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とうとう夏休みが、あと一日で始まる。
わたしは先日、オリオンの誘いへの了承の手紙を彼の部屋に届けていた。催促されていたわけではないけれど、あまり待たせるのもどうかと思ったのだ。
すると今日、朝起きたら枕元に小さいとは言えない箱が置かれていたのだ。
「ずいぶんと遅いクリスマスね」
と、その箱を興味を抑えきれないと言った様子で見つめていた同室の女子生徒にわたしは言った。彼女は不躾にみていたことをごまかそうと少し慌てていたものの、わたしの言葉にくすりと笑う。
わたしがそれを開けるのを、彼女たちは手伝ってくれる。中に入っていたのは、美しいブルーのドレスだった。丁寧に、パンプスやショールまで付いている。
「誰からの贈り物?」
先ほどの女子生徒が、抑えきれないと言った様子でそう尋ねた。わたしは小さく首を傾げたけれど、そのドレスを抱え上げたときにはらりと一枚カードが落ちたことに気づく。
「”あなたのファンより”ですって」
わたしがそう読み上げると、「ずいぶんと熱狂的な人ね」と女子生徒が神妙に言った。これが誰からの贈り物か、ピンときていないらしい。わたしはくすくすと笑う。他ならぬ、オリオン・ブラックからだとはわたししか気づいていないようだ。
着てみせてとせがまれたものの体に当てるだけにとどめ、わたしはドレスをしまった。こんなものをすぐ用意するなんて、わたしの返事を待つと言っておきながらyes以外を聞くつもりがなかったに違いない。
彼へ受け取った旨を伝えなければ、とわたしが部屋を出て談話室に行くと、珍しくそこには一人の姿しかなかった。
一人がけのソファに座り、ゆったりと肘掛に頬杖をついているのは、トムだ。
「ちょうど、君に用があった」
彼はそう言うと、立ち上がって寮の出口へと向かう。わたしが付いて来ることを当然のことだと思っているらしい。しかし、それは正しい。わたしは彼の後を、従順に歩く。
必要の部屋にでも行くのかと思っていたけれど、彼が向かったのは教室と教室の間にぽつんとある物置だった。彼は迷わず、そのドアノブを左回しにして開ける。わたしはそれを胡乱な目で見ていたけれど、中を覗き込むとそこは想像していた物置ではなかった。狭いものの、きちんとソファとテーブルが並ぶ部屋だ。
「右回しにすれば、汚らしい物置だが」
トムは一応、というように説明をしてくれる。そうしてわたしに入るよう促し、彼もそのあとに続いた。
トムが杖を振ると、紅茶の入ったカップが現れる。わたしの前に置かれたものには、すでにミルクが入れられていた。
「トム、用って?」
向かい合わせに座る彼が紅茶を飲みながらただくつろいでいるように見えたので、わたしはそう尋ねた。特に何も急いでいるわけではないものの、彼の意図が見えなかった。
「夏休みの半ば、三週目の水曜。漏れ鍋で待ち合わせよう」
まるで決め事のようにトムが言う。
「わたしに何か用事があるとは考えなかったの?」
わたしはそう言ったものの、特段何かがあるわけではなかった。けれど、一つ問題がある。
「その週の土曜日は、オリオンの家でパーティーじゃなかった?」
「もちろん、それまでには終わるさ」
トムがわたしを呼び出すほどの用事の内容を、答えることはなかった。彼が一度答えなければ、それ以降も何も口にはしないと分かっているため、わたしがしつこく聞くこともなかった。
「ドレスは用意したか?」
トムが不意に言った。紅茶を飲み終えたのか、杖の一振りでそのカップを消してしまう。
「ええ、”わたしのファン”から素敵なものをいただいたの」
わたしがそう言うと、トムは片方の眉を吊り上げたものの詳しく聞くことはなかった。
彼は「とびきりのものを着てくるといい」とだけ言うと、もう用は済んだというように沈黙した。何か考え事をしているのか、作った拳を口元にやって宙を見つめている。
わたしは飲み終えたカップをテーブルに乗せると、立ち上がってそんな彼の前に立った。彼はその体勢を崩して、わたしを見上げる。そうして、わたしの手を引くと向かい合って膝に座らせた。
「最近はアブラクサスばかり部屋に呼んで、お楽しみの時間を過ごしているようじゃない」
「見張りに立たせているだけだ」
トムはわたしの目を見つめたまま、そっけなく言った。そうして、わたしの顔の形を確かめるように手のひらや親指でなぞる。
「完成したら、君にも見せてやろう。僕の望みがやっと叶う」
トムがそっと顔を近づけてくるので、わたしはゆっくりと目を閉じた。まばたきの音が聞こえそうなほど静寂に包まれたこの部屋で、トムはわたしに触れるだけのキスをした。
わたしの頬に添えたものとは逆の手が、手持ち無沙汰に太ももからヒップラインまでを撫で上げる。それに対する小さな震えに、トムは満足げに微笑んだ。
「わたし、あなたが彼女に詰られているところを見たかったわ。今学期の最大の後悔よ」
わたしがそう言うと、トムは呆れたような表情を浮かべる。
「あの時、戯言を聞き流しながら妙な考え事をした。もし君なら、どうするかと」
「前提条件がそもそも違いすぎるわ」
わたしが咄嗟にそういうと、トムはもう一度軽くキスをして「まあ聞け、」と楽しげに言った。
「ナマエが、義憤に駆られて涙を流しながら僕をなじったとするだろう」
トムはわたしの頬を撫でる。彼女は泣いていたのか、とまるで他人事のように思った。
「杖を向けて一思いに殺してやる、って?」
わたしがそう言うと、トムは口角を吊り上げて笑う。太ももに置いていた手を腰に回して、トムは力強くわたしを引き寄せた。わたしたちの体同士に、距離はなくなる。額同士を合わせてどこか熱っぽいトムの視線に、わたしはいたたまれなくなったけれど、彼から目が離せなかった。
「いいや、僕はきっと欲情しただろう、部屋に連れ込んで、声が枯れるまで許しを請わせたいと」
――そう望み、そしてそうしたろう。
彼の言葉に、わたしは「悪趣味ね」と返した。
「あの子にもそうすればよかったのに」
「それ以上言うな、興ざめだ」
トムはそう言うと、もう一度わたしに口付けた。今度は唇の隙間から舌をねじ込んで、彼の好きに口内を蹂躙する。わたしはトムの首に腕を回して、目を伏せた。だんだん吐息に、甘さが混じる。トムがわたしの体を、服越しになぞっていく。それだけで、わたしの体は熱を帯びてしまう。
わたしは、談話室の真ん中で、彼女がトムと対峙するのを想像した。そうして、その姿に自分を重ねてみる。あなたは間違っているわ、濡れ衣を彼に着せたのよ、犯人は彼じゃない、と頬を涙で濡らしながら言う。彼女は、”トムを愛しているから”そう言うのだ。愛する人の間違いを正すのは、自分の役目だとそう考えている。
あまりに”道徳的”すぎて笑いがこぼれそうだ。けれど、わたしはすぐに、トムの指によって現実に引き戻された。
小さく「あ、」と声を漏らして、わたしの頭は途端に、彼に支配されてしまった。
リラが綻びたら合図