蝙蝠の求愛行動

過去にしか咲かない花


――暇だ。

ミズノは神殿のバルコニーに設置された欄干に凭れながらぼんやりと空を見上げる。そのまま濃紺の夜空に爛々と輝く星を数えていれば、後ろから誰かが近付いてくるのが分かった。

「隣いいか?」

了承を聞く前から隣に立ったのは、ミズノの同僚の戦士仲間だった。彼は割と早い段階でミズノと言葉を交わしていた貴重な存在であり、よく話す人物の一人だ。男は懐をゴソゴソ漁り何かを取り出す。その何か、を視界に収めたミズノは少しだけ顔を顰めた。

「吸うならもう少し離れてくれませんか?」

「あれ、ミズノちゃん煙草嫌い?」

男の掌にあるのは、カーン王国では嗜好品として嗜まれている煙草。嫌いか?という問に、ミズノの脳裏には2人の人物が過ぎった。思い浮かんだのは髪を一括りにした青年と髭面の男性。

「嫌いというか……目に染みるからちょっと苦手なだけです」

遠い誰かに思いを馳せるような、どこか寂しそうなミズノの顔を暫し見つめた男は、ははーん。と急にしたり顔をする。

「なになに、もしかして昔の男の話?」

突拍子もないことを言った男に、ミズノはバッと音が出る勢いで振り向いた。

「はあ!?全ッ然、違いますけど!」

「冗談だって。そう目くじら立てないでよ」

勘違いも甚だしいと、目を吊り上げて怒りを露わにするミズノを宥めるように、男は飄々と謝罪の言葉を口にする。男の言葉を聞いたミズノは不意に、ピタリと動きを止めた。

――そう怒るな、冗談だ――

頭に浮かんだのは、研究施設の帰り道で言われた言葉と、その時のカマソッソの表情と、頭を撫でる手の重みと温もり。思い出した瞬間、じわじわと頬に熱が灯るのが分かった。
急に押し黙ったミズノ。男は普段の彼女とは違う様子に、目をぱちぱちと瞬く。

「ミズノちゃん、どうしたのよ。もしかして体調でも悪い?ここのところ働き過ぎなんじゃないの?」

「至って元気ですよ」

「でも実際、働き過ぎでしょ?戦士としての任務と研究所の仕事。流石に今日くらい嵌め外したって何も言われないと思うけど?」

男の言葉に促されるように、ミズノはバルコニーから街を一望する。時刻は夜中を示すというのに、まるで昼時のように街中は活気と熱狂で包まれていた。

実は今日より3日間、カーン王国では月に1度の祭りが開催されていた。最近、市街で見かけた煌びやかな装飾たちも、路地で見かけた踊り子たちも、全てはこの祭りの為の準備だったのだ。国のあちこちで民たちは祭りを謳歌するように酒を飲みながら踊り合い、笑いあっている。
そして、この祭りのメインともいえるのが舞だ。しかもただ踊るのではない。最も美しい舞を披露した踊り子たちはなんとこの国の王──カマソッソの前で踊りを披露し、夕餉にご相伴できるというイベント付きなのだ。そのため、神殿警備を任されているカーンの戦士たちは交代で王の部屋周辺と踊り子たちの控え室を警備することが決まっているらしい。
つい先日、晴れて神殿内の巡回も任されるようになったミズノは当然のように、この催しの警備にも当たっていた。
外からも中からも聞こえてくる、思わず身体が動くような愉快で楽しげな、聞いてるだけで気持ちが高ぶってくる音楽。だというのに、何故かミズノは冴えない顔をしている。
何か思い悩むような、場違いな表情を浮かべるミズノを見ていた男は何を思ったのか、急に同情するような目を向けた。

「まあ気持ちは分かるよ。こんな楽しいひと時に警備なんて外れクジも良いとこだよな」

うんうん、と頷く男はどうやら、ミズノが祭りに参加出来ないことを悔やんでいるのだと思ったらしい。悲しいほどの勘違いである。

「……もうそれでいいです」

訂正することさえ面倒だと思った彼女ははあ、と大きな溜息を吐いた。そして、ふと思いついたように、男に気になっていたことを聞いたのだ。

「そういえば、この祭りってどういう趣旨があるんですか?」

祭りの内容は辛うじて知っていたものの、何を目的にこの催しが開催されているのかをミズノは知らなかった。

「あー、そういや、ミズノちゃんは知らないんだっけ」

男は昔、小さい頃に教わったことを記憶の棚から引っ張り出すように、空に視線を投げる。

「なんでも、王国設立時から開催されてて、この国が今後も末永く発展するようにって思いが込められてるんだってさ」

男の説明に、初耳だと言わんばかりにミズノは感嘆の声をこぼす。てっきり彼女はダンスバトルだとか、ただ騒いでるだけだと思っていたようだが、実際は違うらしい。ちゃんと目的はあったのだ。

「まあ最近ではもう1つ意図があって――」

「おーい!ミズノちゃん!そろそろ交代だよ!」

男の言葉を遮るように、ミズノの交代時間を知らせる声が響く。彼女は直ぐに声が聞こえた方へと顔を向けた。

「はい!すぐ行きます!――すみません、折角説明して下さってたのに……、また別の機会でもいいですか?」

これからという所で来てしまった終わりの時間。申し訳なさそうに眉根を下げるミズノに男は手をヒラヒラと振る。

「まあ気にしないで。また会った時に教えてあげるよ」

「ありがとうございます」

律儀にお辞儀をし、持ち場へと駆け出すミズノを男は緩やかに見送る。そしてミズノと入れ替わるように来たのは先程、彼女に交代を知らせた男だった。その男が来ると、先程までミズノと話していた男は懐からマッチを取り出し、握りしめたままだった煙草に火を点ける。男の行動につられるように、後から来た男も煙草に火を点けた。

「わりーな、話途中だったか?」

「んー?まあちょうどミズノちゃんに祭りの説明してたとこ」

「そういや彼女、知らないんだっけ?」

「そそ。結局、国の発展祈願の方しか教えられなくてさ」

そうケラケラと笑う男に合わせるように、ゆらゆら立ち上る2つの紫煙。
闇夜に浮かぶ白い煙は、まるで踊っているかのようにその身をくねらせていた。


***



神殿内の警備に戻ったミズノはある場所へと向かっていた。彼女が歩くのは踊り子たちの控え室に繋がる廊下。彼女はこれから、踊り子たちの警備に行くところだった。配属された当初は迷路のように思えた内部も、今では主要通路だけは迷わず歩けるようになった。この角を曲がった先が、目的の部屋だったな、と記憶を思い出しながら足を進める。そして彼女は角を曲がろうとして、

――ドンッ!

体に走る軽い衝撃。視線を下に向ければ、ぶつかった衝撃で後ろに倒れる女性が見えた。反射的にその相手の腕を掴み、倒れぬように腰を支える。

「すみません、お怪我はありませんか?」

まるで映画のワンシーンに出そうな体勢。相手の顔を見れば、相手は現在警護に当たっている踊り子の1人だった。

「あ……ありがとう」

女性はまるで紳士のようなミズノに緊張しているのか、たどたどしくお礼を述べる。女性に怪我がないと分かり、安堵の表情を浮かべたミズノは女性の体勢を整え、ふわりと微笑んだ。

「もしよろしければ、目的地までご案内しましょうか?」

そう申し出るも、なぜか無言の女性。聞こえていなかったのだろうか?と首を傾げ、もう一度聞こうとすれば、ガシッッ!!と肩を力強く掴まれる。

「勿体ないわ!!」

唐突にそう叫んだ女性に、ミズノはビクリと肩を大きく跳ねさせた。そしておもむろにずいっと顔を近付けてくる女性に思わず仰け反る。

「ブレない重心にその所作。それに服の上からでも分かる均整の取れた体付き。しかも顔も悪くない……、いえ!磨けば変わる原石!あなた中々の逸材よ!」

半ば叫ぶように捲し立てる女性にミズノはたじろぐ。

「あ、あの――」

「あなた時間はある?あるわよね?」

一方的に捲し立てる女性は言い淀むミズノを無視して手を掴み、早足に歩き出す。どんどんと進む女性に、え、とか、あの、しか喋れないミズノ。
実は彼女は、強い押しに弱いのだ。
なされるがままに、女性に半ば引き摺られるようにして歩いていればミズノは本来の目的地――踊り子たちの控え室に着く。扉の近くに立っていた警護の戦士は、同僚を引き摺る踊り子と、踊り子に引き摺られているミズノを見て目を点にした。

「ちょっとこの子借りるわね!」

「……は?え、はい?」

あまりに急なことで思考が追いついていない戦士を他所に、一声かけたんだからいいだろうと言わんばかりに、戦士の返答を聞かずに女性はそのままミズノを引き連れて部屋に入った。
バタン、と無常に響く扉の音。ミズノは同僚に心の中でごめんと謝罪せずにはいられなかった。
急に入ってきたミズノに、部屋内は一気に静まり返る。あまりの沈黙の痛さに早く解放してくれとそう願わずにはいられなかった。そしてそのまま手を引かれるように1つの椅子の前にくれば、女性はミズノの肩を押し、無理やり座らせる。ポスン、と間抜けな音を立てる椅子。あ、いいクッションの椅子だな、と半ば現実逃避の様な考えが頭を過ぎった。
そろり、と視線を上げれば正面に立つのは先程、自分を連れてきた踊り子と、まるで自分を取り囲むようにして立つ他の踊り子たち。あまりの迫力に思わず言葉を失う。ミズノは美女が集まるとこんなに怖いのだと初めて知ったのだ。

「どうしたの、この子?」

「さっきそこで見かけてね、中々の逸材だから連れてきちゃった」

「あらまあ。それ、貴方の悪い癖よ」

「でも確かに顔は悪くないわね。ちょっと無愛想だけど」

「髪型もちょっと華やかさが足りないわねえ」

頭のてっぺんから足先に感じる視線。まるで値踏みするかのような視線と発言に、ぐさぐさと見えない棘が心に刺さった。例えお洒落に頓着していなくても、目の前で歯に衣着せぬ言葉を言われて多少傷つく精神ぐらい、ミズノも持ち合わせている。無愛想なことくらい百も承知だ、と内心拗ねていれば、正面に立つミズノをここに連れてきた元凶が真っ赤なルージュに彩られた唇を動かした。

「ねえねえ。貴方のお名前、なんて言うのかしら?」

「……ミズノです」

「まあ!不思議な響きね!」

鈴を転がすように声を弾ませ、嬉しそうに手を合わせた彼女の唇は緩やかに、綺麗なカーブを描いた。その仕草、声、表情は同性のミズノから見てもドキリとするもので。美しく品のある女性に、ミズノは思わず見惚れる。

「ねえ貴方、この3日間だけ私たちに付き合ってくれない?」

「付き合うって、何をですか?」

首を傾げてそう訊ねるミズノに、女性は「実はね…」とまるで1枚の絵画のように、顎に手を当て、悩ましげな表情を浮かべた。

「私たち、ここに連れてきて貰ったんだけど、王様ったらうんともすんとも言わないんだもの。いえね、褒めてはくれるんだけど、なんて言えばいいのかしら?」

「心が篭ってないのよねえ」

「そうそう!心ここに非ずー、みたいな」

「で、私たち、王様の度肝を抜かしたくてね」

まるでいたずらっ子のような笑みを浮かべる女性たちにミズノは呆気に取られる。そしてここ最近冴えている自分の勘が告げていた。これは面倒事に巻き込まれるぞ、と。

「最終日、明後日の夕餉の時に一緒に踊ってくれない?」

まさかのお誘いにミズノはギョッとした。

「私ど素人ですけど?!」

「大丈夫よー。そこは私たちが手取り足取り、教えてあげるわ」

パチンとお茶目にウインクをしてみせる女性に絶句した。同時に頭が痛くなった。流石にど素人の自分が混ざればバレるし、何よりそんな短期間で上達できるとも思っていない。そもそも、自分が他の踊り子たちのように煌びやかな衣装が似合う自信など到底なかったのだ。どうにか断れないだろうかと、混乱する頭を必死に回転させる。

「有難い申し出ですが、自分には仕事がありますので……」

「あら、知らないの?お祭り中はお仕事を控えるように言われてるのよ?まあ警護の仕事は別でしょうけど」

女性の言葉通り、ミズノを含めた研究員はこの3日間、研究施設への勤務を免除されていたのだ。必死に捻り出した苦し紛れの言い訳は通用せず、退路を塞がれたミズノは思わず頭を抱えたくなった。加えて、有無を言わせぬ女性たちの圧。その圧に押されるように、もう逃げられないな…、と悟った彼女は大きな溜息を吐く。

「分かりました…。その代わり、警備の時以外でお願いしますね」

「あら、真面目ちゃんねえ」

戯けるようにそういった女性は、口許を手で隠しクスクスと上品に笑う。その大人の色気に、ミズノは再び大きな溜息を吐くのであった。



***




そして始まった秘密の特訓。
勤務時間外に足繁く控え室に通うミズノは元々、戦闘や鍛錬で体を動かしているのもあり、女性の見立て通りスルスルと舞のノウハウを吸収していった。力強く、減り張りのある舞と、まるでスポンジの様に吸収していく様は見ていて気持ちが良いのか、気付けば殆どの踊り子たちが面白おかしく彼女を指導していた。ミズノ自身も、最初は面倒なことに巻き込まれたと思っていたものの、舞の持つ楽しさや曲に合わせて体を使う表現力やその魅力。それらに触れたからか、段々と笑顔が増えていった。そして、踊りを楽しむミズノにつられるように。気付けば踊り子たちも、彼女と一緒に踊り、一時を楽しんでいた。


そして祭りの最終日。その日は運良く警備の仕事が入っていなかったミズノは、約束した時間に控え室にいた。

「こっちの色はどうかしら?」

「うーん、あんまりギラギラしてるのは違うのよねえ」

着せ替え人形よろしく、変わる変わる衣装を着ては脱ぎ、また着ては脱いでいくミズノ。着慣れていない衣装を何回も身に纏うせいか、この時点で既にヘトヘトである。

「よし、これでいいんじゃないかしら!」

「そうそう。貴方の髪色、とっても綺麗なんだけど特徴的だし、直ぐにバレちゃうだろうからこれ被って頂戴ね」

渡されたのは黒い長髪のカツラ。それを不思議そうな目で見るも、ああ、変装か、と直ぐに合点がいった。

「貴方も、あの王様をあっと言わせたいでしょ?」

見ている者を魅了する様な、蠱惑的な笑みを浮かべて、女性はミズノにそう問いかける。聞かれた彼女の頭の中では、最近、自分の気持ちを振り回すカマソッソが思い浮かんだ。そして同時に出てきたのはいつもどこか硬い、近寄り難い表情をした彼。しかめっ面ではない彼の顔を見てみたいと、純粋に思ったのだ。何より、いつも自分ばかり振り回されているのも癪に触っていた。

「喋ったらバレちゃうし、なるべく喋らないようにしないとね」

そう注意する女性に、あることを思い出したミズノは、喉元を数回、ぐりぐりと弄る。

「あ、あー…。どうですか?これなら多分、バレないですよ」

「あら凄い!あなたそんな事も出来るのね!」

昔教わったやり方で声音を変えたミズノに、わあ!とはしゃぐ踊り子たち。この際、とことんやり切ってやる。まるで悪ガキよろしく、ミズノは開き直ることにしたのだ。

「じゃあ次はお化粧ね!」

そう言われれ、ドレッサーがある方へと背中を押されたミズノは、久しぶりに見る化粧品の数々に、懐かしいという感情が込み上がった。任務とは違い、自分を着飾る為に化粧をするのはいつぶりだろうか。しかし、記憶を遡ったところでそれがいつだったのか、直ぐには出てこなかった。

「ちょっとだけ、目瞑っててねえ」

その声と共に目を閉じれば、ひんやりと何か液体の様な物が頬に触れた。そして自分のではない手が触れる感触は新鮮で、マッサージの様だとすら感じた。頬、鼻、おでこ、瞼にと、顔全体に塗られていく感覚。化粧品独特の匂いが鼻を掠めば、その香りと共に薄らと記憶が蘇ってきた。

――ああ、そうだ…、確かあの時もこうやって、誰かにやってもらったんだっけ。

あの時は何で化粧をする流れになったのか。ミズノは遠い、遠い記憶の波を掻き分けるように遡る。あと少し、もう少しで思い出せそうだと思い…、

「はい!出来たわよ!」

その声と共に、記憶の波は霞のように霧散する。残念だと思う気持ちとは裏腹に、不思議と直ぐに意識は別の物へと移り変わっていた。
女性の声を聞き、ゆっくりと、瞼を持ち上げる。数回、瞬きを繰り返し目の前の鏡を見遣る。いつもより血色の良い肌に、キラキラと輝く華やかな瞼にぱっちりとした目元、そして、唇を縁取る鮮やかな紅。鏡に映る自分であって自分じゃない誰かに、思わず、ほうと溜息を吐いた。化粧でここまで変わるとは。その技術に惚れ惚れした。

「どう?」

「凄い腕前だなと…」

「あら!嬉しいこと言ってくれるじゃない!でも元が良いからっていうのは忘れないで頂戴」

パチンとウインクする女性に、思わずミズノが照れれば「そうだ」と軽く手を叩く女性。なんだ、まだ何かするのかと見ていれば、顔に薄い、ベールの様な物が付けられた。

「面布よ。髪と声だけじゃ流石にバレちゃうでしょうからね」

クスクスと楽しそうに笑う声に、改めて鏡を見る。確かに、これで直ぐにバレる不安はなさそうだと思ったが、1人だけ顔を隠していては変に目立ちそうだなとも思った。
まあ、なるようになるだろうと思い直し、ミズノは女性にお礼を伝える。そうすればタイミング良く鳴るノック。どうやらそろそろ、作戦を決行する時間のようだ。

「さあ皆!今日も思いっきり楽しみましょう!」

女性の声に合わせるように頷き合う踊り子たち。たまにはこういうのもいいかもしれない。そう思ってしまうほど、ミズノは十分、彼女たちに溶け込んでいた。



そして踊り子たちに紛れるようにしてついて行けば、案内されたのはカマソッソの部屋だった。どうやら客などを饗す談話室のような場所で、天井には淡く光を灯すランタンがいくつも吊り下がり、部屋を薄く、暖かく照らしていた。肘掛やラグなども置いてあり、女性たちの隙間から除き見れば、ちょうどクッションに凭れかかるようにカマソッソはそこにいた。部屋に着き、深々と頭を下げる周りに合わせてミズノも頭も下げる。

そして始まった宴。

カマソッソの横で給仕をする女性や琵琶のような楽器で曲を弾く女性、そしてその曲に合わせて踊る女性など。ミズノが抱いた第一印象は、キャバクラみたいだなあ、であった。周りに合わせるように給仕に混ざっていれば、パチリ。と面布越しに合うカマソッソとの視線。カマソッソは僅かに首を傾げた。

「ん?貴様、新顔だな」

意外にも踊り子たちの顔を覚えていたことに、ミズノは驚愕して僅かに肩を跳ねさせる。するとすかさず、いや、待っていましたと言わんばかりに、ミズノをこの夕餉に巻き込んだ女性は唇に乗せた笑みをそのままにして彼女を紹介した。

「はい。実は昨日まで病に伏せっていた家族を見ていまして。今日合流したんですの」

女性の言葉に合わせるように、ぺこりとお辞儀をすれば揺れ動く面布。ミズノが薄い面布越しから見れば、カマソッソは興味深そうな表情浮かべていた。

「そうか、家族の方はもういいのか?」

まさかそこを聞かれるとは思わず、「はい、お陰様で良くなりました」とミズノは声が震えないよう気をつけた。

「とはいえ、顔を隠すとは中々に面白い。貴様、1曲踊ってみよ」

まさかご指名が来るとは思わず、ドキリと心臓が跳ねる。助けを求めるように女性へと視線を移せば、まるでミズノを鼓舞するように、パチンと飛ぶウインク。なるほど、ここが正念場か。そう腹を括った彼女は、静かに深呼吸をする。

「承知致しました」

緩やかに、頭を下げた彼女はゆったりとした動作で、踊っている女性たちの前に立つ。

――ベベン。

楽器が音色を奏でる。
練習した通りに、心の赴くままに……。そう心の中で唱えて、曲に合わせて腕を上げる。ミズノが動き始めればそれに合わせるように後ろで踊り始める踊り子たち。力強く、しかし流れる水の様に、そしてどこか儚さも兼ね合せたようなミズノの動きに、カマソッソは手にしていたグラスを置いた。まるで見ている者を魅了する雰囲気に、何故だか目が離せない。近くで見てみたい。そう思わずにはいられなかった。

そして音が止む。曲が終わったため、ミズノはその場で深々とお辞儀をすれば、彼女の成長ぶりに感動してか、見ていた踊り子たちは拍手を送った。その中で、ただじっと、カマソッソはミズノを見つめる。

「面布の女よ、こちらに来い」

そしてカマソッソはミズノを近くに呼んだ。呼ばれるがままに、近くに座る。いつもと違うカマソッソの雰囲気に、一瞬だけミズノはドキリ、と鼓動を跳ねさせた。

「中々に見事な舞であった。褒美だ、お前も飲め」

その言葉と共にグラスが渡されれば、注がれるお酒。トクトクトクと、耳心地の良い音が耳に届く。

「身に余る光栄でございます」

そう謝辞を伝えてれば、カチャン。と、まるで乾杯するかのようにグラスとグラスを合わせた。くいっと飲み干せば、口内に広がる甘美な味わい。ミズノは思わず、お酒の美味しさに唸りそうになった。

「実にいい飲みっぷりだな」

目を細め、グイッとグラスを煽るカマソッソ。そして、カマソッソがお酒を飲めば再びゆったりと曲が流れる。再び、踊り子たちが舞を披露し始めれば、それに合わせるようにカマソッソが口を開いた。

「貴様のまるで風を彷彿とさせる舞、実に見事だった。ただ、素顔が見えぬのがこの上ないほどに惜しいことだ」

そう言葉をこぼし、指先で面布の端を弄る。まるでじゃれるような動きに、ミズノは背中がむず痒くなる感覚を覚えた。何より、先程から自分を見るカマソッソのどこか火照ったような目が、雰囲気が、いつもと違う声音が、そう感じる原因だった。もしかして酔っているのだろうか、と思わずにはいられなかった。だがこれはチャンスだとも思った。もう少しカマソッソの興味を引くために、敢えてミズノは自分から仕掛けることにした。

「私の顔が気になるのですか?」

「隠された物を暴きたくなるのが、男の性というものだ」

「後悔…、なさいませんか?」

「寧ろここで見なければ、オレは一生後悔するやもしれぬな」

緩りと細められる目。カマソッソの甘い声音に、ミズノはそろそろ頃合だなと思った。

「そこまで仰いますのなら……」

勿体ぶるように面布の紐に手をかけ、カツラを取る。
そして露になるのは、化粧をしたミズノの顔。薄い壁がなくなり、カマソッソを真正面から見れば、彼は手に持っていたグラスをカシャン。と落とした。

「――は……?ミズノ?」

久しぶりに呼ばれた名前が、ミズノの鼓膜を震わせる。それがなんだか無性に嬉しくて、思わず彼女は微笑んだ。

「それではカマソッソ様。今宵もご緩りとお楽しみ下さいませ」

ドッキリが成功したからか、名前を呼ばれたからか。嬉しさを全面に出すようにミズノは破顔する。そして彼女は今も尚、微動だにしないカマソッソが落としたグラスを机に置き、「それでは失礼致します」と流れるような所作で部屋を後にした。



あまりの嬉しさでミズノがスキップをしながら廊下を歩いている頃。
カマソッソは先程、自身の身に起きた出来事を必死に、脳内で整理していた。まるでミズノを彷彿とさせる踊り子につい釘付けになった。だから声をかけたのだか、それが実はミズノだった?いや、そもそも何故彼女があそこにいるのだ?
だが彼が混乱していたのはそれだけではない。思い出すのは普段と違い衣装から除く白い肌と、常時なら隠されているこちらを誘うかのような艶やかな腰。極めつけは、最後に見た彼女の微笑み。光に照らされているかのような、弾けたようなキラキラと眩しい笑みに、まるで地熱で炙られるかのように、胸の内がジリジリと焦げるようだった。
ミズノに気付かなかったことも、してやられたことも、今のカマソッソにはどうでも良くて。
内に灯った熱を抑えるように顔を隠すも、チラリと見えるその耳はその心情を表すように、真っ赤に染まっていたのだった。



控え室に寄ったミズノがいつもの服に着替えバルコニーで休憩していれば、以前ここで会った同僚が気さくに声をかけてきた。彼も彼で、日に日に顔に喜びが浮かび始めたミズノを不思議に思っていたようなのだ。

「よっ、ご機嫌だねえ。何かいい事でもあった?」

「ちょっといいものが見れたんですよ」

テンション高くニコニコと笑顔を浮かべるミズノを珍しいと同僚が思っていれば、「あ、そうだ」と彼女が何かを思い出す。

「この前の続きを教えてください。ほら、この祭りにある2つ目の趣旨」

「ああ、そういえば言ってたなあ。確か発展祈願は教えたんだっけ?」

「はい。それでもう1つってなんですか?」

「ああ、それはね、王様の夜伽の相手探しだよ」

「夜伽の…、相手?」

ミズノは男の言った言葉を繰り返し呟いた。夜伽、、夜伽とはあの夜伽か?と。

「そ。最近は踊り子の中で特に気にいった子を、後日自室に呼ぶって感じな訳よ」

「へえー」

平坦な声とは裏腹に、ミズノの内心は驚きの嵐だった。いや確かに、カマソッソもいい歳だからそういうのもあるだろう。しかし、まさかの夜伽……寝る相手を見繕う目的もあったとは。

――つまり、あの踊り子たちの中から誰か1人が、カマソッソと夜を共にするのだろうか。

そう考えれば、まるで針に刺されたかのように心がチクリと痛んだ。そこでミズノはふと、首を傾げる。チクリ?何故痛むのか。その訳が分からないミズノはとりあえず今日は祝杯でも上げるかと、自分の気持ちに知らないふりを決めるのだった。


23/04/15
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