短編


 少年Aの過ち@

「おはよう、丁塚君、鮫島君」
「はよ」
「……」

 たまに不思議になる。コウメイは決して愛想はよくないのにどうしてこうも女子にモテるのか。
 長い間一緒にいる俺からしてみたらコウメイのよさは充分にわかってるのだけれど、他のやつらは学校の中での無表情のコウメイしか見てない。
 なのに、なぜだろう。コウメイを遠巻きに眺めてはきゃあきゃあとはしゃぐ女子たちを一瞥し、俺達は教室へ向かう。
 まるで腫れ物に触れるかのように道を開けてくるやつもいれば、必死に笑顔作って挨拶してくるやつもいる。
 そんな連中に適当に愛想振りまきながら教室へ入ろうとした時、ふと、廊下の隅で固まって話していた女子グループが視界に入った。正確には、その会話だが。

「そういや、今度はB組の子が家出だって」
「え?誰?」
「ほら、委員長!あんなに真面目そうだったのに……」
「家出ってまじ?」
「もしかして事件に巻き込まれたとかそういう系なんじゃないの?じゃないと、ここまで続くなんて有り得ないっしょ」
「怖ー」

「……」

 どうでもいい人間が一人居なくなっただけでもやはり広まってしまうようだ。
 まあ、所詮は噂だ。痕跡も証拠も存在も消してしまえば、すぐに風化してしまう。
 それでもやはり、少しペース配分を考える必要があるかもしれない。
 一人考えながら、俺は教室へ入った。

 携帯にリツから着信がきていたことに気付いた俺は授業が終わり、すぐにリツに電話をした。
 数秒もしない内にリツは電話に出る。

『来斗、終わったよ』
「おう、ご苦労様」
『あぁ……やっぱりいいなぁ、来斗のご苦労様。すごい癒される……ね、もう一回言って?』
「なんだよそれ……ご苦労様」
『ら、来斗……ッ!』

 受話器の向こうから鼻息荒いリツの声が聞こえる。
 なにかジッパーを下ろすような音が聞こえたのだけれど、敢えて俺は聞かなかったことにした。

『……ふぅー……、あ、あのさ、よかったら今日、ご飯食べに行かない?』

 なにをして一息ついているのか気になったが、触らぬが仏というやつだ。
 食事、食事かー。どうせ、コウメイも今日委員会あるしな……いいかな、食事くらい。思いながら、ふと見た窓の外。
 丁度向かい側にある校舎の人影が動き、何気なくそちらへ目を向けた俺はそのまま凍り付いた。

「……え?」

 そこには、コウメイがいた。そして、その向かい側には派手な女子生徒が、一人。
 確かあそこは科学室の倉庫ではなかっただろうか。

『あ、別にご飯じゃなくてもいいけどさ、ちょっと会いたいなー……なんて……』

 勿論、声までは聞こえなかったが女子生徒はなにやらコウメイに迫っているようで。
 やめろ、コウメイに触るな。そう、窓に手をついたとき。

「あ……」

 コウメイの手が女子生徒の後頭部をわし掴んだ。
 次の瞬間、コウメイの顔と女子生徒の顔が重なった。

「……ッ!!」

 思わず、手にしていた携帯端末を握り締めていた。それを叩き付けそうになったが、端末から聞こえてきたリツの声になんとか破壊衝動は留まった。
 だけど。

『もしもし?来斗?……もしもし?』
「っ……わりい、なんでもない、つか、ちょっと今あれだから切るな」
『えっ?来斗?らい……』

 とてもじゃないが、リツと呑気にお話出来そうにはない。
 一方的に通話を切った俺は、そのまま携帯端末を壁に向かって投げ付けた。
 衝撃に強く出来たそれはただ跳ね返って落ちるだけで。足元に転がる端末。ただ虚しさばかりが胸の中を侵食していって。

「……ッなんで、嫌がらねえんだよ」

 無人の通路に響く声。窓の外を振り返る勇気は、なかった。
 コウメイがキスした。知らない女子と。俺だってしたことないのに。コウメイの唇をどこの骨かもわからないような女が触れたと思うだけで、マグマのように腹の奥底から嫌悪感がこみ上げてくる。
 相手の顔、ちゃんと見とけばよかった。じゃないと、リツに頼めない。
 ……始末できない。

 ◆ ◆ ◆

「来斗、おかえり。……遅かったな」

 家に帰ると、既に着替えていたコウメイが出迎えてくれた。
 あれ、委員会で遅くなるんじゃなかったのか。
 思いながらも、コウメイから視線を逸らした俺は「ああ」とだけ呟き、そのままコウメイの前から立ち去ろうとした。だけど、

「……?おい、どうした?」
「どうしたって……なにが?」
「目が赤い。……腫れてる」

 心配そうな色を滲ませ、こちらを覗き込んでくるコウメイ。
 優しく目元を撫でられた瞬間、休み時間、窓の外で見たキスシーンを思い出し、顔が熱くなった。

「……ッ」
「来斗?」

 瞬間、今まで堪えていたものが一気に溢れ出す。
 ぼろぼろと流れる涙。いきなり泣き出す俺に、今度こそコウメイは狼狽える。
 この手であの女に触れ、この唇であの女にキスをした。
 そう思えば思うほど、何事もなかったかのように接してくるコウメイの全てが信じられなくて……ショックで。

「お、おい……どうした……?」
「き、キス……今日、学校で……」
「は?」
「ッ、なんで、キスしたんだよ!あんな女と!」

 一度決壊したダムは、ちょっとやそっとのことじゃ塞き止めることは出来なくて。溢れ出したおどろおどろしい嫌な感情はあっという間に全身に流れる。
 声を上げる俺に、コウメイは驚いたように目を丸くした。

「来斗……お前、見てたのか……?」
「見られたら困るのかよ、俺に……っ」
「……」
「なんか言えよッ!コウメイ!」

 胸倉を掴み、声を張り上げる。
 自分がこんな声を出せるのかと思うくらい、声を張り上げる俺にコウメイは僅かに顔を歪めた。

「……お前だって……ッ」

 それも一瞬。胸倉を掴む俺の手を引き剥がしたコウメイは、いつもと変わらない、無表情に戻っていた。

「……別に深い意味はない。キスしろとしつこかったからしただけだ」

 乱れた首元を直し、コウメイは続けた。
 吐出されたその言葉に、頭をぶん殴られたようなショックを受ける。

「意味は……ない……?」

 俺がこんなにも、こんなにもコウメイのことばかり考えてコウメイの貞操を守るために、良からぬ虫がつかないように必死になって考えているのに。
 全て、コウメイとってはどうでもいいことだと言うのか。
 話すのも告白されるのもキスするのも付きまとわれるのも噂されるのもコウメイにとっては意味がなく、そんなどうでもいいことで俺は馬鹿みたいにムキになって嫉妬して腸煮え繰り返していたというのか。
 突き放すようなその言葉に、足元からガラガラと崩れ落ちていく。
 自分自身を全否定されたような、そんな感覚だった。いや、実際に全否定されたのだ。そう理解した瞬間、いても立ってもいられなくなって。

「……ッ」
「っ、おい……っ?!」

 気が付いたら、走り出していた。
 自分が一人で舞い上がるような惨めで恥ずかしくて愚かで馬鹿な生き物に見えて、言われたような気がして、コウメイの前に立っていることが恥ずかしくて恥ずかしくて舌を噛み切って死にたくなるほど居た堪れなくて。

「来斗!」

 背後から聞こえてくるコウメイの呼ぶ声を必死に振り払い、俺はひたすら走る。
 夜の街。時折縺れながらも足はしっかりと目的地の方へとしっかり向いていた。


 都内、某所。
 人通りの多い場所から少し外れた寂れた住宅街に、リツの部屋はあった。
 築ウン十年の煤汚れたアパート。初めて来たときは自分の家と比べてその狭さに驚いたのも酷く昔のことのように思える。
 リツの部屋の扉の前。インターホンを押せば、暫くして扉が開いた。

「リツ……」
「来斗?どうし……って、えっ?」

 驚いたような顔。無理もない。涙も拭わずに飛び出してやってきた俺の顔は大層酷いことになってるはずだ。
 狼狽えていたリツだったが、すぐに表情を引き締めた。

「……どうしたの?」

 表情を険しくするリツは宥めるように俺の前髪に触れた。
 ガラス細工にでも触れるかのようなその優しい手つきに、また、乾いた涙腺に涙が滲みそうになり、それを飲み込んだ。
 そのまま、俺はリツを押すようにして玄関へと入り込む。そして、リツの腕を掴んだ。

「……なあ、ヤろうぜ」
「え?」
「お前の好きな体位でいいから、めちゃくちゃにしてくれよ……なぁ……っ」

 誰かに、受け入れてもらいたかった。
 自分は間違えていないのだと、抱きしめてもらいたかった。そうでもしなければ、きっと、俺は。

「……来斗君……?」

 驚いて真っ赤になるリツ。だけど、リツは俺から逃げようとしなかった。
 そうだ。いつだって、リツは俺を受け入れてくれた。
「来斗は正しい」そう言って俺を支えてくれていた。
 今はただリツの優しさに甘えたかった。俺を受け入れてくれるなら、誰でもよかった。

「っリツ……っ、んん」

 震える唇を押し付け、ぶつかるようなキスをした。自分から舌を出し、強請るようにその首に腕を回せばリツの鼓動が流れ込んでくる。

「……ッ、ふ、ぅ」

 舌を絡め、応えてくれるリツがただ嬉しくて。暖かくて。愛しくて。
 嫌なことを忘れたいがため、一心不乱に俺はリツにしがみついた。

「本当に……いいの?」
「良いっていってんだろ……そんなに嫌なのかよ」
「いや、全然大歓迎だよ!……だけど、ほら、来斗、泣いてるじゃん……」

 やっぱり、リツは優しい。
 勃起してるくせに、それでも我慢して俺を気遣ってくれるリツに胸が満たされる。
 そんなリツの優しさを利用している自分に腹が立ったけど、俺は自分を落ち着かせるため方法をこれ以外術を知らない。
 躊躇うリツに、「いいから」とその手を握り締めた俺は、そのまま自分の胸に押し付けた。
 コウメイとは違う、骨っぽい手。俺を受け入れてくれる、手。

「……早く、リツでいっぱいにして」



「来斗……ッ」
「っん、ぁ、あぁ……ッ」
「……来斗、来斗……っ可愛いよ、来斗……ッ」

 回された腕で体を抱き締められる。 息苦しさが、心地良かった。
 うっとりと目を細め、リツに体を貪られる度にこんな自分でも誰かに必要とされているのだと実感でき、
 満たされた。それなのに、

「っふ、ぅ、あ……ッ」

 油断すると、コウメイの顔が浮かぶ。抱きしめてくるこの手がコウメイだったら。首筋に吸い付くこの唇がコウメイだったら。どれほど良かったのだろうか。
 リツのことは好きだ。だけど、それ以上に、俺は。

「ッ、ぅ、く……ッんん……っ」

 いけない、と思考を振り払う。
 二人を比べてはいけない。そう思うのに、覆い被さってくるリツに、無意識にコウメイを重ねている自分がいて。
 考えないようにすればするほど溢れ出すコウメイへの気持ちに、涙が溢れた。

「……来斗……っ」
「ひ、ぅぐ……ッ」

 困惑したリツの顔が視界に入る。困らせてる。ダメだ、泣くなよ俺、リツが困ってるじゃないか。
 そう思うのに、満たされた心はすぐに大きな穴を開け、余計虚しくなってくるばかりで。

「来斗……」

 ぎゅう、と上半身を抱き締められる。
 隙間無く、くっついてしまいそうなくらい、強く。
 流れ込んでくる体温に、次第に波立っていた心は落ち着いていく。

「……こ……めい……ッ」

 熱に浮かされ、ふわふわとどこか夢現の中。
 無意識に口にしたその言葉にハッとしたときだった。
 抱き締めていた手が離れ、代わりに、強い力で突き飛ばされる。

「ぁ……ッ!」

 その場に尻持ちついた俺は、腰への痛みとともに現実へ引き戻される。
 そして、自分のしてしまったことに、青ざめた。

「……今、誰と間違えた……?」

 聞こえてきた、聞いたこともないような低いその声に、驚いて顔を上げる。
 ゆっくりと立ち上がるリツ。先程まで浮かべていた柔らかい笑顔も照れもない、薄暗い無表情に全身が凍り付いた。

「リツ……?」
「今、誰と間違えたって言ってんだよッ!!」


 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
 突き飛ばされたことは勿論、リツの怒鳴り声なんて聞いたこともなくて。
 先程までの笑顔は消え失せ、豹変したように声を荒らげるリツに、全身が硬直する。

「あ、わり……」
「僕と一緒にいるのに、あいつのこと考えてたんだろッ!なあ?!」

 ただでさえ人から怒鳴られたことのない俺は怒るリツに戸惑わずにはいられない。
 確かに、悪かったかもしれない。だけど、だからって。

「だから、間違えただけだって……なんでそんなに怒るんだよ……」

 心臓がバクバク高鳴る。恐怖と緊張で、体が震え始めた。
 とにかく、いつも通りのリツに戻ってもらいたくて、出来る限りの笑顔で尋ねた時。リツの目の色が変わった。

「なんでェ……?」
「ッ」
「なんでって、なんで、なんで?なんでそんなこと聞くわけ?ねえ……可笑しいよね、僕がこんなに、こんなに来斗のこと好きだって知ってるくせに、なんでだって……?」

 ゆっくりと歩み寄ってくるリツに、無意識に後ずさった。リツの様子がおかしい。それは一目瞭然で。
 引き攣ったような笑み。怒りを、いや、それ以上のなにかを滲ませたリツの目に睨まれれば、全身が竦んた。

「……り、リツ……」
「ふざけるなよ……」

 机の上、置かれていた灰皿を手にとったリツはゆらりと体を起こし、尻餅をついた俺を見下ろした。その目には、僅かに涙が滲んでいて。

「あんな奴と僕を一緒にするなんて、酷いよ。酷いよ、来斗……ッ!!」
「ひッ」

 瞬間、思いっきり叩き付けられた灰皿は間一髪俺の体を逸れ、壁にぶつかる。凄まじい音とともに分厚いガラスの破片が四散する。
 このままじゃ、まずい。
 初めて目の当たりにした他人の怒りは俺にとって恐怖以外の何物でもなくて。
 逃げなければ。咄嗟にそう判断し、俺はリツのアパートから逃げ出した。

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