短編


 01

「澤北が自殺したって噂だけど、あれ絶対自殺じゃねえよな。B組のやつら、クラスぐるみであいつのこと虐めてたし」
「じゃあそれ殺人じゃね? 澤北のやつ虐めてたのって確かあいつだろ? 確か――」

 そう言いかけて、俺の存在に気付いたようだ。
 名前も知らない他のクラスのやつらは俺の姿を見るなり、ばつが悪そうに口を閉じる。そしてそそくさと自分のクラスへと帰っていくのだ。
 どいつもこいつも好き勝手言いやがって腹が立った。その中でも一番腹が立ったのは澤北のやつだ。
 澤北は死んだ。それも最悪の死に方でだ。
 今でも思い出す、吉野から電話がかかってきたときのことを。『目の前で澤北が自殺した』そう、今にも泣きそうな声で、いやあれはもう泣いていただろう。そんな声で吉野は俺に泣きついてきたのだ。

 吉野が俺の前でそんな風に取り乱したのは初めてだった。丁度部屋で漫画読んで時間潰していた俺は部屋着に上着だけを羽織り、すぐさま真冬の街へと出た。そして澤北の部屋にすぐに駆け付けたのだ。
 澤北の部屋へと向かう途中、何故吉野が澤北の部屋にいるのか。何故二人きりなのか。そんな疑問ばかりが頭をぐるぐると回っていた。

[chapter:ラブイズオーバー!]
 澤北の自宅は、閑静な住宅街の古アパートの一画にあった。
 澤北の家に来たのは初めてだ。このとき、俺はあいつが実家を離れて一人暮らしをしていることを知った。
 吉野が言っていた部屋番号の扉の前までやってきた。インターホンも無ければオートロックもない、階段登ればすぐに入れるような扉だ。
 吉野を怯えさせてしまわないよう、俺は扉をノックする前に吉野に電話を掛けた。

「吉野、俺だよ。今部屋の前まできてるんだけど……」

 そう声をかければ、扉の向こうから小さな物音が聞こえた。鍵を開ける音だろうか。それからすぐに「入ってくれ」とか細い吉野の声が聞こえてきた。顔を見ずともその声から吉野が憔悴しきっていることがわかった。
 そして俺は促されるまま扉を開いた。
 扉を開いたすぐ、その玄関口に人が立ってた。
 ――吉野だ。
 俺は扉から玄関口へと入り、そして後ろ手に玄関の扉を閉める。そして内側から施錠した。

「吉野」

 俯いたまま押し黙る吉野、そんなあいつに恐る恐る声をかけたときだった。吉野は俺の身体に抱きついてきたのだ。

「っ、ぉ、音藤……俺……ど、どうしよう……」

 重なり合った上半身、吉野に押し付けられた胸からあいつの鼓動がどくんどくんと流れ込んでくる。
 恐怖と動転のあまり興奮しているのか、その心音の間隔は短い。腕の中、あいつの熱に息が止まりそうになった。背中へとしがみついてくる腕、腕の中で小刻みに震える身体。日頃教室で見せていたあの自信に満ち溢れ、笑っていた笑顔からは想像できないほどの怯えた表情。
 正直、俺は下半身に熱が溜まるのを堪えるのが精一杯だった。あの吉野が俺を頼ってくれたことだけでもこんなに嬉しいのに、吉野がこんな、俺だけにしか見せない顔で泣いている。
 にやけそうになる顔を必死に引き締め、俺は「落ち着け、吉野」とその肩にそっと手を置いた。掌の下でびくりと吉野の身体が震えた。

「取り敢えず……あいつはどこにいるんだ?」

 少なくとも吉野が直接手を下したわけではないのならば殺人にはならないはずだ。そっと身体を離した吉野は、小さくコクリと頷いて「こっちだ」と部屋の奥を刺した。
 ワンルームのこじんまりとした部屋の中、あいつの死体は転がっていた。敷かれた布団の上、あいつは首から血を流して倒れていたのだ。真っ白な敷布団や毛布、そして畳までその血は広がっている。その出血量と、生きている人間の肌の色をしていないことからあいつが死んでいることは一目瞭然だった。
 そんなことよりも、俺には引っかかることがあった。あいつは下着を一枚しか身に着けていなかった。近くには脱ぎ散らかされたままになっていた服もある。
 吉野は何も言わない。腹の中の違和感は次第に膨れ上がっていく。

 澤北は嫌われものだった。ずっと一人でぶつぶつ喋ってて気持ち悪いやつで、髪の手入れもわからず伸ばしっぱなしの汚らしいボサボサ頭や不健康そのものの細く伸びた長い手足が宇宙人のようだと笑っていた。
 何言っても、何喋ってもボソボソ言ってて腹立たせる。そんなクラスの全員から嫌われてるあいつだったが、中でも吉野はあいつをよく弄っては遊んでいた。いじったところで面白い反応するわけでもないので俺は吉野に話しかけられる度に何も言わない澤北がムカついてムカついて仕方なかったのを今でも覚えてる。
 吉野だってそうだ、こんなやつ触っても汚れるだけだ。もっと俺と遊んでくれ、もっと俺と話そう。こんなやつ放っておけ。そう思っていた矢先にこの事件が起きたのだ。


 布団の傍まで歩み寄る。換気すらされていない部屋の中は酷い匂いで充満していた。
 血、汗、そしてこの匂いは――。

「……お前がやったんじゃないよな、吉野」
「ち、違う……本当に……信じてくれ、音藤……ッ」
「ああ、信じる。信じるけど……」

 背後からぎゅっと抱きしめられる。手を取られ、指を絡められるのだ。視線を落とせば、「音藤」と吉野が俺を見上げていた。

「なんで、こいつ裸なんだ?」

 口にした瞬間、吉野の顔から血の気が引いていく。
 正直な話、俺は最初から吉野のことを疑うつもりはなかった。というよりも、吉野の言葉ならば受け入れるつもりだったのだ。
 だからただ一言、『知らない』とだけ言ってくれればそれだけでよかった。よかったのに、あいつの顔が青から赤く染まるのを見て全ての音が遠くなる。

「そ、れは……その……違う、こいつが勝手に脱いで、その」

 ぱっと俺から手を離した吉野は、一歩、また一歩と後退っていく。遠ざかる吉野。俺は布団の傍にあったゴミ箱をそのままひっくり返した。中に入っていたのは丸まったティッシュ、お菓子の袋、ティッシュ、ティッシュ――そして、底に沈んでいた精子入りのコンドームを拾い上げた瞬間、吉野に手を振り払われそうになる。
 それを避ければ、あいつはバランスを崩して畳の上に転がるのだ。抜けているところは変わらない。そういうところも可愛いと思っていた。
 けれど今は、それらの感情とは別の感情が自分の中に芽生えていることに気付いた。

「っ、ぉ、お前、なにして……」
「吉野、こいつんちに来てなにしてたんだ?」
「それは、だから……」

 口籠る吉野につい、舌打ちが漏れた。びくりと身体を震わせた吉野は「ごめん」と声を上げた。

「お……俺はただこいつに会いに来ただけだったんだ。……澤北が、来いって言うから」
「なんで行ったんだよ」
「……っ、……」
「吉野」
「……あいつからの命令には、逆らえなかったんだ」

 血の気が失せ、白くなった唇を震わせて吉野は口にした。
 あいつとの関係が逆転したのは数週間前からだという。あいつに後をつけられ、一人になったところを襲われたのだと吉野は口にした。
 俺が把握している限り、この数週間で吉野が怪我をしているところは見ていない。だからその襲われるという意味がどういう意味でなのか、考えずとも分かってしまった。

 それから澤北との関係が続いた。
 脅され続け、学校では何も言わない代わりに校外ではあいつの言いなりになっていたのだと吉野は声を震わせた。
 俺は、何も聞きたくなかった。吉野が俺に話しかけてる間も、裏ではあの気持ち悪い澤北に抱かれていたのだ。全身隈なくあいつの手垢を付けられ、女のように何度も犯され、そして俺たちに、俺には見せない顔をあいつにだけは見せていたのだ。そう思うと吐き気がした。怒りのあまりに指先が冷たくなっていく。

「お、音藤……っ」
「それで、嫌になってあいつを殺したのか?」
「ち、が……お、俺……ッ」
「違わないだろ。お前が殺したんだろ――吉野」  
「警察呼ぶわ」と上着からスマホを取り出した瞬間、吉野に抱きしめられる。本人はしがみついてきたつもりだったのだろうが、身体全てを使って体当たりするそれは抱擁と等しい。
 衣類越しにでも分かるほど吉野の体は震えていた。

「頼む、言わないでくれ……っ、お、俺……もう嫌だったんだ、こいつに好き勝手されるの……」

 抱き締めてくる手に、指に、力が籠もる。

「じゃあなんで俺呼んだんだよ」

 何も言わずに逃げだせばよかったのだ。それなのに、こいつはそうしなかった。

「ひ、一人じゃ……怖かったんだ、どうすればいいのか分かんなくて……テンパって……」

「だから、お前に一緒にいてほしかったんだ」そう、声を震わせる吉野に俺はその先考えることはできなかった。
 俺はくっついてくる吉野の身体を引き剥がした。瞬間、迷子の子供のような目でこちらを見上げる吉野の唇をそのまま塞ぐ。

「……っ、ん、ぅう……ッ!!」

 逃げようとするあいつの顎を捉え、唇を何度も重ねた。舌で薄い唇を開けば、吉野の目は丸く見開かれる。

「っ、ん、ぅ……ッ!」

 音を立て、何度も角度を変えて深く喉の奥まで舌を突っ込んで咥内中を掻き回せば、熱を含んだ粘膜からはあっという間に唾液が溢れ出すのだ。
 ぢゅぷ、と音を立てて唇を離せば、真っ青になった吉野がこちらを見上げていた。

「お、おとふじ……ッ?」
「お前さあ、普通に考えて馬鹿かよ。誰が殺人犯の言うこと聞くかっての。お前の手伝いなんてすりゃ共犯でこっちまで巻き込まれんの、お前が勝手に殺して俺呼んだせいで全部おしまいだよ」
「ぁ、ご、ごめん……お、俺……ッ」
「ごめんじゃねえだろ、馬鹿が。澤北のやつとヤリまくったせいで脳細胞死んでんのか?」
「っ、ひ、……ッ!」

 シャツの上から形が分かるほど腫れていた乳首を思いっきり抓れば、「ごめんなさい、ごめんなさい」と吉野が声を上げる。あまりにも声が煩いあまり、俺は咄嗟にその右頬を殴った。
 拳越し、骨同士がぶつかるような鈍い感触がするとともに吉野は大きく目を見開いた。怯えたような顔で、腫れた頬を押さえる。

「お、おとふじ……」
「ヤラせろよ、吉野」
「え……ぁ、……」
「警察に突き出されたくなかったら脱いでケツこっちに向けろ」

 その見開かれた目は、転がる死体と俺を交互に見る。

「それとも、俺もこいつみたいに殺すか? 殺したきゃ殺せよ」
「……ッ」
「今度こそお前は人殺しだ、もうお前のために罪を犯してまで助けてくれるやつなんていねえよ。性悪なお前のこと、うぜえって思ってるやつらばっかだしな」
「……ッ、ぁ、う、うぅ……」
「それが嫌なら、俺の言うこと聞けよ。――吉野」

 ぐるぐる、ぐるぐるとあいつの目が回る。
 ああ、本当に可愛い。可愛くて、同時に込み上げてくるのは怒りと憎しみだろう。吉野の身体を付き飛ばせば、あいつは簡単に畳の上に倒れ込んだ。脱力してるようだった。押し倒してもあいつはなにも抵抗せず、その代わりに、震える手で自分の下腹部に身に着けていたスラックスを脱ごうとするのだ。

「わ、わかった……わかったから、頼む、き、嫌いにならないでくれ……っ」

 もたもたと身に着けていた衣類を脱いでいく吉野に、俺は笑いが止まらなかった。
 本当にこいつは馬鹿だ。俺はお前に殺されても構わないと思ってる。それも死んだ澤北に嫉妬するくらいなのに、そんな俺がお前を見捨てるわけなんてないだろ。
 ――本当に馬鹿なやつだ。
 だからこそ憎かった。俺の気持ちをミリとも考えずに踏みにじっていくこいつが。

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