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彼の世界からわたしが消えたとて、何も変化はないということを、わたしは思い知らされた。

トムは朝、そして廊下ですれ違った時に「やあ、ナマエ」と朗らかにわたしに声をかける。それは以前と変わらない。しかし、それはわたしたちはそれまでの関係にまで、成り下がってしまったということだった。

わたしが、ミョウジ家などの生まれでもない、ただのナマエならよかった、というわけでもないのが、いっそうややこしいのだ、きっと。わたしが”ナマエ・ミョウジ”でなければ、彼との関係が生まれなかったろうから。しかし、わたしが誤解を解こうと――ミョウジ家などどうでもいい、あなたについていきたいのだと告げたとて、彼がわたしともう一度、以前のような関係を持とうとすることはないだろう。

全てを奪うのを好むトムは、きっと、わたしに全てを差し出すことを望んでいたのだ。わたしはそれこそを望んでいたけれど、彼の目にはそうは映らなかった。

彼はわたしに、彼の計画を口止めしようともしない。わたしが話さないことをわかっているかのように。

「いつまでも変わらないのはトムかと思っていたが」

わたしの隣にはオリオンが立っている。

このホグワーツを卒業する前夜、わたしは天文台でそこから見える景色を見下ろしていた。そこにふらりと現れたオリオンは、当然かのようにわたしの横に並び、頬杖をついて同じく外を眺めている。卒業を前にして、彼も思うところがあるのかもしれない。わたしたちはしばらく、同じ方を向いて沈黙に身を任せていたけれど、それを破ったのはオリオンだった。

「わたしだけが変われずにいるのよ」

わたしはそう呟いて、薄暗い中、城の周りを囲むようにして立つ松明をただ眺めている。いつまでもお互いを利用し合う関係が続くとは、思っていなかったけれど。こんな終わりを迎えるなんて。あっけなかった。彼の手で事切れる瞬間を、味わえないだなんて。

「トムを理解する人間なんてこの世にはいないだろうに。彼の周りにいる人間は理解してなどいない。ただトムの言葉に頷くだけだ」

「でも、彼らはそばにいることができる」

わたしはオリオンの言葉に思わずそう言った。どんな形であれ、トムのそばにいるという”特権”があるのだ、彼らには。利用されるばかりはごめんだと、そう思っていたというのに、わたしは今それ以下の存在になっている。

トムから決別を言い渡されてから、はや数ヶ月が経っていた。わたしはまだ彼に囚われたままだというのに。廊下ですれ違うたび、わたしは平然とした顔をして見せたけれど、心の中は澱んでいた。

わたしとトムの間に深い溝が生まれたのを、オリオンは目ざとく気づいていた。しかし、今日までそれを口にしたことはなかった。それは彼なりの配慮なのかもしれないし、ただ必要に迫られなかっただけなのかもしれない。わたしが理由を彼に言うことはなかったけれど、彼はきっと察していることだろう。

「しかし、僕にもチャンスが回ってきたようだな」

オリオンがわたしの肩を抱き、からかうようにそう言ったものの、その言葉が本気でないことは明白だった。それを示すように、「傷心の君につけ込むほど落ちちゃいないさ」と肩をすくめて見せる。

「傷心だなんて。それに、あなたは卒業したらヴァルブルガと結婚するんでしょう」

オリオンはわたしの言葉に眉を上げることで肯定すると、手すりに手を置いているわたしを後ろからすっぽりと抱きしめた。

「自由でいたいものだ、いつまでも」

それはオリオンの、滅多に見せない本心からの弱音らしかった。わたしの手を覆うほどの大きな手を、わたしは撫でる。彼の手は男らしく骨ばっていて、手の甲には血管が浮いている。たわむれに何度も手を繋いだのを思い出した。

「わたしもあなたも、何かに縛られ続ける運命ね」

わたしがオリオンの胸板に頭を預けながらそう言うと、オリオンはわたしの髪に顔を埋めながら言った。

「僕と一緒にどこか遠い場所へ行こうと――僕がそう言ったら、君はなんて答えるんだ?」

オリオンの感情は、声からは読めなかった。もしかしたらからかっているのかもしれないし、彼は本気なのかもしれなかった。

「わたしたち、きっとどこにも行けないわ。何かに縛られていなきゃ迷子になる、そんな人種でしょう」

わたしの言葉に、オリオンは喉で笑った。「違いない、」と答える彼の声は普段のものと同じだ。

「今のは忘れてくれ、と言っても、無駄だろうな」

オリオンはそう言うと、わたしの顎をすくい上げるように手を添えて彼の方へと向かせた。わたしがそれに素直に従うと、彼はわたしの顔を覗き込んで唇を食むように重ねる。

「僕は君の自由さに惹かれていると思っていた。けれど、実のところは、僕たちの似通っているところに惹かれたのかもしれない――何かから逃れられない、という」

彼は立場に、わたしはトムという男に。

わたしはオリオンに向き直ると、彼の頬を両手で挟んで自ら口付けた。オリオンはそれに腰に手を回して応え、何度も角度を変えながら互いの唇を貪るようにして口づけを交わした。わたしたちがこうしていられるのも、これが最後だと、互いに分かっているのだ。

わたしたちが誰にも、何にも囚われないただのナマエとオリオンだったら、きっと彼の手を掴んでどこへでも行けただろうに。


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