ロワゾブルーの桎梏
あの夢が夢じゃなかったら。ツナくんに言われてせいなのか、私の思考はおかしくなってしまったらしい。ふとした瞬間には夢に出てきたあの人のことを考えている。夢の中に現れた私の運命のひと。
「あー、もう」
静まり返った夜。ベッドに座り込んで、ぐしゃぐしゃと頭を掻く。私の頭の中は乱れた髪のように絡まっていた。
あの日夢を見てから同じ夢は見ていない。次あの可笑しな夢を見る時には、あの人のことを知ることが出来るだろうか。
◇◇◇
誰かにずっと話しかけられているような気がする。五月蝿い、私はまだ眠っていたいのに。
「おや、目が覚めましたか」
とは言っても現実世界ではまだ眠ったままですけど。と、目の前の男は言った。ずっと耳元で誰かが私を呼んでいる気がして薄らと目を開いてみれば、知らない男が一人。インディゴブルーの、とても特徴的な頭をした変な人。
「変な人とは、随分と失礼ですね」
「どうして……」
「分かるかって?それを簡単にお答えすることは出来ませんが、此処だから、とだけ教えましょう」
此処は一体どこなのだろう。周りを見渡して見ればそこは草原が広がっている。眠りから目覚めたのだと思い込んでいたが、まだ夢の中にいるらしい。音もなく、冷たくも温かくもないこの空間は不思議な感覚だ。
「草の匂いもしない」
「君の想像力が乏しいからですよ」
「私の?」
何故?と目の前の男を見遣る。向かって右目は髪色と同じ色、左は赤色の目をした、左右で色の違う瞳を持つその男は、良く見ればとても美しい顔をしていた。
匂いはしないが、私は何となく分かってしまった。
「貴方、もしかしてアルファ?」
「クハハ!貴方は本当にすぐそのようなことばかりですね」
笑ってはいるが、その目は先程よりも冷たさを宿していて、私のことをまるで蔑むように睨み付けている。
「私のこと知っているの?」
「忘れてしまったんですか?」
「何を……」
瞬間、男の姿が目の前で変わったかと思うと、私は息が詰まりかけた。先程までの姿とは違い、今の姿にはどうしても見覚えがあった。
「……あの夢の」
「グイド・グレコ。いやレオナルド・リッピと申し上げた方が分かりますかね?」
目の前の男は一瞬で平凡そうな青年へと姿を変える。特徴的な髪型は消え、瞳の色も変わってしまった。
これがあの男の本当の姿ということなのだろうか。いやだがそれよりも、私はあの夢に出てきた青年が再び夢に現れたことに驚愕した。
「今度はどんな夢なの」
「残念ですが、あの夢の続きはありませんよ」
「でもこれは……」
「僕は君の様子を見に来ただけです」
「はぁ……」
「あの夢を信じるか信じないかは貴方次第ですが、注意をしていないと正夢のようになりますよ」
男の言っている意味は今一よく分からない。あの夢を信じる?信じない?夢を信じるとはそもそもどういうことなのだろうか。夢は夢であって、現実とは違うのだ。ふと、先日ツナくんから言われた言葉を思い出す。あの夢が夢じゃなかったら。
「私がオメガだってこと知っているの?」
「知っているも何も、」
見た事があったでしょう?
ゆっくりと告げた男の言葉が私に突き刺さったような気がした。あの日見た夢の中、あの運命の人と欲望のまま求め合う姿を、レオ君と呼ばれていた彼に目撃されてしまったシーンを、私は見たのだ。
「貴方もあの夢を見たということ……?」
「それは少し違いますね」
男は一歩近付いて私の髪を一房掬うと、静かにそこに口付けた。
「あの夢は、君が歩んだ未来の一つ」
伏せられた睫毛は長く、月も太陽もない空間であるのに影を作る。
「未来の僕はほんの少しだけですが、君のことを助けたいと思っていたみたいでしてね」
少しだけ持ち上げた瞼。私は赤い瞳の視線と絡み合う。
「僕もアルファ、なんでね」
ぞくりと、背筋に冷たいものが走った気がした。ここでは匂いもしない筈なのに、何故だか彼からとても強いアルファの匂いがした。
「……ぃや……」
「まあそう怯えないでください」
男はレオナルド・リッピの姿から初めの姿へと変える。先程感じた空気は一瞬で消え去り、強く感じたあのアルファの匂いもしなくなる。私はほっと胸を撫で下ろした。
戻った姿をよく見れば、この姿に似た人物をあの夢の中で見たような気もする。
「六道骸です」
「へ」
「僕の名前です」
「私は」
「知っています」
この男は随分と自己中心的な人のようだ。教えられたところで呼ぶ機会などこの先一度だって無い筈であろうに、何故男は突然名乗ったのか。
「先程のは冗談ですから。第一、貴方のような根暗な人とずっと一緒だなんて御免です」
「貴方の方がずっと失礼だと思うけど。それに、もう二度と会うことはないと思うので」
「それはどうでしょうか」
面白そうに私を見つめる視線は、草原で棒立ちになっている私の頭から爪先までゆっくりと降りていく。最早失礼とも言えるその視線に耐えきれずに、私は男から視線を外す。
「全くこれの何処がいいのやら」
「貴方本当に」
失礼ね。と、続ける前に、目の前の男が口を開く。
「困ったら、僕の名を呼びなさい」
「困ったら……」
「一度だけなら助けてあげます」
借りを返さねばいけませんからね。と、目の前の男が呟くと、草原は消え、目の前の男も姿を消した。
◇◇◇
良い夢か悪い夢かで言えば、どちらかというと後者なのでは無かろうか。しっかり8時間は寝た筈なのに、寝た気がしない。
日曜日だが友人と約束があり、私は通学路で使う通りを歩いている。夏が終わり、季節は秋に移ろうと気温は冷たく、だが何処か清々しい気分にもなれる朝の空気を大きく吸った。すると少し先にツナくんの家が見えようとしたところで、私は肺に流れ込んだ空気に違和感を感じる。微かに香るその匂いに私は全身の血が沸騰するかのような感覚を覚えた。無意識に歩みは一歩ずつ大きく、そして足早に前へと進んでいく。
それは前へと進めば進むほど強く香り、まるで私を呼んでいるかのようだ。この匂いを私はよく知っている。私を強く惹きつけて離さない、私だけの。
「はっ、はっ……」
気付いたら駆け出していた。前方からツナくんの焦ったような声が聞こえた気がする。この匂いにだけは敏感なのに、他の全てのことには鈍く、麻痺してしまったように体をすり抜けていった。
「っなまえ?!」
「オレガノ!!ターメリック!!」
ツナくんの家の前まで走ると、庭先に見覚えのある姿を見つけてしまった。私の名を呼ぶ声が聞こえた瞬間、誰かを叫ぶ声が響くと、私を呼んだあの人と私は、周りから現れたスーツの人達に取り押さえられる。
「くそっ!何故ここに辿り着く前に止めなかった!」
「白蘭!」
周りから声が聞こえる。それでも私の視線は変わらずある一点を見つめていた。それは、少し先にいる彼も同じだった。なんで、どうして、あれは夢では無かったのか。何故、あの夢の中の人が目の前にいるのだろう。私の、運命の人。
「びゃく……らん?」
呼んでしまえば彼は苦しそうに私を見つめた。次第に体は熱を持ち、息は少しずつ上がっていく。目の前の彼が欲しいと、本能が告げている。あの夢と同じように、欲望のまま彼のことを欲している。夢の中の私は決して幸せとは言い難い日々を送っていた筈なのに、それでも私の体は目の前の彼を求めている。
「なまえさん……っ」
アルファであるツナくんも苦しそうに歯を食いしばっている。私は知らずのうちにヒートに入ってしまっていた。このままでは危ないと、頭の中ではわかっていても体はいうことを聞かない。誰か、私を止めて。
「すみませんっ!」
背後から私を押さえ付ける誰かが謝った瞬間、私の意識はブラックアウトした。