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わたしたちの学年にとって最後のクリスマス休暇に、わたしは初めてホグワーツに残らず、自分の家へと帰った。
そうせねばならない理由があったのだ。
「母は?」
わたしの家に仕える、唯一残った屋敷しもべ妖精に尋ねると、彼女は「こちらです」と静かに言ってわたしを先導した。やはり、最後まで寝室にいたらしく、そのドアを開けると天蓋のついたベッドの上に手を組んで、わたしを産み落とした母親が眠っていた。
――いや、眠るように、息を引き取っていた。
「母は何か?」
しもべ妖精はその問いに、言いにくそうに言い淀んだ。しかし、「いいえ、何も」と言った。想定していたことだ、母がわたしに言葉を残さないだろうということは。
「ただ、私めの処遇を…ナマエ様に問うように、と、そうおっしゃられました」
「つまり、あなたに洋服を与えるかどうかってことね」
こくりと頷くしもべ妖精を一瞥する。幼い頃は話し相手として寝る前にベッドのそばに置いたものだ、と思った。しかしすぐに、すでに臥せっていた母に呼ばれ、わたしにホットミルクを残し部屋を出て行ってしまったけれど。
「あなたが選びなさい、欲しいなら洋服をあげる」
しもべ妖精は無言だった。わたしはもうそちらへ目をやらずに、母の元へと足を向ける。
柔らかな布団に体を横たえた母は眠っているようだった。どことなく、わたしに似ている。顔立ちが母にそっくりだと、母を知る人にはよく言われた。しかしわたしの目は父親譲りだ。
母の胸の、亡くなった今も――それは、わたしが知る限り外されたことのない――変わらずそこにあるロケットに手をやる。ぱちんと留め具を外すと、そこには若かりし日の母と、そして父親の写真がある。たった数ヶ月の恋のために、母は命までも捧げた。馬鹿げたことだ。
「お嬢様――ナマエ様、門の前に誰かが」
ささやくようなしもべ妖精の声に窓へ近づいて見おろすと、そこにはさして驚きのない人物が立っていた。まっすぐにわたしのいる窓を見つめているのでわたしは門に杖を向けてそれを開いた。
「悲しきことじゃ、ナマエ」
ダンブルドアは眉を下げて言う。その声は悲しみに満ちている。
「わかりきっていました、あの日から」
あなたがグリンデルバルドを破ったその日から、とは、流石に言わなかった。しかし、ダンブルドアはそれを悟ったらしく、神妙な面持ちでわたしを見つめる。
「これからどうするのかね」
「どうするも何も、このままです。何も変わらない」
ただ、ミョウジ家の資産とこの屋敷を相続する、ただそれだけがわたしにとっての変化だった。わたしにとって、そして母にとって、お互いにいてもいなくても同じ存在だったからだ。
「手続きは私が引き受けよう」
――君の後見人として。そうダンブルドアは言った。
母を、そしてわたしを捨てたろくでなしの父親が、彼に最後の頼みごとをしたらしい。自分で作った監獄に入れられる前に。
「ありがとうございます、先生」
わたしの声にはもはや何の感情も含まれてはいなかった。そんなわたしをもう一度、悲哀に満ちた目で見つめると、ダンブルドアは言った。
「君の瞳は、彼によく似ておる。――ゲラート…ゲラート・グリンデルバルドに」
ダンブルドアはそう言い残して屋敷を去っていった。その後ろ姿を、わたしはただ見下ろしていた。
すると、ダンブルドアと入れ替わりになるように――お互いの姿は見えなかったろう――現れた意外な人物に、わたしは目を見開いて階段を駆け下り、扉を開けた。
「オリオン!どうして」
「貴族たちの間で噂になることは、ほとんど全て僕の耳に入る。君の母上のことも。非常に残念だ」
お悔やみ申し上げる、とオリオンはいい、わたしについて屋敷へと足を踏み入れた。この場所にオリオンがいるのは、わたしにとってとても不思議なことに思われた。
「どうしてここに?」
わたしがそう尋ねると、オリオンは肩をすくめた。
「当然、気落ちした君を慰めるためだ」
「本当?」
わたしが穿った目でそう聞き返すと、オリオンは小さく笑い「他意はない」と穏やかに言う。
「それに、君一人では大変だろう、色々と。僕がいつでも手を貸そう。友人として、――そして次期ブラック家当主として」
わたしはたのもしいわ、と笑ってオリオンのために紅茶の入ったカップを呼び寄せた。冷えた空気の中にぼんやりと浮かぶ湯気は、今日という日にふさわしい気がした。
「あなたのことだから、もうわたしの家のことも知ってるんでしょう」
「一通りは、だが」
ミョウジ家の”不都合”な事実は世間的には伏せられているものの、どの家にとっても――そして、ミョウジ家にとっても繋がりが深いブラック家には話が行っているだろうと、そう感じてはいた。
純血の娘が何処の馬の骨とも知れぬ男との子どもを産み、そのまま病気になって臥せっているなどこの上ない醜聞だ。しかし、相手が誰であるかを、身近な者は知っていたのだ。
――グリンデルバルド、今の世の中で最も邪悪な魔法使いと、ミョウジ家の一人娘が想いを遂げたことを。
そうして生まれた子がわたしだった。グリンデルバルドと同じ目を持つ娘に対し、母が愛情を向けることはなかった。母との思い出など、わたしには一つもない。
「僕が君の後ろ盾になろう」
オリオンはそう言うと、カップを傾けて一口飲み下し、そしてテーブルを超えてわたしに顔を近づけた。
「もしかして愛人になれとでも言うつもり?」
「そんなもの、君に似合うものか」
オリオンは喉で笑うとわたしに口付けた。ミルクも砂糖も入れない彼のキスに甘さはない。
しかし、今のわたしにとってはそれがちょうどいいのだ。わたしは目を伏せながら、彼のくちびるのあたたかさを感じていた。
脱けがらを愛せよ