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クリスマス休暇だ。
城の中は静まり返っている。人っ子一人いない。そんな中、毎年スリザリンでホグワーツに残るのはわたしとトム、二人だけ。
わたしたちだけとなれば、怠惰な生活が当たり前のように始まる。
けれど、今年は少し違うようだ。
「クリスマスは彼女と過ごすことになった」
聞いてやしないのに、トムは深緑の光沢のあるネクタイを締めてそう言った。なんでも、あの赤毛の少女の両親が、トムを一目見たいと言ったらしい。そこで、トムはクリスマス休暇の数日間を、あちらの家で過ごすことになった。
彼女の家は純血だ。そこに入り込めるのは、トムにとって願ってもない機会だろう。もし彼女の両親が混血のトムを疎んだとしても、それはきっと一瞬で過ぎ去る。彼は魅力的になろうと思えばどこまでもなれるのだ。
「そう、よかったじゃない。存分に楽しんで」
わたしはトムのベッドに腰掛け、気だるくベッドヘッドに体を凭れさせていた。そんなわたしの顎下をするりと撫でて、トムはわたしの唇に軽くキスを落とす。
「あら、わたしの口紅をつけていくつもり?」
「まだいくまで時間はある」
今日は機嫌がいいらしく、トムは何度かわたしの顔中にキスを落とした。
「手土産は何がいい」
彼はニューイヤーズ・イブにはこちらへ帰って来るつもりらしい。きっと、彼の誕生日を祝われたくないのだ。彼は自分の生まれた日を憎んでいる。
「何か甘いものがいいわ」
キャンディーか、チョコレートでも一粒買ってきてくれたらいい。わたしは特に望むものなどなかったけれど、彼がいない間は口さみしくなるだろう、と思ったからだ。
彼はそんなわたしの考えを知ってか知らずか、「忘れずに持ち帰ろう」と囁いた。
「もうすぐ君に、最高に面白いものを見せてやれるだろう」
トムは歌うように言った。彼のその言葉は、わたしたち以外にとっては悪夢そのものに違いない。
「楽しみにしておくわ」
わたしはそうとだけ言った。トムのベッドの隣にある小さな窓を見つめながら。窓の外は大粒の雪が降っていた。もうすでにホグワーツは雪の城と化しているというのに、明日はもっと積もっているだろう。
トムは、スラグホーンの部屋の暖炉から彼女の家へ行くらしい。休暇中の外出も、スラグホーンから校長に言伝たようだから。
つくづく、スラグホーンはトムに甘い。籠絡されていると言っていい。それも仕方のないことだ。彼が魅了できないのは、きっとダンブルドアただ一人だ。
「じゃあ、行ってくる」
トムはわたしの額に唇を落とした。わたしはそんなトムを、彼の部屋から見送った。
クリスマス・イブを一人で過ごすのは、ホグワーツに来て初めてかもしれない。わたしはスリザリン寮から出るのも億劫で、図書館からトムが借りて来たおどろおどろしい本を手に取った。スラグホーンは彼の借りる本をいちいちチェックすらしないのだろうか?こんなもの、優等生としてあるまじき内容だ。
けれどしばらくするとそんな本たちにも飽きてしまい、わたしは立ち上がった。もしかしたら、屋敷しもべ妖精たちがクッキーでも焼いているかもしれない。彼らの厨房に行けば、一枚どころかお腹いっぱいになる程味見をさせてくれるだろう。
わたしがそう思い立ってスリザリン寮から出て、廊下を歩いていると窓の外を眺める人がいた。
「先生」
わたしは声なんてかけなければいいのに、思わず言ってしまった。
「ナマエかね」
ダンブルドアはゆっくりと振り向いた。薄暗い廊下に、彼の鳶色の髪がぼんやりと見える。
「今年、クリスマスイブをホグワーツで過ごすのは君だけだったね」
ダンブルドアにも話が行っていたらしい。わたしは軽く頷いた。
「君とトムは毎年寮に篭ってしまってクリスマス・パーティに出た試しがないが、今年は君一人だというし、来てみたらどうかね」
「考えておきます」
わたしがそう答えると、ダンブルドアは優しく笑った。わたしがそう言っていかないことはわかっているとでもいうように。
「今からどこへ行くつもりなんだい」
「……厨房へ、って言ってもあなたは怒らないでしょうね」
わたしがそう言うと、ダンブルドアは今度こそ楽しげに、くすくすと笑った。
「ああ、もちろんじゃ。あの秘密の扉は公然の秘密と言っていいからの」
――では、一緒に行こうか。実は私も、ジンジャークッキーを失敬しに行くところだから。
わたしは特に嫌な気もしなかったので、彼の隣に並んだ。この心境の変化は、クリスマスがなせる技なのかもしれない。
「トムは、彼の恋人の家で過ごすらしいの」
なんでもないことのように、ダンブルドアが言った。
「ええ、ご両親に挨拶するそうです。きっと素敵な夜になるでしょう」
わたしがそう言うと、ダンブルドアの歩みが遅くなった。もしかしたら、わたしに同情しているのかもしれない。そんなものを向けられるのはまっぴらだったので、ダンブルドアとは逆に、わたしは歩みを早めた。
「愛とは難しいものじゃな」
ダンブルドアは囁くようにそう言うと、わたしにあっという間に追いついた。長身の彼はわたしの急足に追いつくことなど容易いらしい。
「愛など存在しませんよ。少なくとも、わたしと彼の間には」
わたしははねのけるように言った。失礼なのはわかっていたけれど、ダンブルドアがそれを咎めないことを、なぜか知っていた。もしかしたらわたしは、ダンブルドアに甘えているのかもしれなかった。
「君は、それを自分自身に言い聞かせるように言っているように見えるがの」
わたしはまっすぐ前を見ていた顔をそらして、窓の外を見た。余計なお世話だ、と思った。
「彼を愛したところで見返りは何もないでしょう」
わたしは思わずそう言っていた。彼の言葉を肯定しているのと同じだということはわかっているのに。
「わたしは君が彼に愛を教えるのを望むが、それと同時に、君が彼によって傷つけられることは望まんのじゃ」
ダンブルドアの言葉は、空中に溶けるようだった。結局それからわたしたちは無言で歩き、厨房に着くとダンブルドアは扉を開け、わたしに先に行くようにと促した。そうして振り返ると、もうすでに彼の姿はなかった。
色眼鏡をかけては躓く