蝙蝠の求愛行動

交差点は二度と来ない


オレは今虫の居所が少し悪い。

そう言わんばかりの表情をカマソッソは浮かべていた。



祭りが終わって早数日。今日も今日とて、カマソッソは王の仕事をこなしていた。祭りが終わった翌日はどこか上の空になることも多く、周囲に心配された彼だったが、数日も経てば元通りになっていた。その様子に、きっとカマソッソ様も疲れが溜まっていたのだろうと臣下たちは納得したのだ。
しかし、今日は新たな問題が浮上した……。

「現在、毒を無効化する術式の人体への定着率は82%とかなり好調です。あと数日もすれば、戦士たちに適用出来るかと思います」

「流石といったところか」

「ここまで一気に進展したのも、ミズノ様のお陰でございます」

そう述べる開発部門の総元締めに、カマソッソは誇らしい表情を向けた。ミズノが褒められて彼も嬉しいのだろう、その表情はとても満足気である。

「また炉の活用も近々試験的に試みる所存です」

「そうか、引き続き励むが良い」

研究施設の方も順調に進んでいると知り、傍から見てもカマソッソはご機嫌だった。退出する総元締めと入れ替わるように、次は戦士長がカマソッソの前に出る。彼もどうやら、カマソッソへの定期連絡で来たようだった。

「王国外の様子はどうだ?」

「はっ!現在では魔物の活性化もなく、戦士たちも民も無事でございます!何より、ミズノが来てくれたお陰か、新しい戦闘方法による連携の幅が広がっているほどです」

再び話の議題に上がった彼女の名前に、カマソッソは嬉しそうに少し目元を和らげた。元々、熱心に働いているのは知っていたが、研究だけでなく戦いにまで貢献しているとは。これはいい兆しだ、と思うほどであった。戦果を期待している旨を伝えてカマソッソは戦士長を下がらせる。そして新しい案件を聞くカマソッソだったが、ここから段々と彼の雲行きは怪しくなった。

どの役人や臣下の話にも必ずと言っていいほど出てくるミズノの名前。どれも彼女に対する評判が良く、慕われてきているのが分かるが、カマソッソはふと思ってしまった。

あやつ、働きすぎではないか?と。

しかもただ慕われるならいい。だが中にはミズノを引き抜きたいという話まで出てくる。先日招待した踊り子たちのオーナーからはどこでそんな話を聞いたのか、いや十中八九踊り子たちからだとは思うのだが、彼女も是非踊りに出て欲しいという声まで上がっているほどだ。そういった話が出る度に、カマソッソの脳内ではつい最近の出来事が思い浮かんだ。

実は祭りが終わってからというもの、カマソッソはふとした拍子に、あの時のミズノの笑顔や踊っている時の姿が脳裏に過ぎることが多々あった。頭に浮かんでは消して、また浮かんでは消して……。そうした、どこか煮え切らない感情を持て余していた訳だが。そんなにも頻繁に頭に浮かんでは気にならない筈もなく、偶然、ばったり、本人と会えないだろうかと考えたのだ。
しかし、運命とは残酷なもの。
神殿の巡回中に会えるだろうとカマソッソが神殿内を歩いている日に限って、彼女は戦士の任務で鍛錬や武器庫などの備品管理。戦士たちの様子を見るついでにミズノにも会いにいこうとすれば、その日に限って王国外の任務や市街の見廻り。じゃあ市政調査のために民たちの生活を見に行こうとすれば、その日は研究施設……。最早仕組まれているのではと思うほど、カマソッソはミズノに会えてなかった。自分の気持ちばかりが悶々とする中でのミズノに関する沢山の報告。何も思わない訳がないのだ。
そして極めつけは、いつも最後に神官とやり取りする定期連絡。ミズノを監視している者から上げられた報告は、現在着々と戦士を含めたカーン王国の民と仲良くなっているというものだった。そこでカマソッソの機嫌は急降下した。元々緩やかに下降気味だったものが、ジェットコースターよろしく急激に下がったのだ。神官と自分の2人しかいないからか、カマソッソは取り繕うこともせず口をへの字に曲げる。
端的に言うと、彼は自分の物を取られた幼子よろしく、拗ねていたのだ。

「……何をそんなに不満に思っていらっしゃるのですか」

「別に何も思ってなどおらぬ」

口を曲げている癖に意地っ張りなカマソッソに、神官は思わず、はあと溜息を吐く。

「全て貴方ご自身が、そうなるようにと差し向けたことですよ」

まるで子供に言い聞かせるようにそう諭せば、カマソッソはより一層、口端を下げた。それは傍から見れば、まるで親に諭されている子供のようだった。

「そのくらい分かっている」

言葉で『分かっている』とは言いつつ納得出来ていないカマソッソの様子に、神官は軽く溜息を吐く。そして彼は暫し思案すると、やれやれとでも言いたそうな声音を出した。

「そこまでお気になさるのなら、夕餉にでも誘っては如何ですか?ミズノ様の働きのお陰か、今では彼女を敵視する視線も少なくなってきております」

神官の提案に、カマソッソは唸り声をあげる。
実際、今のミズノの地位は確実な物になり、民や戦士たちからの評価も悪くない。加えて、臣下たちの中では吉星なのではないかと思う割合も増えてきている。何より、当初あった彼女自身が隔てていた壁も薄くなり、かなりカーン王国の民と打ち解け初めている。つまり、タイミングとしては悪くない。そう結論付けたカマソッソは、明日の夕餉にミズノを誘うことを漸く決めたのだ。

――よもや1人の女に、ここまで気を揉むとは。

恐らくそれは、後にも先にも、彼女ただ1人なのだろう。そう考えたカマソッソは、まるで心の内に巣食うモヤモヤを出すように軽く溜息を吐いた。


***



次の日の朝。ぐぐっと伸びをし、今日も働くぞと寄宿舎を出たミズノは、与えられた任務を思い出しながら歩いていた。

――今日は確か、戦士の任務だっけ。とりあえず、訓練しに行くか。

そう考えていれば、目の前からいつぞやの遣いの戦士が真っ直ぐにミズノの方へと向かってきていることに気付いた。

「あ、あなたはこの前の…。お久しぶりです」

「お久しぶりです、ミズノ様」

会釈をし合う2人。実は彼とミズノが会ったのはまだ2回目である。

「カマソッソ様より言伝を預かっております」

カマソッソの名前を聞き思わずドキリ、とミズノの心臓が跳ねた。実はあの祭り以来、カマソッソとは会っていなかったのだ。どこか気まずい気持ちを抱えながら、ミズノは男の続く言葉を待つ。

「本日の夕餉にご相伴するようにとの事です。お迎えに上がりますのでこちらに待機していて下さい。では、失礼致します」

そう簡潔に述べると、男はまたもやミズノの返事すら聞かずに颯爽と去っていく。ミズノは突然、自身に告げられた内容にポカンと口を開けて唖然とした。

――夕餉、ご飯?え?ご飯に誘われたのか?え、どういうことだ?

そのまま彼女は呆然と、神殿内に消えていく男の背中を見送る。しかし直ぐに、はっと我に返ると特に急いでいる訳ではないのに、逸る気持ちを抑えるように演習場へと駆け出した。



その日のミズノの調子はどこか悪かった。任務に支障は出ないものの、知っている者ならば首を傾げるほどだった。現に同僚にはちょっと心配さえされた。「お前なんか上の空じゃね?どうしたの?」と優しくもそう声を掛けてくれた同僚もいたが、その度にミズノはカマソッソから夕餉に誘われたことを話しても良いのかと思い悩んだ。その結果、「まあ、ちょっと……」と当たり障りのないことを言えば、「疲れか?お前、ここの所あっちこっち忙しそうだからなあ。たまには休息も取れよ」と励まされる始末。それにも曖昧に返せば、まるで騙しているような、ミズノは良心がツキツキと痛むのを感じた。
そうして気付けば終わっていた任務。彼女は現在、迎えに来た遣いの戦士と廊下を歩いていた。元々懇意な間柄ではないため、2人は無言だった。しかし、この時のミズノの心境は大いに荒れていた。荒れていたというより、困っていた。彼女とて、目上の立場に当たる人とこうして食事をする機会は滅多にない。つまり何が最適なマナーか分からなかったのだ。そして思わず、彼女は藁にもすがる思いで隣の男に尋ねた。

「あの……、少々お伺いしたいことがあるのですがよろしいですか?」

「何でしょうか?」

「カーン王国の夕餉では、どういった作法があるのでしょうか?」

ミズノの問に、男は思わず目を瞬いた。まさか目の前の、全く隙のない女からそのような質問が飛んでくるとは思わなかったのだ。

「作法……ですか」

「はい。作法というかマナーというか、そういう感じです」

「…………カマソッソ様は寛大で、特に作法などはお気になさいません。侮辱などの失礼な事さえしなければ良いかと」

数秒の後に返ってきた男の答えに、ミズノは逆に心が広すぎて分からないやつだと項垂れた。そうしていれば遂に辿り着いたカマソッソの部屋。

「では、私はここまでです。ごゆるりと」

礼儀正しく、お辞儀をして去る男をミズノは黙って見送る。そして再び、視線を目の前の扉へと向けた。来たのは実質2回目。あの時と違って1人ということもあるせいか、その扉から物々しい雰囲気を感じる。ゴクリ、と生唾を飲みこみ、深呼吸。そして彼女は一思いにノックをした。

「カマソッソ様、ミズノです」

「……入れ」

「失礼致します」

目の前の精巧な扉は、まるでミズノの心を表すかのように重たい。遂に部屋の中へと入ったミズノ。その後ろでは、バタンと扉の閉まる音が嫌に大きく響いた。視線の先、部屋にはクッションに凭れるようにしてカマソッソがいる。そのまま見つめ合うこと数秒。

「………そんな所で立ってないで、こちらに来い」

半ば呆れたように言うカマソッソに、ミズノは「は、はい」と答える。若干上擦った声がとてつもなく恥ずかしいと思った。変に脈打つ鼓動に合わせるように足早にカマソッソの近くへ行き、たどたどしく隣に座る。ポスン、とクッションが間抜けな音を出した。変に空いている2人の距離に、カマソッソもう少し近くに座っても良いだろうにと少々残念がるも、まあ最初だし仕方あるまいと流す。彼女の見立て通り、カマソッソは心が広かった。
そしてミズノが座ったのを見計らったかのように部屋に食事が運ばれてきた。カーン王国でよく食べられるトルティーヤに、七面鳥のソテー、カボチャやインゲン豆にアボカドのサラダ、トウモロコシのスープ、焼きたてのパン、加えてカーン王国では高級食材であるチョコレートドリンクにお酒など。豪勢な食事にミズノは思わず目をキラキラと輝かせる。そして横から感じる自分を見つめる視線。はっ、とカマソッソの方を見ればバッチリと合う目。子供のようにはしゃいでしまった自分が恥ずかしく、ミズノはゴホン、と咳払いをした。それを可笑しそうに、喉を震わせてカマソッソは笑う。

――なんだか調子が狂うなあ。

頬をポリポリと掻けば準備が出来たのか、カマソッソはお酒の入ったグラスを持っていた。それを見て、ミズノも慌ててグラスを持つ。

「今宵は無礼講だ、存分に楽しめ」

ニッと口角をあげるカマソッソの顔。その顔が、いつぞやの少年の時のような、あどけない笑顔と重なる。その懐かしさに、ミズノもつられるようにはにかんだ。そしてカチャン、と合わさるグラス。その音を合図に、2人っきりの晩餐が始まった。

ご飯は美味しいの一言に尽きた。ふわふわホカホカのパンも、噛み締めた瞬間、肉汁がじゅわっと溢れるチキンも、シャキシャキと新鮮なサラダも。何より、トウモロコシのスープが一番美味しかった。もぐもぐとご飯を美味しそうに食べるミズノを見て、カマソッソは嬉しそうに微笑む。ああ、やはり誘って良かったと、そう思った彼はグイッとグラスを煽った。

「カマソッソ様、とても美味しいです!今日は誘って下さってありがとうございます」

美味しい食事は自然と人を笑顔にする。ミズノはニコニコと、それはもう満面の笑みでカマソッソに笑いかけた。その飾らない笑顔が光のように眩しく感じ、カマソッソはそっと視線を逸らす。

「お前の口に合ったのなら良い」

それが彼に出来る、精一杯の照れ隠しだった。ふと、ミズノの視界にカマソッソの手元が映る。

「カマソッソ様、お酒お注ぎしますね」

ミズノの言葉に、言われるがままにグラスを差し出す。お酒を注ぐために、当然のように近くなる距離。トクトクトク、と耳馴染みの良い音と共に香る葡萄酒の匂い。それとは別にふわり、と薫る甘い香りに、カマソッソは首を傾げた。

「お前、何か香油でも付けているのか?」

「え?付けてませんが?」

「……?そうか」

同じようにして首を傾げるミズノを不思議を思いながらカマソッソはグラスに口を付ける。口内を潤し、喉を通り過ぎる葡萄酒が何故か一段と美味しい。それに、はて?とカマソッソが再び首を傾げた。さっきと同じ酒類の筈なのに、何故なのだろうと。そうカマソッソが頭を悩ませている横で、ミズノは持っていた酒瓶を机に置き、体を彼の方へと向けた。そして彼女は、躊躇いながら口を開いた。

「あの、カマソッソ様。本日はどうして誘って下さったのですか?」

無垢な一対の瞳が、カマソッソをジッと見つめる。まるで己の心の内が暴かれそうな、心を見透かすような視線に、カマソッソは何故か居た堪れない思いを抱いた。
お前と話したかった、などと口が裂けても言えなかった。さて、どう言い訳するかと外した視線の先。その時にちょうど壁際の本棚が目に入った。そしてふと思い付く。

「お前の世界の話を何でもいい。オレに聞かせろ」

「話……ですか?」

「ああ、お前が見聞きしたことでもいい。お前が体験したことでもいい」

真っ直ぐと、真剣な眼差しで見つめてくるカマソッソにミズノは、ああ、そういえば彼は物語をよく読むんだったかと思い出した。

「それと歌もだ。歌えるのだろう?」

カマソッソから出た言葉にミズノは思わずギョッとする。

「えっ!?何で知ってるんですか!?」

彼には一度も、歌が好きだと言ったことはなかった筈だと彼女は必死に記憶を漁った。それすればまるで勝ち誇ったような顔をカマソッソは浮かべる。

「ふん。オレが昔、御前試合で優勝した時に呑気に歌っていたからな」

チラリとミズノに視線を移し、カマソッソはしてやったりと、ニヤリと口角を上げた。『御前試合』。その言葉でミズノは、あっ。と言葉をこぼす。どうやら心当たりがあったらしい。まさか聞かれていたとは思わず、恥ずかしさからか彼女の頬にじわじわと熱が灯った。

「で、どちらにするんだ?オレは寛大だからな、選ばせてやる」

ニイッと笑みを深めるカマソッソに、拒否権はないんだなあと彼女は頬をポリポリと掻いた。そして次からは、周りに人がいないかよく確認してから歌おうと固く誓った。

「えっと……、歌はまた今度で、今日はお話の方にしましょう」

ヘラリと笑うミズノ。彼女の『また今度』という言葉に、カマソッソは目を見開いた。元より、そのつもりであり、また誘おうとすら考えていた。しかし、まさかミズノもそう思ってくれていたとは思わず、彼は少し驚いたのだ。
また次がある。彼女もそれを願っている。そう思うと、何故だか、胸の内がぽかぽかと熱に照らされるように温かくなった。そして無性に嬉しくなり、思わず、うふふ。と笑みがこぼれた。

「どうしたんですか?」

あどけない顔を向けてくるミズノ。きっと、彼女にとったら何気ない一言だったのだろう。気付けばいつもスルりと心に寄り添う彼女。そんな彼女に、初めて『愛い』という感情を抱いた。

「いや何……そうだな。では次の楽しみに取っておくとしよう」

柔らかい笑みと、ミズノの鼓膜を撫でる優しい声音。不覚にもドキリ、とミズノの鼓動は大きく跳ねた。どうしても彼女は、カマソッソのこの笑顔と声が未だに慣れなかった。自分の胸がぎゅうっと苦しくなるような、切なくなるような、そういった気分になる笑みが。そしてミズノは気を紛らわすようにゴホン、と咳払いをする。

「では、そうですね。長を夢見るとある少年のお話をしましょう」

それはミズノにとってはかけがいのない、とても身近で、宝石のように輝く記憶。彼女は自分の記憶を紐解くように、まるで指でなぞるかのように言葉を紡いだのだった。


【補足情報】
23/04/18
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