼女はもう、死んでいるのだ。

わたしはその骸から目を離せないまま、一歩、ほとんど体の力が抜けたように、後ずさった。何が起きているのか、全く状況がわからない。この数年間、わたしの生活は日々変わらなかった。ただのひとつも、違えることなく。だというのに、これはなんなのだ。わたしがどれだけ見つめても、しもべ妖精がもう一度起き上がることはなかった。

突然わたしの前に現れた、見知った存在であるしもべ妖精の骸に気を取られて、わたしは一瞬忘れていた。”侵入者”の存在を。

「いつまでそうしているつもりだ」

わたしの視界から、しもべ妖精が消えた――正しくは、”彼”が立ちふさがったせいで、その影に隠れたのだ。

わたしは今度こそ、何も口にすることは出来なかった。そこに立っているのは、紛れもなく――この数年間、片時も忘れたことはない存在だったからだ。彼の容貌は少し変わっていたけれど、わたしが違えることはない。

「トム……」

ほとんど掠れた声で、わたしはそう言った。彼の唇が満足げに弧を描くのを、わたしはただ見つめていた。彼の表情は、どこか蛇を思わせると、切り離された思考で考えながら。

「何も変わっていないな」

トムはそう言うと、わたしにこともなげに近づいて頬を撫でた。わたしたちに距離はないに等しい。わたしはそこでやっと、彼はわたしを殺しに来たのかもしれないと思い至った。彼に殺されることを望んでいたというのに、いざそう考えると心臓を握り込まれたような――そんな緊張に身を強張らせた。頬を撫でる手の小さな動きにさえ、いちいち神経をとがらせる。

「……私が君を殺しに来たと?」

そんなわたしのぎこちなさに気づいたのか、トムはそう言って鼻で笑った。馬鹿馬鹿しい、とそう言いたげに。

「少しは再会を喜んで見せたらどうだ」

トムはわたしの頬に添えていた手の親指で、わたしの唇をなぞった。彼の指が触れたことで、わたしはそこを震わせていたことに気づく。

「あなたは、何をしに来たの、今更」

わたしの声は弱々しく、そして情けないほど震えていた。

トムはそんなわたしに眉を上げてみせることで応えると、わたしの食べかけの食事に目を落とし、その中から皮をむいて切り分けられたりんごを手に取った。そしてそれを、わたしの唇に押し当てる。わけもわからず恐る恐る口を開き、それを口に含んだわたしが半分ほどをかじるのを、トムは見つめていた。

「君のその従順さを、もう一度享受する気になった」

「”暇を持て余した令嬢”の?」

わたしはりんごを咀嚼して喉の奥に押し込むと、学生時代そうだったように、トムを見つめながら皮肉っぽくそう言った。それは、ほとんど強がりのようなものだったけれど、そこでやっと、彼にとる態度の”カン”のようなものが戻った気がした。

トムはわたしが半分かじったりんごを自らの口に放り込むと、わたしの腰を抱いて自らへと引き寄せた。そしてまるでキスするように顔を近づけると、囁くように言った。

「君は私が刺激を与えてやらないと退屈を持て余すだろう」

勝手な男だ、自ら失望して手放したくせに、気が向いたらまたたわむれに弄ぶ。

しかし、ベッドに横たえられ、彼を見上げた時――わたしは彼を待ち望んでいたと、そう思い知らされるのだ。

哀の果実・一口食めば爽やかな不幸のしらせ




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