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生徒たちが続々と城の中へ入っていくのを、わたしは時計台の窓から眺めていた。
降り積もった雪が、無数の足跡によって踏み荒らされていく。
生徒たちの姿がまばらになったとき、真っ白だった雪は灰色に薄汚れていた。
わたしが最初に、足跡をのこしてしまえばよかった。大した後悔でもないというのに、私はそんなことを考えていた。
「ナマエ」
わたしを控えめに呼ぶ、鈴のような声が誰かをわたしは知っている。
ゆっくりと振り向くと、そこには予想通り、小柄な赤毛の少女がいた。寒さのせいで、頬が透けそうなほど白い。それさえ、彼女の可憐な桃色のくちびるを引き立てているようだった。
「どうしたの?」
わたしは表情を変えることなくそうとだけ言った。もしかしたら冷たく響いたかもしれなかった。
「トムは、何も言っていなかった?」
彼女はわたしの素っ気なさを気にもとめず、かわいそうなほど眉を下げてそういった。わたしは、トムの名前が出たことに驚きはしなかった。わたしと彼女の間に、特にわけもなく会話をするほどの親しさはなかった。
「何のこと?どうしてわたしに聞くの」
わたしとトムは、表面上――他の生徒の前では、ただの同寮の生徒同士、ただそれだけだった。わたしはいつも一人でいるし、トムは友人という名の取り巻きに囲まれている。わたしたちに特に共通点はないはずなのに、どうしてわざわざわたしのところへ来たの?
「ニューイヤーズ・イブの前日、雪がひどいからもう一晩泊まっていったらって言ったの。でも、トムは頑なに戻るって――。もしかして、お父さまが、トムが隣の部屋にいるというのに、ひどいことを言った言葉が聞こえていたんじゃないかと思って」
「あなたのお父さまは何を言ったの?」
必死に言葉を紡ぐ彼女とは裏腹に、わたしの声は温度がなかった。正直、かけらも興味がなかった。けれど、ある程度の優しさは示さなければならない。スリザリンは身内を尊ぶことで成り立っているのだから。
彼女はひどく言いにくそうにしていたけれど、絞り出すように言った。
「穢れた血が半分でも入っている男と結婚させるつもりはない、遊びはほどほどにしておけ、って……」
我慢しきれなかったのか、彼女の頬に涙のしずくが伝った。彼女は心から、彼女の父親の差別主義に憤慨しているらしかった。
なんたる悲劇なんだろう、彼女は身分違いの恋に苦しんでいる。冷酷な父親の言葉を受けた、トムのために涙を流している。
「ごめんなさい、トムとは大広間に食事をしに行ったときくらいしか顔を合わせていないの。その時も挨拶と、軽い会話をしただけ」
わたしはそういうと、心底あなたに同情する、という表情を浮かべて彼女を見つめた。彼女は「そう、急にこんなことを言ってごめんなさい」と小さく囁くように言って、わたしに口止めをした後去って行った。
「おとぎ話みたいだわ。障害を乗り越えて、二人は結ばれるのね」
わたしがそう言うと、わたしが立っていた窓の隣にある柱の陰からコツ、コツ、と革靴の音が廊下に響いた。
「君がそんな感傷に浸る女だったなんて初めて知ったな」
トムは唇の端の片方を吊り上げながら言う。そうしてわたしの隣に並ぶと、彼女が歩き去ってもう何もない廊下を眺めた。
「あなたがあの晩、わたしにすがりついた理由がわかったわ。最愛の恋人の父親に、結婚を反対されたからね」
「僕にも”感傷”に浸る夜はあるさ」
それにしても、君のが浮かべたあの顔は傑作だった、と口元を押さえて笑うトムを、きっと彼女は想像だにしていないだろう。彼女は一つも知らないのだ。彼が戻ると言った理由も、わたしが一人きりでここにいた訳ではないということも。
「わたし、誰に同情すればいいのかしら?」
窓の外を見下ろしながら、そうひとりごちる。同情すべき人間なんて一人もいないというのに。
トムはそんなわたしを後ろから包むようにして、窓に手をついた。そうして戯れにわたしの耳を食む。
「早く彼女の元へ駆けつけて、言ってあげなきゃだめでしょう、トム。”僕は全てを捨ててでも君を攫う覚悟がある”って」
くすぐったさに反射的に首をすくめながらも、わたしは窓の外に目を落としたままだ。
そこには、涙にくれる少女がいる。
積もった雪を避けてベンチに座り、小作りな顔に両手をやってさめざめと泣いている。
「もう利用価値のなくなった女だ。ただ純血なだけが取り柄の、弱く、愚かな」
「もう一つ取り柄があるわ。あなたを、一途に愛してる」
わたしがそう言うと、トムは憎々しげに顔をしかめた。
ダンブルドア、あなたが危ぶむ怪物は、聖女の一途な愛でもその牙を折ることはしないようよ。
わたしはもう一度、雪の白さに美しく映える赤色の髪を持つ、何も知りはしない少女を一瞥した。けれど、トムがわたしのウエストに手を回して促すので、彼女がその後いつ泣き止んだのかを、私が知ることはなかった。
羽の場所くらい覚えておいて