短編


 空似

 親父が死んだ。年甲斐もなく不良に絡まれてる男を助けてリンチされて死んだらしい。死体の顔は酷く損傷し、腫れ上がり、まるで別人のようだと思った。
 父は元々喧嘩が強いわけでもない、どこにでもいるようなおっさんだった。ただ人よりも正義感が強く、お人好しで――俺とは正反対。母親は泣いていた。悔しくて堪らないのに「あの人らしい」なんてその口で吐き出すのだ。

「ごめんなさい、俺のせいです」

 俺の前にそいつが現れたのは葬式を終えて暫く経ったあとだった。
 パートも暫く休んでは父の仏壇の前で泣いてる母親の代わりに勤労に勤しみ、実家へと帰ってきた俺を出迎えたのは学生服の少年だった。
 少年の名前は黒木。下の名前は聞いたけど忘れた、ぱっとしないよくある名前だと俺の脳が判断したようだ。
 黒木少年は父が庇ったといういじめられっこの少年のようだ、制服からして近くの高校の生徒だと分かった。

「それで? 警察の人に言ってなかったっけ、うちの母親敏感になってるから面会は断るって。その代わり、君を責めるつもりはまったくこっちにはないし」
「……でも、俺のせいで、あの人は……っ」
「ま、打ちどころ悪かったんだって。君のせいじゃないよ」

 道端で話すのもなんだ、近くのファミレスに移動して話すものの正直場所を間違えた感は否めない。
 まるで信じられないとでもいうかのような黒木少年。それでも本当に息子なのかと、その目は雄弁に語りかけてくる。
 とはいえ、その場しのぎの甘言ではない。本心でもあった。

「君はたまたま居合わせただけの被害者だろ。……それともなに? この人殺しが、とか言ったほうがよかった?」
「……っ、それは……」
「ああ、ほら、せっかく頼んだアイスが溶けてるよ。俺の奢りなんだから食べなよ、早く」

 勿体ないよ、と声をかければ、黒木少年は少しだけ迷ってちびちびとアイスを突いた。そして視線を落としたまま、その睫毛を震わせるのだ。その目からは大きな雫がぽたぽたと溢れる。

「ぅ……っ、うう……」
「え、どうした? お腹痛い?」
「ぉ、俺は……っ、悔しくて……俺のせいで、あんなに、いい人が……っ、ふ、……ぐ……」
「いい人、ねえ」

 すっかりぬるくなったアイスコーヒーに口付ける。氷が溶けてしまい、薄くなっていた。

「あ、タバコ吸っていい?」
「ぅ……っ、ぐす……は、はい……」
「ん、ありがと」

 残り二本。帰りに買い足さないとな、と思いながらも煙草を咥える。ライターを取り出し火を付けた。
 煙をふかしてる間も黒木少年はぼろぼろと泣いてる。よくもまあそんなに泣いて干乾びないものだと感心するくらいに。

「それで、君はどうしたいの?」
「……ぇ……」
「俺もうちの母親も君のことを悪いとだなんて思ってないよ。許すとも言ってるし。……でも、君はまだ不満そうだ」
「ッ、それは……」
「……慰めてやってもいいけど、生憎俺はそういうの得意じゃないからさ。そういうのを察するのも面倒だから直接言ってもらいたいんだよね、君がどうしたいのか」

 加害者の不良に復讐?けど連中も今ではしっかりと過失致死で前科者になってるはずだ。ならば俺にはなにもできない。
 そうお手上げのポーズをとれば、黒木少年は濡れた瞳をこちらへと向ける。そして、困惑したように俺を見据えるのだ。

「……お力に、なにか、恩返しをさせてください……せめて、俺にできることを……」
「って言ってもさ、君学生だよね? 金用意しろって言っても難しくない?」
「っ、頑張って働きます、それで、少しでも助けになれば……」
「君の親御さんはなんて言ってるの?」

 そう尋ねたとき、黒木少年は俯いた。

「……いません。俺は、施設から学校に通わせてもらってます」
「……あーなるほどね」

 天涯孤独。なるほど。だからこそ余計なのかもしれない。煙を吐き、伸びた灰を灰皿へと落とした。

「じゃあ、俺の言う事聞いてよ」
「……え」
「そう言ったら君はなんでも聞いてくれるの?」

 例えばの話のつもりだったが、少年は大きく頷いた。はい、と遅れて声をあげる。
 真っ直ぐな目だ。最初は気弱そうな子だと思ったが、この目は嫌いではなかった。

「そ、じゃ出ようか」
「え、ぁの」
「気が変わった。俺と付き合ってよ」

 黒木君、と少年に笑いかければ俺の代わり身に驚いているようだ。少しだけ間を置いて、黒木少年――黒木君は「はい」と頷いた。

 ◆ ◆ ◆

 元々実家から少し離れたマンションで一人暮らしをしていた。黒木君をそちらへと連れ帰れば、まるで借りてきた猫のようにそわそわと辺りを気にしながらも少年は部屋へとあがってくる。

「そういえば、帰りが遅くなるときとかって施設には連絡しなくていいの?」
「はい、施設とはいっても住む場所と戸籍を借りてるようなものなので……」
「ああ、そういう」
「それで、その……」
「取り敢えず、君にお願いしたいことがあるんだけどさ。俺、男が好きなんだよね」
「……っ、え」

 驚いてる。まあ、この反応にも慣れていた。
 そして決まってこの次に「まあ世の中いろんなやつがいるよな」と謎のフォロー入れられるか、「そうなんだ」と濁されるか、そんでフェードアウトされるか、逆に詰められるか。大体二択だ。
 黒木君はそのどちらでもなかった。まるでわかっていないのか、大きな目を丸くさせて固まってる。

「ああ、言っとくけど安心して。別にいきなり裸になって四つん這いになれ、なんてそんな変態みたいなこと言わないし。そもそも君、俺の好みじゃないしね」
「あ、ええ、と、はい……すみません……」
「なに、すみませんって」
「いえ、その」
「ま、どうでもいいや。そんで話変わるけどさ、俺と一緒に寝てほしいんだけど」
「ね、寝る……?!」
「そ、添い寝。別に変なことはしないんだけど、俺どうしても一人じゃ寝れないんだよね」

 ここ最近通夜だ葬式だと色々あって、セフレの男たちも変に気遣って人が呼んでも「今は喪に服しておけ」って言うしで結局こうだ。
 黒木君は目を白黒とさせたまま、それでも馬鹿真面目に俺の話を信じてくれたようだ。「はい」と頷いた。

「はい……って、本気?」
「はい、それに眠れないのはよくないと思いますし」
「嫌じゃないの?」
「い、嫌っていうより……緊張しないわけじゃないですけど、その、彗さん綺麗なので……」
「なにそれ、口説いてる?」
「ち、ちがいます……その」
「わかってるよ」

 ありがとね、とつられて頬が緩んだ。黒木君の頬が赤くなっていくのを見て、なんだか今まで忘れていた妙な感覚が蘇る。なんだか新鮮だ。

「それじゃあ、今夜はよろしく。それまで好きに寛いでいいから。風呂も勝手に使っていいし」
「は、はい……ありがとうございます」

 真っ直ぐで純粋。悪い子ではないのだろうと分かった。
 所在なさげにしてる黒木君をソファーへと案内し、俺はベランダに出て一服する。

 父親のことは好きではなかった。女みたいだ、男ならもっと堂々としろ、逃げるな。そんなことを地で押し付けてくるような古典的な古臭い男で、それに嫌気が差して高校卒業して逃げるように一人で暮らすようになっていた。

 学生時代、周りに馴染むことができなかった。
 女子のことは好きになれず、ガキ臭い男子のことも嫌いだった。……ただ唯一、俺のことを受け入れてくれた年上の担任教師が俺の拠り所だった。父と同じくらいの年齢だったが、父なんかよりも懐が広く、優しく俺を受け入れてくれる。自分が女子よりも年上の男に惹かれる性質なのだと自覚したのはそのときだった。

「あの、彗さん」

 不意にベランダの扉が開き、恐る恐る黒木君が覗いてきた。

「どしたの」
「……お風呂、入れ方わからなくて」
「あー、はいはい。なるほどね、すぐ行くからちょっと待っててね」

 そう手摺に煙草を押し付け、火消しする。
 そしてすぐ黒木君を追って部屋へと戻った。


 ◆ ◆ ◆


 先に黒木君を風呂に入れさせ、そのあとにシャワーを浴びる。リビングへと戻れば、黒木君がカーペットの上で正座していた。

「膝痛くならない?」
「いえ、これくらい」
「そ、ならいいけど」

 時計を見ればそろそろ眠ってもいい時間帯になっていた。

「そういえば黒木君、明日学校は?」
「あの、一応先生からは暫く休んでいいって言われて……」
「まあ、だろうね」

 マスコミ避けなのだろうか。色々大変なんだろう。実家にも何度も電話や訪問があったが、気性の荒い祖父母や親戚たちが集まって母に付き添ってくれてくれたお陰でそれも収まっていた。が、学校となれば別だ。

「それじゃ、寝放題だ」
「……っ、あの、彗さん」
「右側と左側、どっちがいい?」

 寝室の扉を開けば、勝手に電気がついた。
 ベッドを見てようやく自覚したのだろう、黒木君の顔がまた赤くなる。

「ひ、左側で……」

 拘りあるんだ、と思わず噴き出しそうになった。
 それから俺達はベッドに横になる。元より人と寝る前提で買ったベッドだ、黒木君が一人増えたところで広く使える。それよりもだ。

「……黒木君さ、そこまで隅に寄られたら添い寝の意味ないんだけど」
「ご、ごめんなさい、邪魔じゃないかと思って」
「寧ろ邪魔なくらいでもいいんだよ。ほら、別に何もしないから」

 そう隣を叩けば、もぞもぞと影が蠢いて近付いてきた。風呂上りの柔らかな香り。なんとなく生まれたての赤ん坊を連想した。
 あまりにも緊張してるものなのだからいっそ抱きしめてやろうかと思ったが、やめた。相手に無理矢理強要するのは好きではない。何度も寝返りを打つ黒木君はやはり人と寝ることに慣れてないのだろう、せめてもの優しさで俺は黒木君に背中を向けて目を閉じた。

 人から避けられることも慣れていたつもりだ。嫌悪感持たれることも、両手で数え切れないほどあった。
 周りに虐められても悔しいや、悲しいと思うことはなかった。どうでもよかった。そんな俺が余程歯がゆかったのだろう、父は俺を罵倒した。――逃げるな、戦えと。
 今になってなんでそんな昔のことを思い出したのかわからないが、少し笑えた。
 逃げずに戦ったあんたの結果がそれだ。
 逃げれば良かったのだ、あんたも、背中を向けて見て見ぬふりすりゃ良かったのだ。最初から。

「……彗さん」

 暗闇の中、黒木君に名前を呼ばれる。
「なに?」と背中向けたまま答えたとき、背後で衣擦れ音がした。黒木君が起き上がったのだろう。

「……彗さんって、一人っ子なんですか?」
「俺がお兄ちゃんに見えた?」
「いえ、その……あまり、似ていないと思って」
「親父と俺が?」
「……それもありますけど、その……」
「どうした?」
「……園崎さんが、教えてくれたんです……最後。俺が、息子さんに見えたって」
「……」
「……でも、実際に会ったら彗さんは俺よりも大人で……」
「……そりゃ、君よりも何年も生きてるしね」
「そうじゃなくて、冷静で……俺、すぐ頭が真っ白になっちゃって……いつも空回ってばかりで……でも、そんな彗さんに似てるようには見えないなって……」
「気にしないでいいよ、そんなこと。……あのおっさん、耄碌してたんだろ」
「彗さん」
「早く寝ろよ」
「……ッ、はい」

 背中にくっつく黒木君の熱に、堪らず息を飲む。
 ……本当に、これだから嫌なのだ。年下は。
 枕に顔を埋め、漏れそうになる嗚咽を殺す。いじめられっ子を助けて父親面するつもりなのか、あの男。本当にどこまでも馬鹿ではないのか。
 ……本当に、馬鹿だ。そんなの、無意味だというのに。
 息子代わりを助けようが、父親代わりに甘えようが、なにも変わらないのに――逃げていたのはどっちだ。





「本当に、もういいんですか?」
「なにが?」
「あの……一晩だけで」
「嫌だって言ったらどうする気なわけ?」
「そ、それは……その」
「言われて困ることは言わないことだな」
「……う」

 翌朝。朝飯代わりに近くの喫茶店で飯をして、俺は黒木君と別れることになった。

「あの、彗さん……」
「ん?」
「……また、その……寝れないときは……」

 言いながらおず、と携帯を取り出す黒木君の手を掴み、止めた。

「貸し借りはなしだ。君はもう俺たちのこと忘れたらいい」
「……彗さん」
「それに、君は俺なんかよりも強いよ。逃げずにここまで来たんだ」
「それは……っ」
「はい、これタクシー代。足りるかな?」
「っ、ちょ、ちょっと! こんなにいただくのは流石に……っ」
「余ったらおやつ代にしていいから。それじゃ」

 そう手を振り、黒木君を残して自宅へと戻ろうとしたときだった。
「彗さん!」と大きな声で呼ばれる。

「なに? まだなにかあるわけ?」
「す、好きな人のタイプを……教えて下さい」

 思わず笑ってしまった。本当に真っ直ぐだ。ある意味愚直すら思えたが……嫌いではなかった。

「一回り年上の人」
「え……」
「……か、包容力がある人」
「っ、わかりました」
「なにをわかったの?」
「……またいつかお会いすることがあったら、そのときはよろしくお願いします」

 なにをよろしくお願いされるのか全くわからなかったが、あまりにも真面目な顔をしてそんなこというものだから今度はこちらが言葉を失った。
 ……馬鹿親父、全然似てないだろ。寧ろ似てるのはあんたじゃないのか?
 思いながらも、つられて微笑んだ。

「……気が向いたらな」


【おしまい】

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