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朝方トムの部屋から出ると、そこにはアブラクサスが立っていた。わたしを頭の先からつま先までじっとりと眺めると、嘲るように鼻で笑う。

「盗み聞きだなんて趣味が悪いわね、ご主人様に待てと言われたの?」

わたしがそういうと、途端に鋭く睨んで来るのだから、プライドの高さは誰にも負けないのだ。トムにこうべを垂れているというのに。

わたしが男子寮の階段を降りると、談話室には誰もいない。当然だ、こんな朝早くに起きている生徒なんていないだろう。
わたしは朝まで貪られたけだるい体を談話室のソファに預けて、窓の外で湖の魚が泳ぐのをぼんやり眺めていた。そうしてうとうとしていたのが悪かったらしい、わたしはいつの間にか寝てしまっていた。

「ナマエ」

わたしの肩を優しくゆすり、そう名前を呼ぶ。

わたしがゆっくりと目を開くと、そこにはオリオンがいた。いつの間にか毛布で包まれていたわたしを覗き込んで、「大丈夫か」と声をかける。
そんなわたしたちを、他の生徒は遠巻きにして眺めていたけれどわたしがそちらに目をやったのに気づくと蜘蛛の子を散らすように消えた。

「こんなところで寝ていたのか」

毛布をかけたのは、どうやらオリオンではないらしい。けれどわたしが起き上がって小さく身震いするのを見ると、毛布を優しく肩にかけてくれた。

「君があまりに無防備に寝ているものだから、僕の部屋へ連れ帰るべきかずいぶん悩んだ」

彼がいたずらっぽくそういうのを、わたしは上の空で聞いていた。

「あたたかいベッドがあるならどこでもいいわ」

わたしがそう言うと、オリオンは怪訝そうな顔をする。今まで身持ちの堅い女だったのに、と言いたげな様子で。確かにわたしはオリオンの誘いを散々かわしてきた。だというのに今日は、皮肉抜きでこんなことを言ってしまっている。もしかしたら、トムの言葉に影響されているのかもしれない、と思うと滑稽だった。

「今日はいい天気だから、君をもう一度デートに誘おうと思って」

オリオンはわたしの手を取ると、何かが入ったバスケットをその手の上に乗せた。
そこには様々なサンドイッチが並べられている。

「これは?」

「厨房から失敬した――というより、押し付けられたの方が正しいな。ここのしもべたちは仕事を求めてる」

オリオンの言葉に、デートというのがピクニックであることをやっと気付いた。

「いいわね、確かに外の空気に当たりたいかもしれない」

わたしがあまりに素直なので、オリオンはもう一度怪訝そうな顔をしたけれど、「ではお手をどうぞ」と気障に手を差し出した。わたしは着ていたままのワンピースでその手を取ると、オリオンのエスコートで談話室から立ち去った。

「本当にいい天気ね」

わたしはそんな、まるで社交辞令のような言葉を吐いた。

「首のそれは、また僕に見せるつもりで?」

そんなわたしを後ろから見つめていたらしいオリオンは、わたしのウエストに手を回して首に手を添えた。トムが気づかぬうちに首に跡を残していたらしい。わたしは今更隠すこともない、と思ったものの、オリオンの手に自らの手を重ねて「違うわ」とつぶやいた。

「ずいぶんと独占欲が強いんだな」

そう楽しげに言うオリオンの目にはちりりと燃える嫉妬の色があった。彼はわたしの髪を横にまとめると、首筋に顔を埋める。彼が何をしたいのかわかっていたけれど、わたしはそのまま無防備に立っていた。あえて拒む必要もないだろう。

「確かに、君の白い肌には自分の跡を残したくなる」

「通り過ぎて、奪っていくだけじゃ飽き足らないのね」

そんなことを言いながら、湖のほとりまでつくとオリオンは紳士らしさを発揮して、ちょうどいい大きさの岩の上にハンカチを敷き、座るよう促した。

「あなたは?どこに座るの」

わたしがそう言いながら腰を下ろすと、オリオンはいたずらっぽく笑って「僕はここだ」とわたしを後ろから抱きしめるように座った。

「あなたはこうするのが好きなのね、前から思っていたけれど」

「君のうなじが色っぽいのがいけない」

彼は今度は跡をつけるためではなく、ただ軽いキスをわたしのうなじに落とした。

オリオンが持ってきたサンドイッチからイチゴを挟んだものを取ると、オリオンはチキンらしき肉が挟まれたものを掴んで頬張る。

「フォークとナイフがないと食べられない人種だと思っていたわ」

「アブラクサスじゃあるまいし」

こんな会話をしていると、アブラクサスがくしゃみをしているところを想像してしまって思わず笑ってしまう。

「君、そんな笑い方が出来たんだな。いつも取り澄ました顔をしているくせに」

「どんな笑いかた?」

わたしがその言葉に思わずオリオンの顔を見上げると、オリオンは不意をつかれたようだった。そうして、「幼い子どもみたいだ」と囁くように言って、鼻同士がぶつからないように顔の角度を変えながら口づけを落として来る。

「ホイップクリームの味がする」

「ソースの味がしたわ」

わたしたちが同時に言うものだから、今度こそお互い笑ってしまって危うく座っていた岩から落ちそうになってしまう。そんなわたしをオリオンはすっぽりと抱きとめて、わたしの髪をくしゃくしゃにした。

「参ったな。君に会うたび新しい一面を見せられるせいで、ハマりそうだ」

そう言いながらわたしの耳を食むオリオンに、そこが弱いのよとは言えずわたしは小さく震えた。

きっと、オリオンなら良かった。遊びの付き合いというものをよく心得ているから。

けれどトムは、全てを奪わないと気が済まないのだ、だからこんなに苦しい。

わたしは風に毛先をさらわれながら、オリオンと凪いだ湖を眺めていた。

透明にさえなれなくて




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