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わたしはシルクの手袋をはめた指先でシャンパングラスを持つと、それを片手に華々しいパーティの様子を眺めていた。
招待客達は夫婦や恋人などのパートナーを連れ立ってそれぞれのテーブルにつき、軽食を上品につまみながら談笑しているものの、わたしはそれには加わらず、ずっとこの、少し奥まった場所に置かれた椅子にかけで入口のドアに体を向けている。
「やはり、そのドレスは君に似合うと思っていた」
隣に座るオリオンはまだ未成年だというのに蜂蜜酒をグラスに入れて当たり前のように飲んでいる。わたしのシャンパングラスに入っているのは、ノンアルコールのカクテルだというのに。
彼の婚約者は遠くで、彼女の取り巻き達に囲まれて知り合いであろう貴族と言葉を交わしている。こちらを見向きすらしない。
「ミョウジ家の跡取り娘となればお近付きになりたい男はたくさんいるだろうに、僕はこの会場で一番罪作りなことをしているな」
実際、わたしとオリオンが座るここに訪れる者はいなかった。この前をすれ違うときに軽く挨拶をする程度だ。このブラック家の跡取り息子であるオリオンに睨まれたくはないのだろう。
「皮肉だわ。ミョウジ家なんて、もう有ってないようなものだと、あなたは当然知っているくせに」
「僕が支援すれば話は違う。そうだろう」
オリオンはわたしの言葉を意にも介さず、もう一度蜂蜜酒をあおった。「このままナマエに口移しで飲ませてやりたい、ここにいなければいけないのが残念だ」と軽口を叩きながら。
「君の待ち人は来ず、か?」
もうすっかりお見通しの気でいるのか、オリオンがわたしの目線を追ってそう言った。わたしはそれに答えなかったけれど、彼の言葉はその通りだった。
トムは、まだこの会場に姿を現してはいない。そして、あの赤毛の少女も。
彼女のご両親という二人は、先ほどオリオンに教えられて知っていた。彼らはマルフォイ家やレストレンジ家といった、有力な貴族達に熱心に話しかけてはいたけれど、その一方で入口を頻りに気にしている。
すると、オリオンが三杯目のグラスを開けようとしていたとき、入口のドアが開いた。そこには薄いピンクのふわふわとしたドレスを身にまとった彼女が、どこか気落ちした様子で立っている。彼女をエスコートする影はない。一人だ。
「おや。トムはどうした」
オリオンは独り言のようにそう言った。特にわたしに返事を求めていないらしい。彼女は両親のもとに行くと、その後ろで軽くうつむいた。彼女の表情は見えない。
「恋人をダンスパーティーの壁の花にするなんて、やはりトムがいちばんの罪作りらしい」
オリオンは楽しげにそう言う。そろそろ、曲が始まる。会場のあちらこちらに置かれていた立食式のテーブルが、またたくまに魔法で壁へと寄せられた。
「すまないが、一曲だけ席を外さなければ」
「オリオン、わたしに気遣わなくていいのよ。わたしはここにいるのが落ち着くわ」
オリオンに一曲だけとは言わず、と促すと、彼は肩をすくめて婚約者の元へ向かう。遠くを眺めると、彼女の両親が彼女のパートナーを、条件のいい貴族の若者の中からどうにかして探そうと躍起になっていた。彼女ほど可愛らしいお嬢さんだったら、わざわざそのようなことをしなくたって相手は見つかるだろうに。
わたしはオリオンが置いていった瓶から、半分ほど残った蜂蜜酒を手に持っていたグラスにあけた。踊る気は無かった、どんなものであれ、誰かの視線に晒されるのは好きではない。
すると、わたしに手を差し出す人がいた。薄い金髪を撫で付けた、グレーの瞳の男性だ。スリザリンの上級生の中で見かけたことがある気がした。どこか幼い少年のような顔立ちは、さぞや人気があるだろう。
「ミス・ミョウジ。一曲いかがですか」
そう爽やかに誘う彼は、いつの間にかわたしの手からシャンパングラスを奪っていた。その鮮やかな腕前に、慣れているとぼんやり考えた。
「あなたのパートナーは?」
わたしが尋ねると、その人は「あいにく今日は連れがいない」と肩をすくめる。
ここで断るのは簡単だけれど、オリオンの顔を立てるべきかもしれない、というわたしにしては善良な考えが浮かんだ。「一曲なら、」と小さく囁くように言って、わたしが彼の手を取ろうとしたその時だった。
「シャフィク、申し訳ないが彼女の今日の相手は僕なんだ」
わたしと彼の間に割り込むようにして、そう柔らかく、しかし有無を言わせない口調で言ったのは、他でもないトムだった。そうしてあっけにとられているわたしを尻目に、彼からわたしの手にあったグラスを当たり前のように取ると、それを一気に喉に流し込む。彼――シャフィクは、面子を潰されたことをおくびにも出さずに、「また今度にしよう」と引き下がった。
そうしてトムはわたしの伸ばしかけていた手を取ると、フロアの端へと連れ出した。
「あなた、どうして」
わたしが驚きを隠さずにそう言うと、トムはまるで最初からそうしていたかのように白々しい顔をしながら、「おしゃべりは後だ」と囁いた。
曲が始まると、トムは完璧なリードでわたしを踊らせた。わたしたちはフロアの目立つとは言えない場所で踊っていると言うのに、トムが招待客たちの目を引いていることをわたしは感じずにはいられなかった。トムは美しく、そして人を引き寄せる天賦の才を備えている。
そうして同時に、わたしが気にせざるを得なかったのは彼女と、それから彼女の両親だった。彼女の両親は、わたしとトムを射殺さんばかりの目で見ている。半純血と馬鹿にしていたものの、やはりこのような場所では華やかなトムを娘のパートナーとしておきたかったのかもしれない。
そうして、当の本人である赤毛の少女はというと、目に戸惑いの色を浮かべてこちらにちらちらと目をやることしかできないようだった。彼女は”いい子”だから、目の前にいるかりそめのパートナーを無下にはできないようだ。そのパートナーは、少女に本気で惹かれているようだけれど。
「今日は一段と美しいな」
トムは本当にそう考えているのかわからないような口ぶりでそう言ったけれど、唐突にわたしの耳に唇を寄せた。
「しかし、君の唇は口づけの後がいちばん綺麗に色づいているように思えるが」
わたしはダンスの振りに紛れて、そう戯れに囁く彼の胸を押し返した。トムが何を考えているのかわからない。
オリオンはダンスの途中で自然にこちらへ近づき、「君にはいつも驚かされるよ」とわたしにいたずらっぽい笑みを向ける。それにわたしが言い返そうとすると、トムに手を引かれて彼の腕の中で体をひねる羽目になった。
二、三曲踊ると、数人を除いてほとんどの招待客たちは真ん中のフロアから抜け、飲み物を手に取った。わたしとトムも例に漏れずそれに倣う。
途端に、わたしとトムの前に人々が集まった。正確に言えば、トムの周りに。誰もが彼の名前を知りたがり、彼と近づきたがっていた。そうしてその中で、マルフォイ家やノット家といった有力な純血貴族達の子息がトムに敬意を払うような仕草を見せたので、トムを知らない人々は余計色めきだった。彼が純血かどうかなど、興味の範疇外になるほど。
そんな中で隣にいるわたしに話しかけようとする人もいたので、わたしはさりげなくトムの後ろに隠れるようにしていた。
するとそこに、その人の波をかき分けるようにして彼女の父親がやってきた。
「おや、トムくん。久しぶりだね。てっきりうちの娘をエスコートしてくれるものと思っていたが」
彼は憎々しげな表情を浮かべまいとしていた。けれど、わたしやトムといった、事情を知っている人間からすれば、それはあまりに杜撰な繕い方だった。その後ろには、父親を止めようと必死に彼の袖を引く赤毛の少女がいた。もしかしたら、彼女が遅れたのは、トムを外で待っていたからなのかもしれない。
「このような場で僕と踊るのは彼女にとってあまりに格が違いすぎると、そうお考えでしょうから」
――身を引くほかありませんでした。
トムは憂いを帯びた、悲しげな表情を浮かべている。周囲の人々は、トムに同情しているようだ。瞬く間に、トムはこの場を自分の舞台にしてしまった。
「あの子が半巨人の人殺しを庇うのを、耐えきれなくなったんじゃないの?トムは」
「トムがかわいそう。マグルや半巨人のお友達のために恋人を疑う人と踊りたくなんてないでしょう」
どこからともなくそんな声が聞こえた。それは、同寮の女子生徒たちだ。彼女たちに詳しく事情を聞こうと、周囲の人々は群がった。父親が信じられないという目で自分と同じ赤毛の髪を持つ娘を睨みつけるのを、わたしはただ見ていた。そして、隣のトムも。
そこで、わたしは悟ってしまった。
トムは、彼女から根こそぎ、全てを奪い尽くしてから捨てるつもりだったのだ。何もかも、全て。
愛というものがどれだけ愚かなのかを思い知らせるために。
わたしはとうとう会場から連れ出され、二度と戻ることはないであろう彼女に同情していた。彼女はわたしだったのだ。少し運命が違えば、わたしだってきっと。
彼女はトムと、寄り添って生きていくことを望んでいた。しかし、わたしは彼にいつか、その手で殺されることを望んでいる。ただそれだけの違いだというのに。
わたしは隣に立つトムを見上げた。彼は、誰にも分からないほどうっすらと、微笑んでいた。
死に絶えた宝石