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結局、トムが彼女を手放すことはなかった。利用価値がなくなった、と吐き捨てた女を手元に置き続けることに、トムは何を見出しているのだろうか?

もしかしたら彼は、聖女の愛というものにほだされたのかもしれない。

わたしはその考えを笑った。なんて素敵なんだろうか。

「ナマエ、何を考えている」

ぱしゃり、と水を切る音を立てて、トムがわたしを引き寄せた。ここは監督生のみが入れる浴場だ。トムは当然のように監督生に選ばれているものの、わたしは特に選ばれたりなどはしていない。けれど、トムが合言葉をいつも”うっかり”漏らすので、わたしは好きな時に訪れて、広々とした湯船を楽しんでいた。

「いいえ、何も」

わたしはトムの硬い胸板に体を預けると、爪先を白濁した湯の中から上げた。湯の、清廉な白とは似つかわしくない赤いペディキュアが姿をあらわす。同室の女子生徒の一人からの贈り物だ。昨日塗りたてなのもあるけれど、魔法がかかっているため醜く剥げることはない。

とろみのある湯は、白濁しているせいで体の浸かっている部分を見せはしない。その下でトムの手が、わたしの体を好き勝手に撫でていたとしても。内腿の間に入り込む彼の手は、わたしの体をまるで自分のものだと考えているかのようだ。あながち間違いでもないだろう。わたしはただの、所有物の一つだ。

振り向いてトムを見上げると、彼は濡れたままの手で前髪を書き上げたところだった。彼の造形の美しさが際立ち、わたしは思わずその鼻先を指先でなぞった。

「君は、三階の女子トイレに行ったことがあるか?」

彼は不意に、そんな馬鹿げた質問をした。何ですって?と笑いながら聞き返したかったけれど、彼はいたって真剣そうだ。

「いいえ、あんなところ辛気臭くて行けたものじゃないわ」

――それに、いつもレイブンクローの生徒があそこで泣いてるって噂だもの。

わたしがそう言うと、トムは興味深そうに眉を吊り上げた。

しかしそれ以上言葉を続けることなく、トムは彼のもとに無防備に晒したわたしの肩に、そっと口づけを落とす。そうして、蛇口に向かってまるでコンダクターのように手を振ると、途端にそこから泡の混じったお湯が流れ始めた。

トムはひどく機嫌がいいらしく、わたしを彼の足の間に座らせたまま泡をかき集め、彼の腕の中に閉じ込めた。トムがそんな子どもらしい遊びに興じるなんて、とわたしは意外に思いつつも、泡を両手にすくって息を吹きかけた。途端に、空中にふわふわと小さなしゃぼんたちが飛び回る。

「そういえば」と、トムが楽しげな声で切り出した。

「ブラックの奴が、君に指輪を贈ったらしいな」

どこで聞いたのだろうか、それとも本人が、トムに伝えたのか?

トムはわたしの左手を取ると、そこにはめてある指輪をまるで光に透かすように頭上へと持って行った。トムの骨ばった大きな手に掴まれていると、わたしの手がひどく華奢に見えることに気づく。

「呪いがかけられているな。君自身でないと外せない呪いだ」

トムを仰ぎ見ると、彼は目を細めてその指輪を見つめていた。そうして、戯れに指先でその指輪に触れる。するとバチっと音を立てて、トムの指が弾かれた。

「そんな細工がされていたなんて知らなかったわ」

わたしはその様子をあっけにとられて見ていた。ただの指輪だと思っていたのに。

トムは驚いているわたしを一瞥すると「まあいい、」とつぶやいて、わたしの手を湯の中に戻した。そうして、何かを考えているかのように口元に手をやって黙り込んだ。
彼が沈黙しているとわたしは手持ち無沙汰になってしまうので、体ごと振り向いてトムと向かい合わせになるように膝にまたがり、広い肩幅に頬を乗せた。そうして、軽く目を閉じる。
眠るつもりはないけれど、そうしていると考え事も凪いだ心でできる気がした。

しばらくすると、トムはやっとその体勢を崩した。ほとんど眠りかけていたわたしの頬を挟んで起こすと、戯れのような軽いキスをいくつか落とす。

わたしたちの体の間で起きる小さな波が、彼の胸板にあたっては消えた。

「君に一つ贈り物をしよう」

トムは言った。

「何の名目で?」とわたしが尋ねると、「意趣返し」とだけトムは答えて、わたしの脇に手を差し込んでそのまま抱き上げる。そうして捕まえられた猫のような体勢のままわたしを立ち上がらせると、彼はさっさと湯船から出て脱衣所へと向かってしまう。

唐突な彼にわたしは肩をすくめると、その背中を追った。そうしてもうすでに羞恥心というものはどこかに置いてきてしまったので、彼の前で体を拭き、着替えのワンピースを身にまとう。

すると、すでにローブを羽織ったトムがわたしの鎖骨の間のくぼみに杖を向けた。たちまちのうちに、そこにしっかりとした重みを感じてわたしは反射的にそこに手をやる。そこにはなにかつるりとした石が、チェーンに繋がれて首にかかっていた。

脱衣所の鏡にそれを移すと、それは銀のチェーンに繋がれた赤いルビーのネックレスだった。


わたしの首に絡みつくそれは、まるで――

「首輪だ、ナマエの」

わたしの思考が及ぶ前に、トムがそう言った。後ろからチェーンに沿って首を撫でられると、ふつふつと快感の波が立つ気がして、わたしは首をすくめる。

「他の男に尻尾を振るのはいいが、僕のものだということを忘れるな」

鏡ごしに目があったトムの瞳は、首元で輝くそれと似た色をしていた。

水葬・水槽・水想




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