それは休憩時間中のことだった。
1人の同僚の言葉に、ミズノは気まずげに視線を逸らす。そして言葉を探すように、ほんの少しだけ言い淀んだ。
「あ〜、、いや……止めておきます」
「ん?珍しいな」
「まあちょっと先客がありまして」
ミズノのその言葉に、傍で聞き耳を立てていた戦士たちはみな一様にガタガタッ、と席を立った。残念がる表情にちょっとウキウキしてる表情と、その顔は様々だ。急に立ち上がった戦士たちに、ミズノはうわっ。と引いた顔をする。
「な、なんですか皆さん…」
「ま、まま…、まさかコレか?コレなのか!?」
『コレ』と言って親指を立てる同僚。その古典的な表現に、ミズノは白けた目を向ける。
「いや、違いますけど――」
「遂に…、遂にミズノちゃんにも春が来たのか!」
「何だろ、俺ちょっと感動したかも…」
「じゃあこれからはあまりご飯誘えないのか……」
「いや違うって言ってるじゃないですか、話聞いて下さいよ」
勝手に盛り上がる同僚たちにミズノははあ、と溜息を吐いた。何よりそれは自分とは一番ほど遠い物。こんな自分みたいなのを好きになる物好き、それこそ見てみたいと思ったほどだ。
「彼氏でもなんでもない、親しい友人ですよ」
友人と言っても、相手は彼らが仕えるカマソッソその人なのだが……。しかし、そう正直に言うことも出来ず、当たり障りのない表現で返せば落胆の声を上げる男たち。ミズノはいよいよ頭が痛くなった。そういうのは自分じゃない他の人間にやってくれと思わずにはいられなかった。ミズノがそう頭を抱えている中で、1人の男が「でもよお」と言葉をこぼす。
「ミズノちゃんがそう思ってなくても、もしかしたら相手には気があるかもしれないだろ?」
「そうそう、飯に誘うってことは少しでもその気があるってことだし」
うんうんと頷く戦士たちに、ミズノは胡乱な目を向ける。その顔はまるで、何を言ってるんだこいつらは?とありありと書かれているようだった。相手はカマソッソだぞ、そんな事ある訳ないだろうと。
「そんなことは万が一にもないので安心してください」
そう肩を竦めながら言う彼女に、男たちは思わず顔も知らないその相手に哀れみの感情を向けた。そして同時に、ひと摘みの興味と、これはちょっとお節介でも焼いてやるかという気持ちが湧き出てきた。
「なあなあ、その人とは何回くらい飯に行ったんだ?」
「そうですね……4回くらいでしょうか?」
男の質問に、ミズノは顎に手を当ててここ最近の出来事を思い返す。初めて誘われた2日後に再び夕餉に誘われた彼女は、その後も数日おきに誘われるなど、実は細々とではあるがカマソッソとのご飯が続いていた。最初は緊張していたものの、3回目を過ぎた辺りからは楽しむ気持ちが出てきたのか、彼女はだいぶリラックスしていたのだ。まあそれも、彼女が変に気負わないように配慮したカマソッソのお陰でもあるのだろう。どこかで恩返しをしたいなあ、と薄らとミズノは考えていたのだ。
そう考えているミズノの事など露知らず、男たちは口には出さないものの結構仲がいいんだな、と一様に思っていた。そしてふとあることを思い出したのか、1人の男が口を開く。
「そういや俺も嫁さんの時とはそのくらいご飯に行ったっけかな」
「懐かしいな。確かアレだったか?普段とは違う服と紅つけた嫁さんに惚れたんだっけか?」
「そうそう。俺は普段の見た目も好きなんだけどさ、俺を驚かせたかったんだと」
「あーはいはい成程ね、ご馳走様です」
デレデレと頬を緩ます男の言葉に、ミズノはふーんと思った。そしてふと、カマソッソも、そういうのが好きだったりするのだろうかと頭に過ぎる。しかしそれも束の間。何を馬鹿なことを考えているんだと、彼女は自分の思考を打ち消すように頭を振った。アホらし、彼は旧知の中だから呼んでくれているだけだろうに、と。
そんなミズノの様子に苦笑いを浮かべた男は、「まあたまには買い物にでも行ってきたらいいんじゃないか?」と声を掛ける。買い物という言葉に、彼女は市街の見廻りで目にした色々なお店を思い浮かべた。確かに、最初よりも住民との仲が築けている今なら、外に出ても問題はないのかもしれない。お給金もそれなりに頂いているし、異文化交流として楽しんでくるか。そう彼女は心に決めたのだった。
その言葉通り、業務が終わった彼女は街へと足を向けていた。ご飯の時間帯だからか、辺り一帯からは空腹を刺激するいい匂いが漂っている。買い物が終わったらそのままご飯でも食べようかなと考えていれば、「あら!ミズノちゃん!」と自分を呼ぶ声にビクリと肩を震わせた。急いで呼ばれた方に顔を向ければ、そこにはいつぞやの、ミズノを踊りに巻き込んだ女性が嫋やかに立っていた。まさかこんな街中で会うとは思っていなかった為か、世間は狭いんだな……とミズノは密かに思った。
「珍しいわね、この時間帯にいるの。もしかしてご飯?」
ゆったりと話しかけてくる女性に、ミズノは照れ臭そうに口をまごつかせる。
「あー、、いえ。少々買い物をしようかなと」
「あら?ご飯の買い出し?」
「えっと……服を…」
ミズノの口から『服』という言葉が出た瞬間、女性の目がキラリと輝いた。それを視界の端で捉えたミズノは、なんか前にもこんなことがあった気がするとデジャブを感じていれば、再びガシッと掴まれる両肩。思わず、まるであの時みたいだなと現実逃避のように考えた。
「ミズノちゃんがお洒落!!やだお姉さん嬉しい!!」
ぎゅっと人の目を憚らずに抱きついてくる女性に、ミズノは狼狽してか、待って、だの、ちょっと、だの、途切れ途切れに制止の声を掛ける。しかしそんな言葉が聞こえていないのか、尚も抱き着いてくる女性と、そんな2人に好奇の目を向ける民衆に、ミズノは遠い目を浮かべるしかなかった。
ミズノが漸く女性からの熱烈な抱擁から解放されれば、どうやら女性はこの近くで服飾屋を営んでいるのか、ミズノを自分の店へと案内した。案内された店に入り、彼女はわあ……と感嘆の言葉を上げる。普段、街中で見かける服から、ちょっと煌びやかな物、露出が多めの物、それこそ踊りで着るような物。その種類は様々で、彼女は目をキラキラと輝かせた。
「凄いですね……、これ全部手作りなんですか?」
「そうよー。それと、この前ミズノちゃんが着たやつも、実はウチのお店のなの」
「え!?そうなんですか!?」
その言葉に、ミズノは女性に尊敬の眼差しを向けた。元々、彼女はあまりこういった方面は器用ではない。だから、自分が出来ないことをやってのける女性を、純粋に凄いと思ったのだ。
「どんなのが欲しいとか決めてるのかしら?」
「いえ、それが全く決まっていなくて…」
「あら、そうなの?ちなみに普段着用?」
「あ、いえ…、その、、男性の方とお食事をする時に着ていくやつを探してて…」
ははは、と苦笑するミズノに、女性は声にならない歓喜の声をあげた。あのお洒落に無頓着そうだった彼女が!殿方の為に服を選んでいる!そう思った瞬間、女性の心に火が着いた。そして火が着いた勢いのまま、彼女は本日2度目。ミズノの肩をガシッと掴む。
「私に任せて頂戴!」
「…………はい?」
唐突に叫ぶ女性に、ミズノは思わず目が点になった。こうして、女性によるミズノの劇的ビフォーアフターが幕を開けた。
まるであの祭りの時ように、ミズノはまたもや着せ替え人形よろしく服を着ては脱いで、脱いでは着てを繰り返していた。「これはちょっと露出が多いわね」「こっちじゃちょっと地味だわ」と言われても、正直ミズノには全部似たような露出度にしか思えなかった。
「やっぱり清楚系かしら…、鎖骨の辺りと項は外せないわよね……」
ブツブツとまるで呪文のように唱える女性に、ミズノはげんなりとする。確かに自分のために考えてくれるのは有難いのだが、何回も着脱を繰り返せば流石にミズノでも疲れがくる。彼女は気を紛らわせるように店内へ視線を向けると、ある1箇所で目がとまった。合わせ貝のようなそれ。よく見ればそれはこの国でよく使われている口紅だった。現代とは違う古風な見た目のそれを、物珍らしさからかじっくりと見る。かわいいな、と思いながら眺めていればそんな彼女に気付いた女性が声をかけた。
「あら、いいんじゃない?貴方の肌色的にも、その色似合うと思うわ」
「似合い、ますかね……」
「ええ、勿論」
不安げに言葉をこぼすミズノに、女性はにっこりと優しく微笑みかける。まるで相手を勇気づけるかのような言葉と真っ直ぐな視線に、ミズノは思わず頬に熱が灯った。
――似合ってるって、思ってくれるだろうか。
そこまで考えて、彼女は頭を振る。余計なことは考えないに越したことなどない。そう、これはイメチェンみたいなものなのだ。そう誰にする訳でもない言い訳を頭に浮かべた。
「その紅なら、この服が似合うかしら」
はい、これで最後よ。そう言葉をかけられたミズノは渋々と試着室に再び入っていく。そうして鏡に映ったのは、白布に金糸で所々刺繍がされた膝丈のワンピースだった。大きく開いた襟元から見える鎖骨が、なんだか頼りなく見えて落ち着かなかった。試着室から出てきたミズノに、想像通りだったのか、女性は満足そうに頷いた。
そうして、目当ての服と口紅を買ったミズノは、ここまで付き合ってくれた女性にお礼を伝えようと体を向ける。
「今日は何から何まで、付き合って下さってありがとうございました」
「ふふ、いいのよ、私も楽しかったし」
そこまで言うと、「あ、そうだ」と女性は何かを思い出しかのように声をあげる。
「ねえねえミズノちゃん。この国にはね、昔から歌遊びがあるのよ」
「歌遊び、ですか?」
「そうなの。相手が歌ったらそれに合わせて歌うっていうやつなんだけど。多分、この先必要になるだろうから覚えておくといいわよ」
女性に言われるがまま、ミズノは歌を教えて貰う。初めて聴くその歌は異国、いや異世界だからかミズノにとってはとても新鮮な音を持っていた。どこか聴く者の気持ちを温かくさせる、そんな不思議な音色だった。
「――っという感じよ。覚えた?」
「んー、、、はい。なんとか大丈夫そうです」
「良かった。じゃあお食事、楽しんできてね」
ひらひらと手を振る女性に、「また遊びにきますね!」と声をかけ、深くお辞儀をしてミズノは店を出た。
帰り道、包みに入ってる真新しい服と口紅に、自然と彼女の足取りは軽くなる。それは久しぶりに着飾ることへの嬉しさからか、それともそれを見せる相手を想像してか。無意識にそう想いを馳せながら、彼女は帰路に着いた。
服も大丈夫、口紅も鏡で確認した。うん、たぶん大丈夫。そう考えながら歩くミズノの動きはどこかいつもよりもぎこちない。そしてもう1つ違う点を上げるとするならば、それは彼女の格好だった。普段着とは違う少し華やかな衣装と、紅をさした唇。顔が見られるのが恥ずかしいのか、それとも普段とは違う格好に緊張してか、彼女の顔は強ばっていた。これじゃあ初日に戻ったみたいだと思ったミズノは、胸に手を当てて数回、深く深呼吸を繰り返す。しかし、ドクドクドクと早鐘を打つ心臓を意識すればするほど、まるで逆効果のように全身にじわじわと熱が灯った。
そもそも何故こんなに緊張しているのか本人は分かっていなかった。似合ってないと思われるかもしれないから?それとも、特に気にされないかもしれないから?そう自身の心に問い掛けても、結局答えは見つからなかった。
しかし、そこでふと思った。きっと、どんな格好をしてもカマソッソは普段と同じ態度で接してくれるのではないだろうか?と。彼は昔からそうだったが、口ではぶっきらぼうなことを言うが心根は優しい人間だ。何より、最近では懐に入れた人物にはそれなりに甘いことも分かった。たぶん、どんな自分でも受け入れてくれるのかもしれない。
そこまで考えて、もう一度深呼吸をする。不思議と先程よりも、鼓動は落ち着いていた。そしてタイミングよろしく辿り着くカマソッソの部屋。習慣の様に、彼女はいつも通りノックをした。
「カマソッソ様。ミズノです」
しかし、返事は返ってこない。いつもなら聞こえてくる声が聞こえず、彼女は留守なのかなと考えた。もしかしたら、急用でも出来たのかもしれない。ならば、戻ってくるまで外で待っているか。そう思い至り、彼女は扉近くの壁に凭れかかった。
そのまま待つこと数分。ミズノがぼんやりとその日の任務について脳内で振り返っていれば、遠くからこちらに向かってくる足音が聞こえた。足音や歩き方の特徴からカマソッソであることに気付くも、何故か途中で止まる足音。それを不思議に思い視線を向ければ予想通り、そこにはカマソッソが立っていた。
「カマソッソ様、お疲れ様です。すみません、部屋にいらっしゃらなかった様なので外でお待ちしておりました」
そう声をかけながら彼の方に歩みよるも、彼はまるで時でも止まっているかのように、ピタリと身動き1つしない。目を見開き、じっとこちらを見るカマソッソに、ミズノは段々と気まずさを覚えた。もしかして、やはり似合ってはいなかったのだろうかと思い、口を開き掛けたところで、
ガシッ。
力強く手が握られた。そのまま大股で急ぎ部屋に入るカマソッソに、半ば引き摺られるように連れられる。そしていつもの場所に着けば、彼はドスンとまるで不機嫌を表すかのように音を立てて腰を降ろした。上手く事態を飲み込めていないミズノも、彼に合わせるようにそろりと腰を降ろす。しばし流れる無言の時間。ゆっくりとカマソッソの方に目を向ければ、彼はミズノとは真逆に顔を背け、口端は下がり、眉間には皺が寄っていた。ああ、これは機嫌が悪い時の表情だと、直ぐにわかった。やはり、似合っていなかったのだろう。そう思った彼女は、怖々と口を開いた。
「その、すみません……慣れない格好はしない方がいいですよね」
その言葉に、カマソッソはギョッと彼女の方を見遣る。そこにはヘラりと、眉を下げながら笑うミズノがいた。
「次からは気をつけま――」
「似合わない訳がなかろう!」
ミズノの言葉を遮るように、カマソッソの必死な声が部屋に響いた。突然言われた言葉に、ミズノは、え?と口を開ける。そしてカマソッソは罰が悪そうに、「先程はすまなかった…」と小さな声で言った。そして目線を泳がせながら、彼は言葉を続ける。
「それと、その格好…、お前によく似合っている。綺麗だ」
たどたどしく、そう伝えたカマソッソの表情は、顔どころか耳まで真っ赤だった。その様子に、ミズノもつられるようにじわじわと顔が熱くなる。だが恥ずかしさよりも、その言葉を言われた嬉しさが勝ったのだろう。彼女は満面の笑みで、目尻を下げた。
「ふふ……、嬉しいです。ありがとうございます」
飴細工のようなミズノの蕩けるような笑顔。カマソッソはミズノの微笑みに、唸るしかなかったのだった。
ハプニングはあったものの、いつも通り始まった夕餉。いつもよりもご機嫌なミズノの隣で、しかし、カマソッソはいつも通りではなかった。
「カマソッソ様、このお肉、とても美味しいですよ」
「私、ここのトウモロコシのスープが大好きなんです」
「カマソッソ様、今日はお酒のペースが速いですね。ご無理をしてはダメですよ」
そう心配そうな顔を浮かべるミズノが自分のグラスにお酒を注ぐ所を、カマソッソはなるべく見ないように視線を逸らしていた。何故なら、少しでも視線を下げた先。開いた襟元から見える白い陶器を思わせるような肌。視界に入る鎖骨と項を、まるで毒のようだなと思わずにはいられなかった。
「そう言えば、昨日カーン王国に伝わる歌を教えて貰ったんです」
何より、楽しそうに言葉を紡ぐその紅に彩られた唇から目が離せなかった。ふっくらと艶を発する唇に、まるで果実のようだなと考えた所で頭を振る。オレは一体、彼女に対して何を考えているんだ。と下賎な思いを抱きそうになった自分を殴り飛ばした。普段よりも早い鼓動を落ち着かせるように酒を口に含みながら彼女が教えて貰ったいう歌を聴き、
思わず吹き出した。
「カマソッソ様!?大丈夫ですか!?」
ミズノがカマソッソを心配して声をかける。ミズノに酒をかける事態を間一髪で避けた彼は、グイッと乱暴に口元を手で拭うと、ガシッと心配するミズノを無視してその白い肩を掴んだ。
「お前……、その歌を誰から聞いた?」
鬼気迫る声音で訪ねるカマソッソに、ミズノは「えっと、この前祭りの時に来訪されてた踊り子の方から……」と言葉に詰まりながら説明をする。その言葉に、カマソッソは内心頭を抱えた。そして、カマソッソの雰囲気に圧倒されているミズノを怖がらせないように、カマソッソは努めて優しい声を出す。
「その歌を男の前では絶対に歌うな、いいな?」
「え、何でですか?」
「何でもだ」
「は、はあ……、じゃあカマソッソ様の前でもですか?」
純粋にこちらを見る2つの瞳。カマソッソは数秒、ぐぬ……と唸った後、小さく、溜息を吐いた。
「……偶になら、良いだろう」
その言葉に、ミズノはほっと、安堵の溜息を吐く。何か地雷を踏んだと思ったが、違ったらしい。そして再び歌を紡ぐ彼女に、カマソッソは複雑な目線を向ける。だが存外、気持ち良さそうに歌う彼女を見て、まあ、こういうのも悪くないかと。そう思うカマソッソの顔はまるで慈愛に満ちたように穏やかだった。
23/04/21