短編


 03


 次に目が覚めたとき、俺がまず最初に見たのは見慣れない白い天井だった。
 柔らかいベッドの感触。窓から差し込む日差しが心地よく、俺は目を細めたまま窓辺に目を向けた。

「おはよう、やっと起きた?」

 不意に、隣から聞き慣れた声が聞こえてきて、俺はぼんやりとしたまま視線を声がする方へと向ける。
 そこには、俺と同じ顔をした満身創痍の男が人良さそうな笑みを浮かべ立っていた。

「……真紀か?」
「他に誰がいるんだよ」
「なあ、もしかしてここって病院?」
「当たり」

 尋ねる俺に、真紀はヘラヘラと笑いながらそう答える。
 病院、病院か……。
 どうやら俺は長い間眠っていたようだ。
 寝起きの混濁とした思考はまだ正常に機能しておらず、場所が場所だからだろうか。やけに体がふわふわしていた。
「よっこいしょ」俺と同じ顔をして年寄り臭いことを言う真紀は、近くにあった客人用の椅子を引きそのまま腰を下ろす。咄嗟に俺は上半身を起こそうとするが、全身が酷くだるく体を動かす気になれなかった。

「亜紀のところにも来たんだってな、宇治のやつ」
「……宇治?って、誰」
「包丁持ったやつだよ。来たんだろ?もしかして覚えてないみたいな」

 聞き慣れない名前に首を傾げる俺に、真紀はそう困ったように笑う。
 それだけを聞いて、俺は包丁持った男子生徒のことを思い出した。脳裏に蘇るあの生気のない顔に、全身が寒くなる。

「そうだ、あいつ、なんなんだよ……お前……っ」

 次々と蘇る忌々しい記憶に、色々真紀に聞きたいことがあった俺は、なにから言おうとすればいいのかわからず思わず体を強張らせた。
「まーまー落ち着けって。ほら、まだ完治してないんだから」真紀はそう暢気なことを言いながら俺を宥める。
 完治というあまり日常会話に馴染みのない言葉につられ、俺は自分の体に目を向けた。
 白い包帯でぐるぐると巻かれた腕が視界に入り、俺は慌てて顔をそらす。

「宇治は俺の後輩だよ。どうやら、なんか色々勘違いしてたみたいだね」

 真紀はそう他人事のように笑いながら続けた。
 どうやら真紀は俺と男子生徒、もとい宇治がなんの会話をしたかさえまでは知らないらしい。
 そうしらばっくれようとする真紀を横目に見る。

「その、宇治ってやつはどうなったわけ?もしかして……」

 まだいるんじゃないのか。そう言いかけて、小さく首を横に振る真紀は「大丈夫」と小さく頷いた。

「宇治は警察に捕まったよ」

「亜紀が大声上げたときに、たまたま通りかかった子がびっくりして通報したらしい」真紀はそうなんでもないように淡々と続ける。
 あいつ、捕まったのか。
 宇治の青白い顔を思いだしながら、俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。
 叫び声を聞かれたというのは、もしかしたら恐らく包丁でアキレス腱を切られそうになったときのことだろう。

「……そうなのか」

 結局あいつがなんなのか最後までよくわからず仕舞いだったが、逮捕されただけましなのだろう。
 その報せを聞いて、ようやく緊張していた体が緩んだ。
「俺も聞きたかったなあ、亜紀の大声」ニコニコと笑いながらそんなことを言い出す真紀に、「冗談じゃない」と俺は顔をしかめる。

「冗談冗談、そんなに怒んなって」

 ベッドの上に横になった俺の顔を覗き込んで笑う真紀は、そう大袈裟に肩を竦めて見せた。
 いつもと変わらない真紀。
 どうやら真紀もこの病院で入院生活を繰り返しているようだ。体を覆う包帯やギプスなどを見ると俺よりも重傷に見えたが、本人を見る限りそれを感じさせないくらいの相変わらずの調子だった。
 不意に、いつの日かの男子生徒……宇治とのやり取りが脳裏をよぎる。
 確か、真紀のやつ俺のふりをして宇治に絡んでたんだよな。一応、そのことについても聞いた方がいいかもしれない。

「ん?俺の顔になんかついてる?」

 じっと自分の顔を見据える俺の視線が気になったようだ。
 真紀はそう不思議そうに俺に笑いかけてくる。

「お前さあ、その、宇治ってやつに俺のフリしてちょっかいかけたんだってな」

 ベッドの上に寝そべったまま、そう俺は直球で真紀に言葉を投げ掛けた。
 真紀はといえば、そんな俺の言葉に対して悪びれた様子もなく「まあね」と即答する。
「お前なあ」誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるんだ。
 あまりにもあっけらかんとした真紀の態度に頭にきた俺は、そう呆れたように口を開く。

「……まあ、最初はね、ただ亜紀の好感度をあげるつもりだけだったんだけどさ。そんで適当に無害そうなやつに話しかけてたら、本気で俺に惚れちゃってたみたいな」

 そんな俺に対し、真紀はそう薄笑いを浮かべた。
 無害そうどころか有害なやつだったんですが。そう口を挟もうとしたが、それは俺よりも宇治と長く接した真紀のがよく知っているだろう。
 敢えて俺は黙って真紀の言葉を聞いた。

「俺の好感度ってなに」
「ほら、いつも亜紀ったら一人でいるからさ。友達作んないのかなって」
「余計なお世話なんだけど」
「うん、だよね」

「亜紀が怪我するくらいなら、亜紀には友達一生出来なくていいよ」ムッとする俺に、真紀はヘラヘラと笑いながらさらりとそんなことを口にした。
 なんかスケールでかくないか。なんて思ったが、敢えて俺は黙っておくことにする。

「で、真紀として宇治に話したんだけど揉めちゃって」
「話?」
「『俺の亜紀に近付くな』って」
「素晴らしい自演だな」

「おまけに返り討ちに遭ってるし」なんでもないように淡々と続ける真紀に、俺は呆れたような顔をした。
「宇治には充分だったよ」返り討ちは想定外だったけど、と笑う真紀。

「まあ、お前が余計なことしなきゃよかったってことだよな、ようするに」
「余計なこと?」
「宇治にちょっかいかけたり」
「ああ、それか」

 俺の言葉に、真紀は納得したように頷いた。
「でも、早めに釘刺しとかなきゃどっちにしろ亜紀に行ったかもしれないし」そう言う真紀は、少しだけ落ち込んでいるように見える。
 どうやら、真紀は自分が返り討ちに遭ったことを気にしているようだ。

「それで真紀が怪我したら意味ねーじゃん」
「……うん、その通りです」

 顔をしかめる俺に真紀は更にしょぼくれた顔をしてみせる。
 一応反省しているようだ。項垂れる真紀に、俺は「顔、あげろよ」と声をかける。

「今度から、俺の友達とかそーいうの気にしなくていいから」
「……わかった」

「ほら、俺には、真紀がいたらそれで充分だから……うん」

「だから、あんま無茶すんなよ」真紀から顔を逸らした俺は、そう窓の方へ目を向けた。
 真紀は少しだけキョトンとし、やがてその顔は嬉しそうに綻ぶ。

「亜紀、本当に俺のこと好きなんだ」
「自分と同じ顔だと愛着沸くんだよな、無茶苦茶なやつでも」
「素直じゃないなあ、亜紀は」
「なんだと、このナルシスト」

 デレデレと顔の筋肉を綻ばせる真紀は、怪我をしていない方の俺の手に自分の手のひらを重ねる。
 包帯で覆われた手は痛々しかったが、それでも指と指を絡めると流れ込んでくる体温が心地よかった。

「亜紀」
「ん?」
「これからも俺以外の友達つくんなよ」
「……お前、少しは自分の人間関係を見直してから文句言ったらどうだ」

 有無を言わせない真紀の言葉に苦笑を浮かべる俺は、小さく「わかったよ」と付け足す。

「真紀も、男女関係無しにたぶらかすのやめろよ」
「……あれは勝手に」
「真紀」
「……以後気を付けます」

 渋る真紀に強い口調で名前を呼べば、真紀は素直に頷いた。
 暫く目を合わせた俺たちは、同時に吹き出す。
 全治二ヶ月弱の道のりは長いが、真紀がいたら退屈しないだろう。
 そんなことを思いながら、仰向けになった俺に顔を近付けてくる真紀の頭部に腕を伸ばした。
 日当たり良好なその部屋で、俺たちは人知れず唇を重ねる。

【おしまい】

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