黄猿に介抱される これの続き)


メーデー、メーデー、メーデー。こちらルクス。場所はベッド。昨夜の記憶が曖昧だ、救助を求む。――なぜ見知らぬ家にパンツ一枚で寝ていたのか。


ルクスは混乱していた。すずめの鳴き声などなんの和みにもならぬほどに心は大荒れである。その原因は間違いなく、自らの恰好と、内装から推し測るに男の部屋にいるという事実にあった。女ならば良いのかというと決して好ましくはないのだが、現状考えている最悪な事態が候補として浮かんでこないだけそちらの方が何億倍にも平穏な情況だろうと思えた。
恐る恐る体の具合をさぐってゆく。肌の表面、足腰の筋肉、身中のたぎり、肛門……。涙を流したくなるほどに安堵した。何もない。何事もなかった。恐ろしい想像は想像だけにとどまった。ならば、ならば一体。平常のリズムを取り戻してくるとルクスはもう一度昨日の夜について思い出そうと脚に目を落とした。

「お水飲むかい〜〜?」
「うわああ!……た、いしょう、殿」

いつのまにか傍らに立ち、コップを差し出してくるその人は紛う方なき天敵――訂正、上司である大将“黄猿”ことボルサリーノであった。よりにもよってこいつなのか。部屋の主を理解すると同時に、抜け落ちていた記憶がパズルを嵌めたようにぱちりと繋がった。深酒、酔っ払い、嘔吐、噎び泣き――この男の前で『泣いた』。涙を見せることは“弱み”を晒す事だ。昔から怒りが頂点に達すると泣いてしまう事があったが、まるで相手に敗北宣言の白旗を振っているようで全身の血が煮え滾るくらいにその行為に対し拒否感を持つようになった。無様だとすら思った。それを、酔って、ばかみたいな情況で、ばかみたいな理由で以てこの男の前で晒してしまうなんて赤っ恥もいいところだ。そして目の前の男はなぜ上着の前を全開にしているのか。まるで何か過ちがあったようではないかやめてほしい。普段かっちりと着込んでいるだけに肌色が際立って見えた。プライベートでは弛さを好むのだと信じたい。
渡された水を飲み干し喉の渇きを潤すと少しだけ気分が落ち着いた。

「昨晩は……大変お見苦しい姿をお見せしてしまい……誠に、申し訳ございません……」
「覚えてるんならァ、ボタンをさがしてほしいね〜〜」
「……ボタン?」

正座をして謝罪を述べれば、返ってきたのは捜し物依頼。どういうことかと鸚鵡返しをすれば、ボルサリーノは目を閉じ、脱力した様子で「やっぱりそこはトんでる様だねェー……」と呟いた。
自分の記憶にない出来事に現実味を持てないのは致し方のない事。しかしこんなにも恐ろしく感じるものだとは思わなかった。酔うという状態さえ初体験だったルクスにとって、指の末端に至るまで管理しコントロールできていると思っていた自分の体に突然裏切られたような気にさえなっていた。そういえばなぜ自分がこんなだらしのない恰好をするに至ったのかまるでわからない。

ボルサリーノ曰く、たっぷりと泣いたルクスはそれを仕事としている赤ん坊のように疲れ果てて眠ってしまったらしい。それだけでも十分顔を覆いたくなるような話だが、住所を知らなかったボルサリーノがルクスを自宅へ連れ帰り、そこで少し目を覚ました彼に今からでも帰宅するか、又は服を脱げば洗濯機を貸してあげるよと選択肢を与えたところ、据わった目をしたルクスはボルサリーノを押し倒しスーツとワイシャツの前を力いっぱいに引き千切ったのだという。


「…………千切っ、た……」
「馬乗りになられてね〜〜……あの時はビックリしたよォ〜〜」

ムカつくんだよ!あんたは!いっつもイジワルだし!なんでも!よゆうしゃくしゃくなカオして!すきもみせねェで!イジワルで!たのしそうに!にやにやにやにや!なにかんがえてんのか!さっぱりで!イジワルばっか!しょうわるめ!うちゅうじん!そんなにおれをいびってたのしいか!?いいおとなが!はじをしれ!!

たまにはそのシャツをみだせピカピカやろう!というセリフと共にブチブチと景気よくボタンを弾き飛ばしたらしい。確かにこの上司のシャツが弛む姿を一度でいいから見てみたいと考えた覚えはある気がするが。血の気が引くとはこの事か、とルクスは実感した。恥を知るのは貴様だバカやろう!

「破るだけ破ってすぐに寝たもんだからねー……翌日、ゲロの付いた服で出勤させるわけにもいかんでしょう。勝手に脱がせて洗わせてもらったよ〜」
「……すみません……多大なるご迷惑を、お掛け致しました……」
「ベッドに転がした時また少しだけ起きて……このとおり寝巻きの前もやられてね〜〜……」
「誠に申し訳ございません……!!」

とち狂っているとしか言い様のない蛮行にルクスはついに頭を深々と下げて謝った。遠くのハンガーラックに掛けられてある皺のない見慣れた服にはもはや平伏すしかない。

「勿論、服は全額弁償させていただきます。それに、後任への引き継ぎも早急に……」
「オー……軍を去る気かい?」
「……まだ充分な働きも出来ておりませんので、できれば籍は置いておきたいのですが……」
「わっしは、副官を辞めさせるなんて一言も言ってないハズだけどね〜〜」

あれだけの暴言を吐いておきながらただで済むなどと甘い考えは持っていなかった。だってそうだろう、酔った勢いの幼稚な悪口とはいえ大将を正面から侮辱したのだ。加えて数々の暴挙。赦されるものではない。そんなルクスの思考をすべて蹴飛ばしボルサリーノは続投を言い渡した。――黄猿という男を実は勘違いしていたのだろうか、と思う。ただの捻くれ者で、理解すれば好ましい部分だって見えてくるのではないだろうかと。放置せず面倒を見てくれた事といい、服の事といい、意地悪どころかむしろ親切でやさしい面にこうして触れた今、ルクスは彼に対する意識を塗り替えようとしていた――。のも束の間。

「その代わりボタン付けはルクス君の手で頼んだよ〜〜」
「え……?……俺の手……って、まさか縫っておけという事ですか!?」
「まだ見つかってないボタンが数個あるけどもねー……」
「さがして縫えという事ですか?!」
「道具は貸してあげるよォ」
「いえ、あの、針仕事など一度もやった事がありませんし……!やったところで生地に見合った仕上がりになるとは到底思えません。代金は支払いますので、やはり仕立て屋に出すべきかと――」

「わっしは、ルクス君に、言ってるんだ」

瞬かない目が至近距離まで迫り、冷や汗が一筋。どうしてもルクスにやらせたい様だ。出来ないと申告しているのにこの無理強い、やはり親切でやさしいなどと一瞬でも思った自分が間違いだったと思い直したルクスの腕には、スーツ、ワイシャツ、そして今脱いだばかりの上着が投げて寄越された。年齢差を感じさせない、筋肉のつきにくいルクスには羨ましくなるような体格がお披露目されている。

「それ全部、今日中にねェ……」
「今日!?」
「今からやれば余裕だろ〜……?」
「無茶です!業務に差し支えます!」
「早く済ませれば遅れた分は午後にでも取り返せるでしょうが」

無茶苦茶をいう。海兵の仕事とは到底呼べない作業を、普段のルクスならばつっぱねる所だが、負い目を感じてしまっている今は飲み込むしか道が残されていなかった。

「目の毒だからァ、早くシャワー浴びてきて着替えなさいよ」

見苦しくて悪かったな、と呟きながらもルクスは厚意に甘えて酒の臭いを洗わせてもらったのだった。
その後、本部の一部はざわつく事になる。ボルサリーノ大将付副官であるルクスの重役出勤。部下達の前で堂々と受け渡しがなされた家の鍵。同じシャンプーの香り。副官の荷物からでてきた大将のスーツ、シャツ、同一人物のプライベート用であろう服。それらに針を通すルクスの姿が目撃されたとなれば、様々な憶測が飛び交う事になるのも必然だった。

休憩も取らず指に血の玉をつくりながら悪戦苦闘するルクスはそんな誤解が広まっている事などまだ知らない。そして、ボルサリーノが他人を家に上げるなど滅多にないのだという事も。


  
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