少年Aの過ちA
「待てよ、来斗ッ!おいっ!」
「……っ、はぁ、はぁ……ッ」
こういうとき、日頃の車通学が裏目に出てしまう。
体力が極端に落ちているのもあるが、この辺りについて俺は何も知らない。
車の中でぼんやりしてたらあっという間に目的地についていたのだ。知ってる場所といえば、辛うじてリツのアパートの場所くらいだろう。
こんなにも道が入り組んでいるのも知らなかったし、どこに逃げればリツを撒くことが出来るのか俺は知らない。
「……どこか、隠れないと……ッ」
足音が近付いてくる。息が苦しい。頭が痛い。足が震える。
リツのアパートに行くだけでも消耗していた俺は、既に自分の体力の限界が近付いているのはわかっていた。
『来斗ッ!どこにいるんだよ!出てこいッ!』
遠くから聞こえてくるリツの怒鳴り声。
先程よりも理性を無くしたその声に、耳を塞ぎたくなる。
とにかく、ここを離れないと。大好きなリツから逃げなければならないこの状況自体苦痛だったが、平静ではないリツとまともにやり合う勇気もなかった。
寂れた路地裏。俺は適当な廃ビルへ入った。
「……クソ……ッ!なんでこんなことに……ッ」
自分のせいだとは分かっていても、自問せずにはいられなかった。
「……どうしたら良いんだよ……っ、わかんねえよ……」
思っていた以上に、自分がなにも出来ない人間だということを知った。
ダメなんだ、コウメイがいないと。あいつらがいないと。俺はなにも出来ないんだ。
その事実を突き付けられ、酷く、胸が苦しくなった。
「……う、うぅ……」
泣いた所でどうにもならない。わかってはいたけど、どうしようもなく怖くて、不安で。
目から溢れる涙は拭っても拭っても留まることを知らず、次々と流れる涙に嗚咽が込み上げてきた。
そのときだった。廃ビルの入り口で、陰が動くのを見た。
咄嗟に身構えたとき、すぐそばで砂利を踏む音が聞こえてくる。
そして、
「……来斗?」
「ッ!」
名前を呼ばれる。薄暗い暗闇の中、目を拵えればそこには見慣れた背格好の青年が立っていて。
「……ぁ……」
コウメイだ。コウメイが、いる。
俺に気付いたコウメイは、慌ててこちらへと駆け寄ってきた。
「おい、どうした!来斗!」
俺が泣いていることに気付いたのか、見たことのないくらい取り乱したコウメイにこちらまで驚いて。
これは、夢なのだろうか。俺の願望が遂に幻覚症状までも引き起こしたのだろうか。
信じられず、ぼんやり目の前のコウメイを眺めていると「しっかりしろ」と肩を掴まれ、数回揺すられる。
両肩を掴むその大きな手の感触は確かに現実のもので。
「こう、めい……?……どうして……」
「お前が行く場所なんてリツのところしか考えられなかったからな。……そうしたら、様子が可笑しいあいつがお前を探し回っていたからこの付近にいると思ったんだ」
「コウメイ……ッ」
感極まって抱き着こうとした俺だったが、先程、喧嘩別れしていたことを思い出す。
目の前のコウメイが本物だと気付いてしまえば、今度は居た堪れなさが込み上げてきて。その反面、こうして探してまで追い掛けてきてくれたコウメイが嬉しくて堪らない。そんな自分に、また嫌悪する。
「来斗……」
「……俺、ダメだ……どうしたらいいのかわからないよ……ッ」
「リツのことも、コウメイのことも好きなのに、どうして、こんなに上手く行かないんだよ……」思い通りにならないというのが歯痒くて、苦しくて、辛くて。
ただ、三人で昔みたいに仲良くしたいだけなのに。昔みたいに一緒にいるには、俺の想いは強すぎて。
肺から空気を押し出すように本心を吐露したとき、コウメイに抱き締められた。
「コウメイ……っ?」
「大丈夫だ、……お前には俺がついている」
強い力。リツとは違う力強さを感じさせる腕は、ぎこちない動きで俺の背中を擦った。
不器用な手。それでいて、無骨な優しさを感じさせるその手つきに、乱れていた鼓動が落ち着き始める。
「だから、教えてくれ。……リツと何があったんだ」
俺は、リツをコウメイと間違えたことを伝えた。それがリツを怒らせてしまったのだろう、と。
静かに聞いていたコウメイは険しい表情のまま唸る。
「……なるほどな」
そして、そのまま踵を返し、歩き出すコウメイ。どこへ行くつもりなのだろうか。
「コウメイ?」とその背中に呼び掛ければ、コウメイは目だけこちらに向けた。
そして、
「あいつを大人しくさせてくる」
「ダメだ、行くなッ」
咄嗟に、コウメイを引き留めていた。その腕を掴み、慌てて止めればコウメイは俺の頭を撫で返す。
「そうしなければ……お前は落ち着かないんだろう」
「ダメなんだ、ほんと、今のあいつは危ないから……ッ」
「何言ってるんだ。危ないって言ったって、あのリツだぞ。殺人鬼でもない」
なぜ俺がこんなに取り乱しているのか理解しているのかしていないのか、そう微かに笑うコウメイに血の気が引いていく。
違う。あいつは人殺しだ。俺がそうさせた。俺が命令する度に、あいつは何度も何度も何度も何度も何度も俺の指定した人間を始末してきた。人を殺すことに躊躇いなんてないんだ。俺も、あいつも。
「コウメイッ」
なんとしてでも、行かせたくなかった。なんとなくわかっていた。リツは俺を殺す気なのだろうと。
そんなリツの前にコウメイが出ていったときのことを考えれば気が気ではなくて。
必死にその腕にしがみつき、全体重を掛けてコウメイを引き止めようと試みた時だ。
伸びてきた手に顎を掴まれ、上を向かされた。そして、
「ん……っ」
唇同士が触れる。柔らかいその感触に、すぐ目の前にあるコウメイの整った顔に、頭が真っ白になった。
コウメイの唇はすぐに離れる。
「……コウメイ……?」
「……やっと泣き止んだな」
「え、ぁ……」
瞬間、自分が何をされたのか理解し、全血液が顔面に向かって集中するのがわかった。
体が熱くなって、そんな場合ではないのに、馬鹿みたいにコウメイで頭がいっぱいになって。
「コウメ……」
「何やってんだ、てめぇ……」
「っ!!」
廃ビルの入り口付近。コンクリートの破片を踏む音がし、咄嗟に振り返ればそこにはもう一つの陰が佇んでいて。
「り、リツ……」
そこにいた年上の幼馴染の姿に、今度こそ頭が真っ白になった。
「俺の来斗に勝手に触るんじゃねえ!」
リツの全身から滲み出るどす黒いものが殺気だとわかった。どうしてここが、と思うよりも先に、見兼ねたコウメイが俺の前に立つ。
「何を喚いているんだ。見苦しいぞ、リツ。……来斗が怖がってるだろ」
「……来斗……お前、なんでそいつとキスしてんだよ……俺としかしないって言ったよな……嘘付いたのか?隠れてそいつともキスしてたのかよ!なあ!」
コウメイの言葉に聞く耳すら持っていないリツは苛ついたように自分の髪を掻き毟る。
ただでさえ静かな空間にリツの低い声が響き、反響した。
歩み寄ってくるリツ。慌ててコウメイの腕を引っ張りリツから距離を取るが、それがリツの逆鱗に触れたようだ。目付きが変わる。さっきまでの優しい目をしたリツはどこにもいない。
「っ、リツ、やめろ、謝るから、謝るから落ち着いてくれ……ッ」
「ふざけんなよ、クソビッチがッ!俺のこと騙してたんだろうがッ!」
「……ッ!」
「リツ、いい加減にしろ!」
向けられた悪意に、足が竦んだとき。リツの胸倉を掴んだコウメイは声を荒らげた。
その大きな声に、リツの罵声はピタリと止んだ。
そして、
「……コウメイ」
細められた目が、コウメイに向けられた。
力が抜けたように勢いを無くしたリツは小さく唇を動かし、幼馴染の名前を呟く。
「来斗のことを本気で好きなら、こいつを泣かせるような真似をするな」
「……」
萎んだように大人しくなるリツに、ようやく落ち着きを取り戻してくれた。そう、安堵したときだった。
「リツ……」
コウメイに凭れ掛かるように、リツが動いた瞬間だった。コウメイの体が、小さく動いた。
そして、ガクリとコウメイの膝から力が抜け落ちた。
「お前邪魔なんだよ、死ね」
リツの右手。どこからか差し込む人工的な灯りに照らされ鋭く光るそれが濡れた刃物だと理解した瞬間、全身から血の気が引いた。
「……ッ、あ……?」
「コウメイ……?」
コウメイの腹部に赤黒いシミが広がる。それを隠すように腹部を抑えたコウメイ。
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
そのせいか、青褪めるコウメイを見下ろしたリツの手に握り締められそれが振り降ろされるのに、反応が遅れてしまう。
「前から思ってたんだけどさ……来斗来斗来斗来斗来斗来斗来斗来斗来斗馴れ馴れしいんだよなぁ……来斗はお前のもんじゃねえんだよ、死ねッ!」
一回、二回、三回、四回。何度も何度もコウメイの背中に尖った刃物をのめり込ませるリツに、赤く染まるコウメイの服に、頭が、思考が、静止する。
怖いとかそんな感情を理解する暇なんてなくて、ただリツを止めようとコウメイへ駆け寄ろうとした。
「ッ来るな……ッ」
「ッ!」
辛うじて、まだ、喋られるようだった。喉の奥から絞り出すようなその声はなんとか言葉として認識できるもので。
「早く、どこかへ……ッ!」
今にも消え入りそうなコウメイの声は、項に突き付けられた一本の刃によって完全に途切れた。
言葉の代わりに、ごぽりと大量の血が口から溢れた。目を見開いたコウメイは、リツに蹴られ地面へと完全に崩れ落ちる。
「うるせえ喋んなさっさと死ねよ!死ね!来斗を見んじゃねえ!死ねっつってんだろ!」
馬乗りになり、コウメイの体からナイフを引き抜いたリツは何度もそれを振り下ろす。
動かなくなったコウメイの体に、何度も。飛び散る赤。辺りに広がる生臭い血の匂い。コウメイの体が見るも無残に切り刻まれるのを、俺は見ることしか出来なかった。
「ぁ……あぁ……っ」
「死ね、お前うぜーんだよ、さっさと死ね!つーか殺す!ぶっ殺す!ぶっ殺してやるよ、お前のこと……!自分が馬鹿にしてたやつに殺されるってどんな気分?なあっ!馬鹿な俺に教えてくれよ、秀才君っ!」
「嘘だ……コウメイ……嘘だ……ッ」
頭で理解したくなかった。それでも、こんなに刺されてコウメイが生きているはずがない。
それを理解した瞬間、頭の中がどこかが切れる。ぷつりと、音を立て。
「おい、なんか言えよ……って、死んでんじゃねえか!馬鹿だろ?!ハハッ!アハハハハハッ!」
真っ赤なナイフを握り締め、同様コウメイの。返り血で真っ赤に汚れたリツは笑う。
大声で、心の底から愉しそうに。しかし、それも束の間のことで。
「あっさり死んでんじゃねーよ、つまんねえだろ」
コウメイだったものを掴んだリツは表情を消し、それを投げる。俺に向かって。
「うわぁああッ!」
まだ仄かに温かいそれが体に触れ、気が付いたとき俺はそれを投げ捨てるようにその場から逃げていた。
どしゃりと音を立て落ちる肉塊。その周囲に赤黒いシミが広がり始める。
必死になって手に触れた血を拭おうとコンクリートに汚れを擦り付ければ、リツは朗らかに笑う。
「……あーあ、ダメじゃん……ちゃんと受け止めてあげないと……コウメイが痛がってるよ?……ふふ、可哀想、コウメイ」
「お、お前、こんなことして……」
「…………こんなこと?何言ってんの?いつもしてることじゃん」
コウメイが動かなくなったことで落ち着きを取り戻したのか、いつも通りに柔らかく微笑むリツ。
その言葉に、ドキリと心臓が弾んだ。
顔を強ばらせる俺に、リツは気付いたのだろう。申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ああ……そうか、来斗は見たの初めてだよね。ビックリしちゃった……?ああ、初めてならもっと楽しませるべきだったよね……ごめんね、僕、気が回らなくて……コウメイと違って馬鹿でグズだからさ……ふふ、ごめんね、来斗、泣かないで……」
「ん、ぅう……ッ」
伸びてきた手に体を抱き締められる。背中に回された優しい手はいつもと変わらなくて、だからこそ、恐ろしかった。
目の前の男はリツではない。リツではないと思いたいのに、リツと同じ顔してリツのように優しく接してくる。
頭がおかしくなりそうだった。いや、もうとっくの昔に俺はおかしくなっているのかもしれない。
「は、なせッ」
「嫌だ。離さない」
「ッ、や」
「離さないよ、来斗。やっと邪魔者がいなくなったんだ。離すわけないよね、普通」
時間の感覚すらわからなくなっていて、ただ、辺りの血の匂いが濃厚になっていく。
静まり返ったそこには外部からの音も聞こえないせいか、本当にこの世界には俺とリツしかいないような、そんな錯覚を覚えた。
一層のこと、これが夢だったらどれくらいよかったのだろうか。
目の前に転がったそれがコウメイだとまだ信じられなくて、信じたくなくて。
「やだ、コウメイ……コウメイ……ッ助けて……ッ」
夢なら、いつものようにコウメイが起こしに来てくれるはずだ。
「仕方ないやつだな」と言って、仏頂面を少しだけ緩めて笑うあいつが。だけど、目は覚めない。
それどころか俺を抱き締めてくるリツの手に、力が加わった。
「どうして……どうしてあいつなんだよ……」
また、あの低い声。顔を顰めたリツは俺から手を離し、そして、コウメイに突き刺さったままになっていたナイフの柄を掴んだ。
「ッ、あ」
「あいつばっかり、いつも、いつも!いつもいつもいつも!死んでもお前かよ、ふざけんな!」
文字通りの滅多刺し。もはや原型を留めていないコウメイに、尚も狂ったように刃物を突き立てるリツの背中にしがみついた。
「ッやめろ、やめてくれ!それ以上、コウメイを……」
「うるさいッ!!」
そのときだ。振り返り様ら引き抜かれた刃物が俺の顔の横を走った。
滑るように頬を掠った刃物。拍子に数本の髪が切れる。それと同時に、感じたことのないようなぴりっとした痛みが頬に走った。
そして、
「っ……え?」
たらりとなにかで濡れる頬に恐る恐る指を伸ばした俺は、目を見開いた。
指には、ぬるりとした赤い液体。それが自分の血だと理解した瞬間、全身を駆け巡る血液が一気に熱くなる。
「ぁ、え、……なに……血……?」
目を動かせばリツが手にしたナイフに、蒼白の自分の顔が反射する。
あれが自分の皮膚を裂いたのだと理解した瞬間、得体の知れない恐怖がぶわりと込み上げてくる。
小さい頃から、怪我らしい怪我をしたことがなかった。いつでも周りの大人たちが、コウメイが、守ってくれたから。
人から刃物向けられるなんて、以ての外で。
「っ、うそ、え、なん……え……ッ?」
拭っても拭ってもどくどくと止めどなく溢れる血に、このまま血が止まらなかったらもしかして自分はこのまま干乾びて死んでしまうのではないだろうか。そんな不安感に、四肢から力が抜け落ちる。
自分がこのまま死ぬと思った途端、必死に理性を保っていたなにかが切れるのがわかった。じわり、と下腹部から熱が溢れた。
「……来斗……?」
「やだ……いやだ……お父さん、お母さんッ!誰か……ッやだ、痛い、痛いよ……ッ!」
濡れる下腹部。座り込んだそこに、小さな水溜まりが出来た。尿意を堪える気力すら、残っていなかった。
それを恥ずかしがる余裕すらも。
「……ハッ」
嗚咽を漏らす俺に、リツが鼻を鳴らす。表情には、楽しそうな笑顔。
「ハハハハハ……ッ!どうしたの?来斗、お洩らししちゃったの?あはっ、可愛いねえ来斗!そのくらいでお洩らししちゃうんなら刺したらウンチぶち撒けちゃったりしてねえ!ハハハッ!」
「あ……うぅ……ッ」
「来斗、高校生にもなってお洩らしなんて……ダメじゃないの、僕だって小学生までだったのに丁塚家一族の三男坊であろう方が……クク……ッ」
込み上がってくる笑いを堪えるリツは目に涙すら浮かべていた。顔が熱くなる。
それでも、腰が抜けてしまった今どうすることも出来なくて。
動けずにいる俺に、上機嫌のリツは「そうだ」と手を叩く。
「ねえ来斗……せっかくだし今日は保体の勉強をしようか。……テーマは……そうだね、『人間の臓器』とか?これなら僕の脳味噌でもなんとか教えてあげられるよ」
血走った目には正気の欠片も見当たらない。言うやいなや躊躇いもなくコウメイの腹部を裂くリツ。
肉を磨り潰すような嫌な音に、匂いに、咄嗟に水溜まりの上を後退りする俺だけど、勿論こんなへっぴり腰では逃げられるはずがなくて。
瞬間、大きく開いたそこに手を突っ込んだリツはどす黒い返り血を浴びながら、その中に詰まったものを引き摺り出した。
ずるりと、なにかを掴んだリツの手が引き抜かれる。ところどころピンクの部分が覗いたそれは長く、教科書でも見たことがある形をしていた。本来ならば実物を一生見ないで済むだろうと思っていた俺にとってそれの衝撃は言葉にすることもできないくらいで、しかも、コウメイの。そう考えたら、吐き気が込み上げてくる。
「っぅ、ぷ……ッ」
「まだ暖かいよ、来斗、触ってみなよ……ほら、来斗が大好きなコウメイだよ」
「来るな、来るなよぉ……ッ」
「……?どうして嫌がるの?コウメイのこと嫌いになっちゃった?それとも……僕が汚いから?」
もう、涙も出てこない。本気で不思議そうに首を傾げるリツの目に、陰が差す。
そして、少しだけ悲しそうに目を細めた。
「でも僕は今まで来斗のために好きでも嫌いでもない女のきったねえ臓器掻き回して引きずり出して切り刻んだりしてきたんだよ。だからきっと、来斗もすぐに慣れるから」
「ッやめろ、やめろってばぁあっ!!」
気が付いたら、体が動いていた。
床の上、放置されたままになってるどろどろに汚れたナイフを掴んだ俺は、咄嗟に目の前のリツに突き刺した。
「……ッふ」
ナイフを受け止めたリツは笑う。肺の奥から、絞り出したような笑いだった。
瞬間、腹部に浅く刺さったナイフは俺の手から滑り落ち、そのままコンクリートの上に転がった。
「ふふ……っくくくく、ははははははっ!」
「ぁ、……あぁ……っ」
返り血で真っ赤に染まったシャツでは、リツの血がどれかはわからない。
それでも、リツが全く痛がっていないところを見ると、失敗だということはすぐにわかった。
「……僕さ、痛いのも怖いのも全部なにも感じなくなっちゃったんだ」
「……」
「でも大丈夫だよ、来斗」
転がったナイフを拾い上げたリツは、柔らかく微笑んだ。
血走った目で、俺を見下ろす。
「……来斗の気持ちはちゃんと伝わったから」
その冷めた目を最後に、俺の意識は、ぷつりと音を立てて途切れる。
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「ねえ、鮫島君と丁塚君、最近来ないよね」
「そういや私聞いちゃったんだけど、連絡すらないっぽいよ。捜索願出さしたのに見つからないって先生言ってた」
「やだ……それってB組の子たちと一緒じゃん……」
「丁塚君たちが家出って、丁塚君ちが本気出したらすぐ見つかりそうなもんなのにね」
「もしかしたらもう死んでたりして……」
「やだ、ちょっとやめてよ!まじ洒落になんねーから!」
はしゃぐ女子高生たちとすれ違う。
確かあの制服は来斗のところだっけ?あの制服、来斗が着ても似合いそうだなぁ。来斗は何着ても似合うから当たり前だけど。今度一着持って帰ろうか。
なんて考えながら、アパートへの帰路を進んでいく。
「〜♪〜♪」
来斗と一緒に暮らすようになってから、あのクソみたいにボロいアパートに帰るのが楽しくて堪らない。
来斗が僕の帰りを待っているんだと思えば、足取りも自然と浮き立ったものになってしまう。
ああ、ようやく見えてきた。
扉に鍵を差し込み、開く。靴を脱いで部屋の電気をつけ、「ただいま、来斗」と扉を開けば、
「おかえり、リツ」
来斗が出迎えてくれた。
「ねえ、待ってたよね……?ごめんね、今すぐ用意するから。今日はね、なんと!来斗の大好物、ハンバーグです!本当はカレー作りたかったんだけどね、丁度ミンチが残ってるから……へへ、僕もちょっとは主夫らしくなってきたでしょ?待っててね、来斗、すぐに用意するから」
冷蔵庫からタッパーを取り出した僕は、予め用意していそれを手に微笑んだ。
「美味しく作ってあげる」
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